橋本 清利 院長の独自取材記事
由比ガ浜総合診療クリニック
(鎌倉市/和田塚駅)
最終更新日:2024/09/30

2024年4月に橋本清利院長が由比ガ浜内科クリニックを承継して開院した「由比ガ浜総合診療クリニック」。やわらかい光の入る院内は懐かしさを感じさせる。「まずは診療が優先で、追々リフォームも考えています」とほほ笑む橋本院長。アメリカの大学で心理学と生物学を学んだ後に日本の医学部へ学士編入し、卒業後は外科や乳腺外科を経て、訪問診療にも携わってきた。同院でもその経験を生かし、外来診療と訪問診療の両輪で「地域医療の窓口」をめざす。開院に至るまでの経緯や橋本院長ならではの地域住民との関わり方、そして今後の展望について聞いた。
(取材日2024年6月12日)
地元鎌倉での地域活動による縁が結んだ承継開院
承継開院に至った経緯を改めて教えてください。

鎌倉に居を構えて5年になります。せっかくなら地元の人たちと交流し、地域に貢献したいと思い、月1回の自治会の清掃活動に参加し、2023年4月からは自治会の理事も務めています。当時私は外科から訪問診療に場を移して、この先2年をめどに内科も勉強していこうと考えていたので、承継を想定するようになりました。自治会に参加している際のご縁で、こちらの場所の継承のお話をいただきました。そこで前院長と相談した後、今年の4月に開業しようと決め、10月にそれまで働いていたクリニックを退職し、半年で開院準備を整え、開院しました。
スピード開院だったのですね。先生はもともとクリニックを開業したい気持ちをお持ちだったのですか?
もともとは、開業はリスクが大きいと考えていました。院長1人ですと、仮に自分が体調を崩したときに診療はどうなるんだと。ですので、勤務医で医師人生を全うしてもいいかなと思っていました。ただ、40代も半ばに差しかかったので、もともと興味のあった総合診療を見越して、外科のみならず内科も含め、幅広い疾患に対応する訪問診療に場を移しました。そうすると今度は勤務医としての限界が見えてきました。雇用されている立場ですと、自分の考えとは異なることでも従わなければならないこともありますし、最終的に医院の方針を決定するのは経営者です。承継のお話をいただいた時は、開業することと勤務医として人生を全うすることを天秤にかけているさなかでした。ですので、開業はタイミングが良かったに尽きますね。
外科・乳腺外科を経て、内科や訪問診療というように、診療科を変えることにハードルはありませんでしたか?

総合診療やER(救急科外来)に興味があったので、1つの診療科に特化せずに総合的に初期の診断をしたいという思いはずっと持っていました。初めから広く、深く診られれば理想的ですが、何でも診られるけれど、一つ一つの診療が中途半端であれば意味がありません。そこでまずは外科の道を選びました。外科の治療や処置は外科でなければ行えないからです。外科の技術や知識を身につけてから内科の疾患を勉強しても遅くはないと思っていましたし、外科にいた時から全身管理を意識していたので、診療科を変えることにハードルの高さは感じなかったです。
鎌倉在住ならではの地域貢献の仕方を模索
どのような診療ポリシーをお持ちですか?

あらゆる垣根を取り払うことを意識しています。生まれてから最期まで途切れなくそれぞれの患者さんと関わっていきたいと思っています。ですから、外来診療と訪問診療によるつなぎ目や垣根も取り払いたい。歩ける時は外来診療へ来ていただき、歩けない時は訪問診療といった切り替えも当院なら可能です。高齢になると血糖値や血圧が高くて薬を飲み続けている方もいます。そこには生活習慣や食生活が深く関わってきますので、何かあるからクリニックに行くのではなく、調子が良い・悪いに関係なく、日常的に関わっていけるクリニックでありたいですね。高齢の方に限らず、若い方にも頼っていただきたいです。
外来診療と訪問診療を両立するために工夫していることはありますか?
鎌倉は道が狭いですし、観光地ということもあり、恒常的に道が混んでいるんです。一般的に訪問診療を専門にしているクリニックですと、16キロ以内が圏内なのですが、当院の場合は5キロ圏内を訪問診療の範囲にしています。この地域で外来診療と訪問診療を両立するためには、移動に多くの時間は割くことはできません。範囲を絞ることで自転車や徒歩での訪問も可能となり、渋滞に左右されることがなくなります。これが鎌倉ならではの外来診療と訪問診療を両立するための工夫です。
先生が地元の自治会や消防団の活動に積極的に取り組むことで、どういった作用があるでしょうか。

安全確認の一環で近隣を巡回するという自治会活動があります。高齢で玄関先まで出てくることが難しい方がいらっしゃるということを、身をもって知りました。こちらから出向いて初めてわかることで、クリニックにいるだけでは気づけないことです。地元に住み、地域活動に参加して良かったと思ったことの一つですね。地域包括支援センターをご存じなくて、介護やケアが必要な状況なのに、十分なサービスを受けていない人もいらっしゃいます。今後はそのような方を地域包括支援センターにつなげたり、訪問診療が必要な方がいらっしゃったらご紹介していただいたり、行政とも連携して地域の方をサポートしていけたらと思っています。
困った時に頼ってもらえるクリニックに
地域のつながりを大切にしているんですね。

困った時の窓口になりたいと思っています。診療が細分化・専門化されてきたり、いろいろな技術が出てきたりして、「症状があって悩んでいるけれど、どの診療科、どの医療機関へ行ったらいいかわからない」という方も多くいらっしゃるように思います。そういう方がまず駆け込める場所になれたらと思っています。当院で完結できることであれば当院で対応し、当院よりも技術面や通院距離を考慮して適切な医療機関があれば、迅速に紹介します。当院でCTやMRIの検査はできませんが、地域内のクリニックで読影してすぐにご連絡いただけるような体制が構築されていますし、地域の信頼の置ける先生方を紹介することもできます。それぞれのクリニックを分けて考えるのではなく、連携を図って地域の方々を支えていければと思っています。
先生が掲げる「笑顔こぼれるアットホームなクリニック」には、どのような思いが込められているのですか?
乳腺外科にいた時に、つらいことや悲しいこと、不安に苛まれている方をたくさん見てきました。自分より若い人を少なからず看取ってきて、笑顔でいられるばかりではないことを痛感してきました。だからこそ、当院が少しでも余計な緊張や不安を取り除けるような場所になれればいいなと思っています。高齢の方の場合ですと、周りの人が体調を崩していたり、ご自身も出歩けなくなったりして、食事をしたり、会って話をしたりする機会がなくなってきていると聞きます。そんな方々のために、ゆくゆくは診療をしていない週末などにクリニックを開放して、地域の方が集える場にしてもいいかなと思っています。私は本を読むことが好きなのですが、本の素晴らしさも機会があれば発信していきたいですね。
最後に、これからの展望をお聞かせください。

40代半ばにして開院という新たな挑戦ができることをありがたく思っています。乳腺外科にいた時に若い方を看取って、自分もいつ寿命が来てもおかしくないと思うようになったんです。生きている時間は有限です。やれることはやれるうちにやりたいと思っています。アメリカの大学への留学経験があり、外科の医師として医師人生をスタートさせたというと聞こえはいいかもしれませんが、試行錯誤の連続でした。さまざまなご縁が重なって今があると思っているので、自分のできることから一つ一つ地域に還元して、良好な地域づくりに貢献していきたいと思っています。