全国のドクター13,609人の想いを取材
クリニック・病院 157,059件の情報を掲載(2025年4月26日現在)

ドクターズ・ファイル会員でできること

予約情報をマイページ上で管理できます!

過去の予約を一覧化

予約内容の確認

予約の変更・キャンセル※

※一部対象外の医療機関もありますので、あらかじめご了承ください

会員登録がお済みでない方は

すでに会員の方は

  1. TOP
  2. 東京都
  3. 台東区
  4. 根津駅
  5. さくら診療所
  6. 村上 敦子 院長

村上 敦子 院長の独自取材記事

さくら診療所

(台東区/根津駅)

最終更新日:2025/01/28

村上敦子院長 さくら診療所 main

東京メトロ千代田線・根津駅から徒歩3分。街並みに溶け込むようなたたずまいの「さくら診療所」は、2024年12月に開院したばかりのクリニックだ。優しい語り口と笑顔が印象的な村上敦子院長は、東京大学医学部附属病院物療内科をはじめ、鍼灸や免疫、腫瘍の分野で研鑽を積んできた。幼少期からヤングケアラーとして家族の介護を一人で担ってきた経験を持つ村上院長は、患者の体の痛みだけでなく、心の痛みにも寄り添う診療を心がけているという。同院の開院に至るまでのさまざまな経験や、患者への思い、村上院長がめざす医療のかたちを聞いた。

(取材日2024年12月23日)

家族の介護を経て、導かれるように開いた医師への道

医師をめざされたきっかけを教えてください。

村上敦子院長 さくら診療所1

子どもの時に家族や親戚が相次いで病気になり、12歳の頃から介護生活が始まりました。自宅よりも病院にいる時間のほうが長かったので、当時の医療の不足している部分をたくさん見てきました。そのうちに、だんだんと悔しくなってしまったんです。ちょうどその時期に大学で栄養学を学んでいたのですが、そこの恩師に医師免許を取るよう勧められ、医学部に移りました。単位は順調に取れていたものの、家族の介護や看取りがあって、卒業するまでも紆余曲折がありましたね。ですが、そんな中でも素晴らしい先生方に恵まれて、サポートしてくださいました。ですから家族のことでどんなに大変な状況にあったとしても絶対に「NO」とは言わないと決めていました。医師になるという確固たる決意があったというよりも、いろんな方々との関わりを通して、導かれるままに医師になったという感じです。

以前も同じ名前の診療所を開院していたそうですね。

1995年、東京大学医学部附属病院の物療内科や、筑波大学理療科教員養成施設の仲間たちとともに、文京区の小石川に最初の「さくら診療所」を立ち上げました。当時は夜に診療を行う病院が少なく、また往診も定着していませんでした。ですから、夜間診療と往診を行う診療所が必要だと思ったんです。東京大学医学部附属病院の仕事をしながら夜間診療と往診を行っていたので、目の回る忙しさでしたね。年末年始やお盆には、障害者支援施設から帰省してきた子どもたちの往診もしていました。ですが、往診に伺う家の患者さんやご家族が本当に良くしてくださり、また当時のスタッフにも恵まれて、皆さんに支えていただいたので頑張れました。

今回のさくら診療所の開院の経緯を教えてください。

村上敦子院長 さくら診療所2

前身のさくら診療所の後、長らくアメリカで生活していました。帰国する頃には以前一緒に働いていた医師の方々が教授になり前線を退かれていて、後継者不足が起こっていました。また、帰国後非常勤で勤めていた医院を辞めることになり、患者さんたちから「去らないでほしい」との要望も受けていました。私は、医療の技術を受け継いでいくこと、そしてさまざまな理由で医療の現場から漏れてしまい、行き場を失った患者さんを受け入れることが医師としての責務だと考えています。何かあったときに相談できる相手として、私がこの場所にいるだけで安心される患者さんがいます。後継者の育成をしながら、あらゆる状況におられる患者さんを受け入れるため、新たにさくら診療所を開院しました。

がんを治すのではなく「付き合っていく」という考え方

1997年に渡米し、ジョンズ・ホプキンズ大学で学ばれたそうですが、なぜでしょうか。

村上敦子院長 さくら診療所3

往診中に交通事故に遭って頸椎を損傷し、車いすを使う生活になってしまったんです。当時の日本で医師が車いすで勤務するのは難しかったこと、また国内ではこれ以上治療できないと言われたことがきっかけとなり、治療のためにアメリカへ渡りました。そんな中、私が学んできた内容や単位の多さを買われ、治療を受けていた大学にそのまま入学することになったんです。卒業後は、米国内外から来院されたがんや難病の方々に、診療プログラム作成、治療のアドバイスまですべて行う「コンシェルジュ」として大学病院で働きました。当時の同僚の方々は、体調に合わせて車いすと歩きを使い分ける私の状況も理解してくださり、受け入れてくださいました。アメリカでのコンシェルジュとしての経験が、今の診療にも生きていると思います。

前身のさくら診療所やアメリカでのご経験を生かし、現在はがんの治療もサポートされているそうですね。

がん細胞は、健康な方でも毎日つくられます。しかし、免疫細胞が頑張ってがん化を防いでいるのです。私はもともと免疫や腫瘍が専門ですので、免疫を高めるさまざまな方法をアドバイスしています。魔法使いではないので、がんの発生を止めることはできません。しかし、早めにその方の発がん率を察知したり、生活習慣の改善をアドバイスしたりして、少しでもがんの発生を遅らせられるよう尽力しています。当院は専門クリニックや各大学病院とも密に連携しているため、患者さんが発症した場合は専門の病院へつなげ、治療のバックアップを行っています。がんには、未病の方もいればステージ4の方もいて、人それぞれのステージがあります。患者さんの状態において、最善の医療を施せるよう心がけています。その方にとってどれが一番良い生き方か考え、医療のパターンを提案しています。

先生が思う、がんとの付き合い方についてお聞かせください。

村上敦子院長 さくら診療所4

「がんを倒そう!」と思ってつらい治療に耐えておられる患者さんは大勢いらっしゃいます。でもそうすると、だんだんと疲れてしまうんですね。ですので、患者さんがご自分を追い込まないよう、がんは治す病気でなく付き合う病気だとお伝えしています。がんは体の中の一部の変化ですから、受け入れた上で余分なものを取っていきましょうという考えです。また同時に、がん治療には全身管理が欠かせないとも考えています。血液中に含まれるタンパク質の一種であるアルブミンを低下させないこと、ヘモグロビンの減少を抑えること、肝臓の負担を減らすようにケアすること、こうした全身管理を念頭に置き、患者さんと一緒にがんと付き合っていけるよう尽力しています。

患者の人生をサポートできる診療所をめざす

先生の診療ポリシーを教えてください。

村上敦子院長 さくら診療所5

患者さんは病気で悩んでいるだけでなく、病気になる前から心につらさを抱えています。それを察しながら治療をしなければいけないと考えています。それは、私自身が介護をしていた際、誰にも相談できず苦しんだ経験があるからです。そんな中で、親代わりになってくださったたくさんの先生方に支えられ、育てられて今があります。医師になった後は、大勢の患者さんやそのご家族が友達のように、親戚のように接してくださいます。皆さん、私に「ありがとう」と言ってくださいますが、助けてもらっているのは私のほうです。いつも患者さんに助けられているから、医師として生きていけているのだと思います。その感謝の気持ちは、今後も持ち続けていたいですね。

今後の展望や、めざす診療所像を聞かせてください。

地域医療はこちらから積極的に患者さんを獲得するのではなく、ゆったりと構えて、患者さんがご自身のタイミングでいらっしゃるのを待つことが大切だと考えています。何かあったときに気軽に相談に来られるような診療所でありたいですね。また、採血による新しい検査方法も紹介していけたらと考えています。現在は、採血によって認知症の度合いを数値で測ることができるんですよ。採血とMRIを組み合わせることで、より細かく認知症の進行度を調べられたり、発症を防げるかといった判断ができたりします。加齢を止めることはできませんが、穏やかに年齢を重ねてほしい、そのサポートをしたいと常に考えています。血液検査を通して、家族や患者さんご本人の不安を取り除けられたらうれしいですね。

最後に地域の方々にメッセージをお願いします。

村上敦子院長 さくら診療所6

私は鍼灸を中心に、東洋医学も学んできました。人間は、心と体を一緒に診なければいけません。同じ医師の皆さまには、東洋医学と西洋医学を分けて考えるのではなく、垣根を超えて協力していく大切さをお伝えできたらと思います。また、患者さんには、何か困ったらいつでもご相談くださいとお伝えしたいですね。心と体の痛みを追究しているのがこの診療所の特徴です。些細なことであっても、その方にとっては重要な悩みかもしれません。皆さまが自分らしく生きていけるよう、最善の医療選択のお手伝いができたらと考えています。小さな診療所ですが、気軽にいらしてくださいね。

自由診療費用の目安

自由診療とは

MCI(軽度認知障害)スクリーニング検査/2万5000円

Access