森 照茂 院長の独自取材記事
ぜんつうじの森クリニック
(善通寺市/金蔵寺駅)
最終更新日:2025/01/15

高度な専門性を発揮する医師が一堂に会し、耳鼻咽喉科・形成外科の日帰り手術と日帰り全身麻酔を可能にしたクリニックが、善通寺ICのほど近くに誕生。2024年11月に開院した、「ぜんつうじの森クリニック」だ。院長の森照茂先生は耳・鼻・喉の手術治療を数多く経験し、頭頸部がん治療においても深い造詣を持つ、耳鼻咽喉科のエキスパート。麻酔科・ペインクリニック内科の森伊千恵先生と形成外科の玉井求宜先生がそのサイドを固め、四国香川の地に前衛的な医療を届け始めている。地域医療の次なる担い手、森院長を取材した。
(取材日2024年11月14日)
門戸は広く、専門性は高く。あらゆる患者を受け入れる
まるでカフェのような建物ですね。

誰もが通いやすいようにと、初めからカフェ風の外観を意識していました。建設中は、某コーヒーチェーン店ができるのではないかとうわさになったそうです(笑)。内外観からインテリアに至るまで、VI(ビジュアル・アイデンティティ)デザインはすべて地元のデザイナーさんに依頼。丸みを帯びたロゴマークは、「森」という文字の3つの「木」を、それぞれ耳・鼻・喉をイメージした形にデザインしていただきました。
クリニックの特徴を教えてください。
日本専門医機構耳鼻咽喉科専門医の院長が、主には耳や鼻の日帰り手術を。日本専門医機構形成外科領域専門医の非常勤医師が、眼瞼下垂や外傷などの日帰り手術を行います。手術では日本専門医機構麻酔科専門医で医長の妻が、日帰り全身麻酔を提供。耳鼻咽喉科・形成外科の2分野で、日帰りの全身麻酔・手術を実施するクリニックはそう多くありません。豊富な実績を生かして、口・喉・首のがんの診断や甲状腺疾患の診療を専門的に提供し、さらに体の痛みを取り除くことを目的とした、ペインクリニック内科の治療を行っていることも大きな特徴ですね。
日帰り手術が可能なクリニックを作った理由とは?

大学病院での手術件数はどうしても限定され、早期対応を求める患者さんのニーズが置き去りになりがちです。そのニーズをきちんと拾い上げ、地域に還元したいと考えました。お悩みを抱えた方々を幅広く受け入れるため、クリニック名にはあえて「耳鼻咽喉科」を入れておりません。門戸は広く、専門性は高く。そして最適な医療を提供することをモットーに、香川県の地域医療を支えていきたいと思います。ではどうしてそのように思い至ったのか、ここからは私の医師人生についてお話しさせてください。
多くの師と出会い、経験を積み重ねた勤務医時代
それでは早速。先生は香川県のご出身だそうですね。

観音寺生まれの丸亀育ち、小学生時代は角材や木刀を持って周辺パトロールに励むような、非常に元気のいい少年でした。子どもながらに「そろそろ環境を変えて、自分を変えるべきでは」と思い立ち、岡山県の全寮制の中高一貫校へ入学。何かあったら、できたばかりの瀬戸大橋で逃げ帰ればいいと考えていたのですが、これが実に厳しい進学校で、なかなか壮絶な10代を過ごしました。辛酸をなめ合った同級生の医学部進学率は、言わずもがなです。私はというと、父の夢だった弁護士という選択肢もありましたが、最終的には医師の叔父の影響を受けて、医学部へ進んだ兄と姉の姿を見て、地元の香川医科大学(現・香川大学医学部)へと進学しました。
その後の歩みをお聞かせください。
親友に誘われて行った3週間の希望科実習が決め手となり、最終学年で、当初予定していた消化器外科から耳鼻咽喉科に転向。医師1年目の年には、麻酔科や救命救急センターでも経験を積みました。その後は、香川大学から赴任した院長先生が抜本的な経営改革を行っていた坂出市立病院へ。院長先生から直接、医療経済や地域医療について教えられるとともに、耳鼻咽喉科の部長からこの科の基礎を叩き込んでいただきました。医師、医療のあるべき姿について学んだ坂出市立病院には、退職後も継続的に医療支援に行っていましたね。その次に勤務したのは、約900床の大阪赤十字病院です。何も知らずに、誘われるまま行ったこの病院で、私の医師人生は大きく変わったと思います。
どんな病院だったのでしょう?

当時の大阪赤十字病院には、世界クラスの実績を持つ耳の手術の先生と、音声障害領域の草分け的存在から、その治療技術を受け継いだ先生がおられました。つまり私は、耳と声の手術のエキスパートに師事することができたんです。さらに耳の手術を希望する先輩医師が多かったことから、耳以外の手術はほぼすべて担当。「声をかけられるうちが花」「だから、ハイとイエスしか言うな」という父の教訓を胸に育ちましたので、むしろチャンスと捉えて手術に励みました。たった1年、されど1年。短くも濃密な時間を過ごした後は、大学の恩師の指示で帰郷しました。
それからもう一度、大阪に行かれたそうですね。
耳の研究で博士号を取得し、大学で臨床を再開した後も、やりたいことが無限にあったんです。自分の力量を伸ばせる場所を求めてNTT西日本大阪病院(現・第二大阪警察病院)に渡り、頭頸部がん治療の基礎を学びました。厳しくも情に厚い師匠の下で、世界標準の治療にふれながら内視鏡手術の手技を身につけ、プレイヤーとして輝く日々を送っていた矢先のことです。またもや大学の恩師から帰郷を促され、初めて嫌だ、ノーと言いました。すると恩師の配下の先生が大阪まで来られて、「自分の部下として帰って来い」とおっしゃったんです。ここで断れば男がすたると、再び香川に戻ることを決意しました。
「医師」として、患者の道標になりたい
帰郷後は、がん患者さんの受け入れ体制づくりに励まれたとか。

当時の香川県には、頭頸部がん治療に対応する医師が非常に少なく、多くの県民が県外で治療を受けていたんです。「これからは地域の皆さんに貢献できるよう振る舞え」と師匠に諭されて帰郷した私は、自分が出向くことで、この現状を打破しようと決心しました。大学病院の病棟を回りながら、「困り事があれば連絡を」と声をかけ、さらに大学の出前講義システムを使って、頭頸部がん治療に不安を持つ先生方に実習形式で終末期のケアを伝授。講義後は大学病院の協力を得ながらホットラインを作成し、「何かあれば自分が48時間以内に解決するので、終末期のがん患者さんを地域でも受け入れてほしい」と伝えました。人間の命は有限ですから、人生の最後の時間は、好きな場所で好きな人と過ごすべきだと思います。私は香川に帰ってからずっと、地域の人々を地域に帰していく活動を続けているんです。
看護師の実習制度を整備されたのも、そのためですか?
そうですね。医師の手が回らない状況があるのなら、患者さんの状態に合わせて、よりタイムリーに対応する看護師を増やそうと思いました。厚生労働省が指定した訓練を学校や病院で修了すれば、看護師でも、気管チューブの位置の調整をはじめとした医療行為を実施することができます。昔、父が「自分の傍(はた)を楽にすることが、働くことだ」とよく言っていましたが、特定行為を実施する看護師が増えれば、疲弊する地域の医師の負担は減って、地域医療の活性化にもつなげられるでしょう。そう考えた後は特定行為を行う看護師の養成システム構築に奔走し、当院にも、この特別な訓練を積んだ看護師を配置しています。
先生が開業を決められた理由とは?

私は地域医療支援に励みつつ、フロントランナーとして、ロボット支援手術をはじめとした高度先進医療に力を注いできましたが、地域医療の土壌が徐々に育っていく中で、大学病院での自分の役割を終えたと思うようになったんです。今後は、耳鼻咽喉科が特に不足している地域で開業医になって、地域医療を支えよう。そう考えた時に、他でもない、自分の故郷が思い当たりました。私が還元できる場所は、ずっと自分の足元にあったんです。
第2の医師人生のスタートですね。
私たちは「医者」ではありません。技術や知識を常に最新のものにアップデートしつつ、人を導いていく“師”、つまり「医師」であるべきだと考えます。これは看護師も同様で、同じ“師”を持つ者同士、患者さんを導いていかなければなりません。診察では患者さんの声に耳を傾けること、お話を「聴く」ことを大切に、その方の真の訴えを理解できるよう努めます。日帰り手術を受けに行く距離の基本は、片道45分。この場所ですと、香川県全域をほぼカバーすることが可能です。これからはかかりつけ医として、診療科にはこだわらずに患者さんを受け入れながら、香川県全域の皆さんの道標になりたいと思います。