平野 雅幸 院長の独自取材記事
ひらの眼科
(丸亀市/丸亀駅)
最終更新日:2025/01/14

丸亀市郡家町で、2024年10月に開業した「ひらの眼科」。真っ白な壁が空にせり出すようなデザインは斬新で、県道からも目を引く。同院は大学病院水準の機器・設備を導入し、白内障や網膜硝子体疾患、緑内障、また眼瞼下垂などの日帰り手術に対応する「目とまぶたのクリニック」だ。院長の平野雅幸先生は、爽やかではつらつとした印象。白内障や網膜硝子体疾患の手術治療を専門としており、同分野での研究実績も多い。「今は培ってきたスキルを生かしながら、やりがいのある日々を送っています」と笑顔で話す平野院長に、開業までの歩みや手術のポリシーなどを聞いた。
(取材日2024年11月27日)
網膜硝子体疾患をはじめ、眼科医療を幅広く経験
医師をめざしたきっかけを教えてください。

高校の教師をしていた父が、医学部に行ってはどうかとアドバイスしてくれました。自分の教え子がどんな大学へ行って、どんな人生を送るのかを見届けてきた父の言葉には説得力がありましたね。医学部は医師になるための勉強をする場所。明確なゴールに向かって、その勉強に専念するのも良いと思い、医学部を受験しました。私は医師になれて良かったと思っていますし、あの時医学部を勧めてくれた父には今でも感謝しています。進学先として選んだのは、移植医療などの先進的な医療に積極的に取り組んでいた、岡山大学の医学部です。診療科は手術のある科を検討し、最終的には眼科を専門に選びました。人は8割以上の情報を視覚から得るといわれていますので、情報源として不可欠な目の診療は、とても意義があるものだと思いました。伝え聞いた話によると、私の曾曽祖父も眼科の医師だったようなので、そういう意味でも眼科との縁を感じています。
眼科の医師として、どんな場所で勤務されたのですか?
岡山大学病院を経て、岡山済生会総合病院に2年間勤務しました。この病院では、医師としても人としても尊敬できる先輩医師に出会い、この先生の専門分野だった網膜硝子体疾患に興味を抱くようになりました。その後は大学病院へ戻り、網膜硝子体疾患を研究テーマとして大学院の博士課程を修了。医師11年目の年には、より幅の広い診療経験ができる場所で自分を鍛えようと、兵庫県の姫路赤十字病院に入職しました。播磨・姫路地域は多くの人口を抱えているにもかかわらず、大学病院が存在しない地域です。中核的基幹病院の眼科部長として、白内障や網膜硝子体疾患、緑内障などの手術治療を中心に6年間、研鑽を積みました。
姫路では、未熟児の治療なども経験されたそうですね。

姫路赤十字病院は総合周産期母子医療センターに位置づけられていましたので、一般的な病院ではなかなか診ることがない、未熟児網膜症などの治療も経験することができました。プレッシャーは相当なものでしたが、自分のキャパシティーを拡大し、医師としてもう一段、高みへ上るという意味では貴重な経験になったと思います。網膜症の治療が必要になるような、体重が5、600gもないような赤ちゃんが5歳、6歳と成長していく姿を見ると、心を揺さぶられました。
印象的な患者さんとのエピソードがあればお聞かせください。
「地元に網膜剥離の治療を行う病院がない」という理由で、お住まいの鳥取県から岡山大学病院に来られ、私が治療を担当した方がいらっしゃいました。その方は私が姫路の病院に移ると、姫路にも6年間通って来られて、さらに今日、この丸亀にも足を運んでくださったんです。改めて信頼されていることを実感すると同時に、「最後まで責任を持って診させていただきたい」という思いが強くなりました。最後まで患者さまに寄り添うという、かかりつけの眼科医師としての使命を、これからは故郷・四国のこの場所で果たしていきたいです。
「負担の少ない日帰り手術」をポリシーに
開業から約1ヵ月半がたちましたが、ご感想はいかがですか?

ありがたいことに来院者数は非常に多く、この地域における眼科医療のニーズを肌身で感じ取っています。私は宇和島市の出身なのですが、香川県は愛媛県や岡山県、兵庫県と違って市や町の垣根が低く、丸亀市の周辺地域も含めて、広範囲から患者さまが来られています。ご高齢の方が中心ですので、主訴としては白内障や緑内障、あとはドライアイの方が多いです。他院の先生から、網膜剥離のような難治性疾患の方をご紹介いただくこともあります。日帰りの手術も、主だった疾患は一通り実施しました。一番多いのは白内障、その次が網膜硝子体疾患。緑内障は少ないので、その次に多いのはまぶたですね。私の手術のスキルは、主には重症の方を対象としたものですが、開業してみると重症患者さまの来院頻度も高く、やりがいを感じる日々です。
診療では、先進の医療機器も扱われているとか。
そうですね。例えば眼球の奥にある血管や網膜などを観察する場合、通常は特殊な目薬を点眼して瞳孔の拡大を図る「散瞳(さんどう)検査」を実施するのですが、当院では走査型超広角眼底撮影装置、通称「広角眼底カメラ」を導入しています。ですので、視界がぼやけて車の運転ができなくなる検査を行う必要がありません。その他にも、OCT(光干渉断層計)という網膜の断層画像を撮影する装置に関しては、高精細な画像解析が可能な機種を導入しました。これは黄斑前膜や黄斑円孔、網膜剥離などに代表される網膜硝子体疾患、また緑内障などの精密な診断に役立っています。
さまざまな手術を行うにあたって、心がけていることを教えてください。

当院は「負担の少ない日帰り手術」をポリシーに掲げており、手術を受ける患者さまの不安を取り除けるよう、スタッフ全員がホスピタリティーの精神を心がけています。限られた時間の中でもわかりやすくご説明するため、手術を受ける患者さまには説明用の動画と、その動画の二次元バーコードをご用意します。当日一緒に来られなかったご家族の方にもご覧いただき、手術に対する皆さまの理解を促すためです。また通院の頻度も、安全性に配慮しながら最低限に抑えています。眼科の手術は、車で受けに来て、車で帰るということができません。タクシーで来院したり、ご家族が仕事を休んで車を出したりといった通院の負担がどうしてもネックになりますので、こちらで寄り添える部分は努力しています。さらに術中は極力、傷口を小さくすること、できるだけ短時間で終わらせることの2つを念頭に、患者さまの負担軽減に努めています。
高度な医療水準を保ち、臨床と研究の二刀流で研鑽
まぶたの手術にも対応されていますね。

まぶたの手術は今まで深く勉強する機会がなかったのですが、診療範囲は広く持つべきだろうと考えて、開業準備と並行して東京のクリニックに修行に行きました。修行先のクリニックは群馬県にも分院がありましたので、開業前の約1年間は、夕方まで群馬で診療してから丸亀に帰るという日々。この頃は「日本って小さいな」と思いながら過ごしていました(笑)。無事に修行を終えた今は、まぶたの症状や疾患でお困りの方にも対応することができています。
お忙しい毎日だと思いますが、休日はどのように過ごされていますか?
子どもや妻と過ごす時間と、テニスをする時間が息抜きです。テニスは、可能であれば週に1回以上という頻度で楽しんでいます。いずれは地区の大会にもエントリーしたいですし、この地域でテニス仲間もつくりたいですね。テニスは10代の頃に始めましたが、ラケットを手に汗を流していると、心も体も、頭も引き締まります。自分に自信を持って、さらにいろいろなチャレンジができる気がしています。
今後の展望と、読者へのメッセージをお願いします。

当院は一般眼科疾患の診療から先進の医療までマルチに対応し、多くの方々に安心と信頼を届けられるようなクリニックを、今まさに築き上げようとしています。高度な医療水準を保てるよう、新しい知識や技術はどんどん身につけながら、「眼科の日帰り手術ならここが安心」と地域の方々が思えるようなクリニックをめざします。また開業すると、論文発表などから遠ざかる医師がほとんどだと思いますが、私は研究活動も続けたいと考えています。新しい論文も発表したばかりですし、最近では眼科の医師に向けた教科書も執筆しました。臨床と研究の二刀流で、積極的に手術を行いながら研究発表も継続する、そんなエネルギッシュな医師が理想です。目とまぶたのお困り事があれば、どうぞ当院までお声がけください。大学病院そして基幹病院での実績を生かして、皆さまのお役に立ちたいと思います。