尾北 賢治 院長の独自取材記事
おきたクリニック
(大阪市浪速区/大国町駅)
最終更新日:2025/06/04

あふれんばかりの観光客で、連日のにぎわいを見せる大阪市浪速区の一画。2025年5月に完成した真新しいメディカルモール内に、周辺住人であれトラベラーであれ、内科・外科を問わずに対応する「おきたクリニック」が開業した。院長を務める尾北賢治先生は、これまでに災害医療や救急医療、離島医療という困難な医療現場に身を置いてきた総合医療の体現者。その貴重な経験を生かし、“医療難民”をなくすべく地元・大阪で新たなステージへと踏みきった。都心での医療難民とはどのような存在を指すのか。どのようなプライマリケアが必要なのか。尾北院長がたどってきた道のりとともに、新たなクリニックのアイデンティティーに迫ってみた。
(取材日2025年5月21日)
“医療難民”をなくし、すべての人に医療アクセスを
まずは新しいクリニックの概要をお聞かせください。

当院は内科、呼吸器内科と外科を標榜し、一般的な内科症状から外傷や陥入爪まで何でも診るというスタンスのクリニックです。風邪などの感染症や胃腸のトラブルはもちろん、生活習慣病などのご相談や、転んでケガをした際の治療や小手術にも対応できます。困ったことがあれば症状や年齢、国籍を問わず、どのような方にも医療を提供するのが当院のコンセプト。ドクターは私1人ですが、看護師を含む10人以上のスタッフが在籍し、2つの診察室と処置室、エックス線やエコーの検査室、血球測定装置や生化学および血液ガスの分析装置など、適切な診断に必要な環境を整えています。また、玄関から処置室まで一直線の動線でつなぎ、ストレッチャーや車いすもスタンバイして救急搬送に備えています。
どのような目標を掲げて開業されましたか?
医療難民をなくし、最終的には地域の健康増進を果たすこと。それが当院の根本目標です。都心で“難民”と聞いて意外に感じるかもしれませんが、「何科に行けばいいのかわからない」「言葉が通じずに診察してもらえない」というのも立派な医療難民。例えば外国人のご家族が、お子さんを小児科へ連れて行けないというのはよく耳にする話です。当院には多言語対応の翻訳ツールがあり、基本的には何語であっても電話や対面での会話が可能です。また、英語であれば院内のほぼ全員が対応できますので安心してください。当然ながら、近隣にお住まいの方やお勤めの方ももちろん対象ですから、何かあれば遠慮なく相談にお越しいただければと思います。
診療時、患者さんに対して心がけていることは?

まずは、どのような患者さんの要求に対しても優しく対応することです。その方が何を求めているのかを冷静に検証し、しっかりと患者さんの目を見ながらお話を聞く必要があるでしょう。その姿勢を貫いていれば、多少は言葉が通じなくても気持ちは通じるものです。あとは常に感謝の気持ちを忘れないことですね。医療というのはみんなで分担しながら行うもので、自分一人でできることなどありません。その気持ちを忘れずに仕事に向かうことが大切だと思います。最後に、自分が健康でなければ人を診ることはできませんので、日頃から健康維持に努めることです。こうした理念は私のいろんな経験から培ったもので、スタッフ全員が常に心がけながら対応にあたっています。
災害現場や離島医療で総合診療の大切さを実感
先生は、ある時期から救急をめざされたと聞きました。

私は鳥取大学医学部卒業後に京都大学医学部附属病院の呼吸器外科に10年間勤め、その道を極めるべく肺移植、肺がん手術、心臓血管手術などの研鑽に励んでいました。そんな私の一大転機となったのが、2011年の東日本大震災です。当時強く痛感したことは、災害地において、一介の外科医ができることは限られているということです。救急や災害に携わる先生方がさまざまな救援・支援をコーディネートしながら采配を振る中、そうした経験や知識がない自分自身に力不足を感じました。そんな無力感に打ちひしがれながら、自分が勉強すべきことがまだまだ無数にあると痛感。救命救急をめざすようになり、私の医師人生が大きく変わることになりました。
海外などの災害地でも学ばれたそうですね。
救急・外傷・災害を学ぶために済生会千里病院千里救命救急センターに5年間勤め、国内外の自然災害の現場に足を運びました。チームを組んで赴任するわけですが、救急医が中心となって多様な救援体制をコーディネートすることを実地で学べたのは良かったですね。その後、今度は人為災害の現場を学ぼうと大阪赤十字病院の国際医療救援部に転任し、レバノンへ赴任しました。当時、レバノンは紛争中ではありませんでしたが、ちょうど新型コロナウイルス感染症のパンデミックが始まり、私たちアジア人にヘイトの目が向けられるようになりました。感染しても安全が担保できないということになり、赤十字チームは撤退。それが非常に心残りで、今も現地の友人を通じてできる限りの支援を日本から続けています。
そこから離島医療に転向された理由は?

救急医としての経験が離島医療に役立つと考えたからです。説明会で離島の実態を知り、家族とも相談して長崎県・五島列島にある宇久島(うくじま)に一家で移り住みました。人口1500人ほどの島に診療所はたった一つ。医療が不足する状況下で足かけ3年間滞在し、生まれたての赤ちゃんからご年配の方まで、さまざまな疾患に対応することで総合診療やプライマリケアの知識と経験を身につけることができました。それが今の診療に大いに役立っています。大学病院にいた頃にめざしたのは、自分の専門性を高めて高度な知識や技術を獲得するという、いわば縦方向へのベクトルでした。横につなぐにはどうすればいいのか、そこに発展の余地がまだまだあるというのが私の持論です。
誰もが安心して受診できるクリニックをめざして
開業地に大阪を選んだ理由を教えてください。

私は大阪出身ですから、いつかは地元に尽くしたいという考えがありました。離島での経験のおかげで、地域に大切な医療の姿が見えてきたわけですね。離島で培ったものを都心で展開する。一聴するとミスマッチですが、どのような地域にも誰もが等しく医療を受けられる環境は必要です。かつて本島の長崎の病院で生まれた赤ちゃんに先天性形成異常があり、余命1年と診断されたものの、親御さんの強い希望で人工呼吸器を着けたまま宇久島のご自宅までヘリコプターで搬送されました。その後、日々の呼吸器の管理は私の担当でしたが、毎日そばにいるとわが子のように思えてくるものです。結局、1歳を待たずにその子は天に召されました。ただ、本島や離島の医師、看護師、救命士、消防士、島の人々が一つのチームになり、一つの命のために全力を尽くした。その現場に居合わせたことが今の自分の糧であり、一生の宝物になりました。
今後へ向けた抱負や展望があれば教えてください。
これまでの経験を生かし、将来的には多職種連携や在宅医療など、地域包括的な医療へ積極的に関わっていきたいと考えています。もう一つ、これはすでに開始していますが、これから海外に渡航しようとする方のトラベラーズワクチン接種です。都心で実施している医療機関が少ないので、ぜひ当院を利用していただければと思います。海外からの旅行者の方で、追加ワクチンが必要な方もお問い合わせください。開業から日が浅いため、皆さんに周知されるのはこれからだと思います。患者さんから信頼をいただけるよう実績を重ね、厚生労働省が関わる認証であるJMIPやJIHといった、外国人患者受け入れのために重要な申請もなるべく早めに実現したいと考えていますのでご期待ください。
最後に、読者へ向けたメッセージをお願いします。

まだ開業したばかりですが、やり残したことも、やるべきこともたくさんあります。パンデミックがなければ海外での研鑽を続けていたでしょうし、大阪での開業がなければ離島での診療もまだ続けていたと思います。現地の皆さんとの関係性もどんどん深まり、「先生、まだ行かないで」と引き止められたことも一度や二度ではありません。ただ、このクリニックが私にとってのおそらく最終地点。いったん身を置いたからには、今後はこの地域のために全力で役割を果たしていきたいと考えています。困ったことがあれば、とにかく気軽に来てください。どのような疾患や相談であっても、どなたに対しても、安心して受診できる医療を追求していきたいと思います。