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谷澤 龍彦 院長の独自取材記事

萬代整形外科クリニック

(新潟市中央区/新潟駅)

最終更新日:2025/06/25

谷澤龍彦院長 萬代整形外科クリニック main

2025年5月、新潟市の中心地区・万代エリアに開業した「萬代整形外科クリニック」。新潟駅万代広場から徒歩10分、バス停留所・万代シテイから徒歩1分の場所にあり、商業施設が集まる利便性の高い立地に誕生した。院長の谷澤龍彦先生は、整形外科の医師として50年近いキャリアを持つ大ベテラン。関節外科や骨粗しょう症などの骨疾患を専門とし、大学附属病院の講師や総合病院の整形外科部長として活躍してきた。2004年に独立・開業し、長年にわたり地元・新潟市の地域医療に貢献。しかし、2021年にクリニックを後進に継承し、一線を退いた。それから4年後の2025年、谷澤院長は「萬代整形外科クリニック」を開業。谷澤院長を再び立ち上がらせたものは何だったのか。長年の医師生活や診療への思いとともに、その理由を聞いた。

(取材日2025年5月22日)

患者とじっくり向き合う、原点回帰のクリニックを開業

開業おめでとうございます。まずは、どんなクリニック像を思い描いて開業されたのかお聞かせください。

谷澤龍彦院長 萬代整形外科クリニック1

70代という年齢になると、キャリアとしては最終盤に差しかかります。そうなると、これまで十分にできていなかった「ゆっくり患者さんを診る」という原点に立ち帰りたいという思いが強くなりました。開業ではなく、他の病院の外来を担当するという選択肢もありました。しかし、大きな組織の中では、自分の思うとおりの診療をすることが難しく、時間に追われることが多くなります。そこで、じっくりと患者さんと向き合える場所をイメージし、医師生活の締めくくりの場として「萬代整形外科クリニック」を立ち上げました。クリニックの名前には、新潟市のシンボルである萬代橋と同じく、旧字の「萬」を使用しています。ここには、「オリジナルに戻る」という意図も込められています。

以前開業されたクリニックは継承されたとお聞きしました。なぜ、再び開業を決断されたのでしょうか?

2004年から新潟市で「谷澤整形外科クリニック」を開業していましたが、体調のこともあり、68歳でリタイアするつもりでした。高校・大学の後輩である医師へ引き継ぎを進め、継承もスムーズに完了。2021年に退きました。その後は週1回、国立病院の外来を担当していましたが、時間がたつにつれ、「何かやり残したのではないか」という気持ちが芽生えてきました。体調も改善し、「もう少し働かないといけないだろう」という思いが強くなったのです。一度は医師人生を全うしたつもりでした。しかし、自分よりも年上の医師が今も医療の現場に立っている。90代で総合病院の常勤医を務める方や、80代で開業医を続けている方もいます。そうした諸先輩方の姿を見ていると、「体が動くなら、もう少しやってみたらどうだ」と、内なる自分が語りかけてくるのを感じました。その気持ちに従ってみようと思ったのが、再び開業を決めた理由です。

ここ、新潟市中央区万代エリアを選ばれた理由は何ですか?

谷澤龍彦院長 萬代整形外科クリニック2

万代エリアは新潟の中心地でありながら、意外にも整形外科が少ない地域です。患者さんが気軽に来院できる場所にしたいと考え、この場所を選びました。このクリニックは広いスペースを持つわけではなく、多くの外来をこなすことよりも、患者さんの話をじっくり聞き、診断・治療を行い、必要に応じて専門の医師を紹介することを役割としています。勤務医時代・開業医時代を通じて、新潟市を中心に過ごしてきたため、周辺の医師や医療機関とは互いに顔なじみで、交流もあります。そうした点でも、ここは適していると考えました。開業してまだ日が浅く、ビルの5階にあるため認知度は決して高くありません。しかし、ホームページをご覧になって初めて訪れる方や、以前診ていた患者さんがお越しくださることもあります。久しぶりのクリニック現場ですが、私自身も安堵しています。

まずは会話を。患者のストーリーから治療の糸口を探る

主にどんな症状の方を対象に診療されているのかお聞かせください。

谷澤龍彦院長 萬代整形外科クリニック3

簡単にいえば、痛みがある、歩けない、手が使えないなど、運動器官の異常はすべて診療の対象となります。腰、膝、首、肩、手足の痛みやしびれ、骨折、捻挫、傷、交通事故による外傷、関節リウマチ、骨粗しょう症の治療まで、幅広く対応しています。たいていの急性炎症は3週間ほどで自然に痛みが軽減しますが、それ以上長く改善しない場合は、何か原因がある可能性があります。その際は、ぜひクリニックへご相談ください。

診療にあたって大事にしていることは何ですか?

とにかく、患者さん本人にたくさん話してもらうことを大事にしています。時には、少し疲れるくらいに。忙しい医療現場にいた時にはなかなかできなかった診療スタイルですが、ここでは患者さんに思う存分話してもらいます。ひとしきり話してもらうことで、症状の原因の糸口が見えてくるからです。院内にはエックス線撮影装置やCR(画像デジタル処理)システムなども備え、必要に応じて検査を行うことができますが、まず検査ではなく、まず会話から。これを基本に、会話の中からじっくりと症状の原因を探っていきます。

医師として大切にしている信条を教えてください。

谷澤龍彦院長 萬代整形外科クリニック4

診断にあたって見落としはないか。治療法は本当に正しかったか。私は常に、第三者の視点で自分を見つめることを忘れないようにしています。複数の医師がいれば、一人の医師の判断に違和感があれば、周囲が気づくことができます。しかし、開業医のほとんどは個人で診療を行うため、自分の中に「第三者の視点」を持つことが必要です。一人では、思い込みによるミスが起こることもあります。診療方針がある程度固まっても、「本当にこれがベストなのか」と問い続けること。それこそが医療の本質ではないでしょうか。真実にどれだけ正確に、ミスなく迫れるか。一人で完璧にできる人は神さまかもしれません。でも、神さまはいない。だからこそ、常に恐れを持ち、慎重であることを忘れないようにしています。

体が動く限り、医療現場の一翼を担い続ける

医師をめざしたきっかけや医学部時代についてもお聞かせください。

谷澤龍彦院長 萬代整形外科クリニック5

正直に言うと、医師になる強い希望があったわけではありませんでした。ただ、漠然と「会社勤めは避けたい」という思いがありました。1960年代後半、高校時代は夢中で音楽を聴いていて、ジャズをはじめ、フレンチ・ポップス、イギリスのロックバンドもリアルタイムで追いかけていました。彼らの自由な空気に影響を受けたことが、会社員を選ばなかった理由の一つかもしれません。自分の裁量でできる仕事がしたかったこと、そして理系の進路として医師が最も堅実だったこと。それが正直なところです。4歳上の兄が小児科の医師になったこともあり、医療に進む人が身近にいた影響もありましたね。新潟大学医学部に入学し、学生時代は仲間とジャズバンドを組み、ダンスパーティーのバック演奏をしていました。講義をさぼって雀荘に行くこともあり、決して真面目な学生ではありませんでしたが、ともに医師をめざした仲間たちの存在は自分にとって大きなものです。

50年近いキャリアの中で、さまざまなご経験をされていると思います。

新潟大学医学部卒業後は、同学の整形外科に入局し、浜松医科大学麻酔科や長岡中央綜合病院で研鑽を積みました。米国ユタ大学医学部への留学も経験し、その後、新潟大学附属病院で講師として10年間勤務。外来診療や臨床の現場に加え、研究や学生指導にも追われ、本当に多忙な時期でした。しかし、佐渡島で疫学調査を行い、「活性型ビタミンD3投与による大腿骨頸部骨折の発生抑制」について発表できたことは幸運でした。その後、信楽園病院で整形外科部長を務め、2004年に独立して谷澤整形外科クリニックを開業。20年近くの開業経験は本当に楽しく、大規模病院では診られない小さな外傷から救急搬送されるような大きな外傷まで、幅広く診療しました。

今後のクリニックの展望や、ご自分の使命をどう捉えているのかお聞かせください。

谷澤龍彦院長 萬代整形外科クリニック6

これまでの医師人生において、恩師との出会いは私に大きな影響を与えてくれました。故人となった恩師は、常に先進の英文ジャーナルをチェックし、勉学を怠らず、手術の腕も見事でした。もう一人の恩師は、現在も現役でリウマチ関係の外来を担当され、揺るぎない信念で疾患に立ち向っています。尊敬する諸先輩方の背中を追い、私自身も体が動く限り患者さんの一助になれれば幸せです。このクリニックで、マイペースにじっくりと診療を続けていきたいと思います。

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