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田村 文雄 院長の独自取材記事

たむらふみお おなかと内科のクリニック

(熊本市西区/熊本駅)

最終更新日:2023/02/10

田村文雄院長 たむらふみお おなかと内科のクリニック main

熊本市西区の県道28号線沿いにある「たむらふみお おなかと内科のクリニック」。院長の田村文雄先生は、消化器を専門に30年以上診療経験を積んだ後、2022年10月に同院を開業した。院長のフルネームが入るクリニック名、一般的な町の内科クリニックにトイレが7つもあるというちょっと変わった特徴には、実は理由がある。消化器がんを巡る時代の変化とともにキャリアを重ねてきた田村院長。覚えやすい易しい言葉を選んで編まれたクリニック名にも、患者に対する温かい思いが込められている。

(取材日2022年12月15日)

機材に頼り過ぎず、問診や触診で患者をよく観察する

すごく長いのに忘れられない、ユニークなクリニック名ですね。

田村文雄院長 たむらふみお おなかと内科のクリニック1

開業準備中、名称をどうしようかと悩んでいた時に、ロゴのデザインをお願いしたデザイナーさんが考えてくれました。当初案は「ふみお内科クリニック」だったのですが、名前を入れるというアイデアに驚いてしまって。患者さんに安心感を持ってもらえるような、優しくて誰にでも伝わるイメージにしたいので、じゃあもうフルネームにしちゃえという話になりました。2022年10月に開業しましたが、この辺りには内科のクリニックが少なく、近隣のクリニックも最近閉院してしまったので、地域の患者さんもお困りだったようです。熊本駅から徒歩20分ほどの場所ですが、目の前は卸売市場、通り沿いに大きなショッピングモールや飲食店が並ぶ、便利な場所ですね。住宅街に入ると、地域に長く暮らしている高齢の患者さんも、新しく転居されたファミリーもいて、患者さんの層も幅広いです。

診療内容についてご紹介ください。

当院は内科、消化器内科、腫瘍内科、内視鏡内科を扱うクリニックです。そのほかに健康診断やがん検診、各種予防接種、便秘や腹痛の症状がある方、生活習慣病のご相談や管理もお受けしています。内視鏡内科では、大腸内視鏡による日帰りポリープ切除、経鼻による胃の内視鏡検査を行っています。胃の内視鏡検査は経口でも対応可能ですが、経鼻のほうがより違和感や苦痛が少ないからか、経鼻をご希望される方が多いですね。処置を行う際は鎮静剤を用いることで、リラックスしているうちに検査や処置を終えられるように努めています。消化器を専門に30年以上働いてきて、内視鏡は医師になった当初から扱っていますので、これまで経験した検査件数は多過ぎて、もう数えられませんね(笑)。

特に力を入れて取り組んでいるのは、どんなことですか?

田村文雄院長 たむらふみお おなかと内科のクリニック2

勤務医時代から専門としてきて最も力を入れているのは、消化器を中心としたがんの診断です。診察の結果、がんやポリープが疑わしい場合、できるだけ早期にエコーや内視鏡を使って確認します。内視鏡やエコーも昔の機材に比べて性能が上がり、鮮明な画像が得られるようになりました。一方で、昔ながらの触診や聴診もおろそかにせず、患者さんの表情や状態をよく観察するようにしています。おなかの膨らみ具合や硬さなど、触れることでわかる症状もありますから。僕自身が現在、力を入れている取り組みとしては、消化器内科以外の勉強ですね。当院周辺には内科のクリニックが少ないので、地域医療に貢献できるよう、専門外の分野は基本から勉強を重ねているところです。

がん治療の先端の現場で必死に勉強した若手時代

開業までのご経験を教えてください。

田村文雄院長 たむらふみお おなかと内科のクリニック3

長崎の出身ですが、熊本大学医学部に進み、1990年に卒業。最初に勤務したのは熊本大学病院で、昼は大学病院で働いて、夜は当直で救急も担当していました。最初に専門に選んだのは循環器でした。心臓が動いていないと何もできないわけですから、心臓をどうやって動かすのかを学びたかったんです。済生会熊本病院は、患者さんの容態も労働環境もシビアなところで、朝5時からの勤務で睡眠時間3時間という日々が続きました。循環器疾患は朝の発症が多く、救急ではドクターカーに同乗し、患者さんを迎えに行きました。半年後に玉名地域保健医療センターに移りましたが、その時お世話になった部長の専門が消化器だったので、僕も消化器内科の道に進むことに決めました。

忘れられない思い出や印象に残っているご経験はありますか?

医師になって初めて担当した患者さんが重篤な状態に陥った時、「絶対に治すんだ」と僕自身も病院に寝泊まりして診ていましたが、2週間後に亡くなられてしまいました。後から考えると死を避けられないご病状でしたが、大きな無力感に襲われました。その後は玉名地域保健医療センターから東京の国立がんセンターに移ったのですが、抗がん剤の治療法が熊本とは違うこと、徹底的に理詰めで治療を進めることにショックを受けました。先端の現場ですから、とにかく勉強しないと追いつきません。30年近く前なので、当時はまだ、がんは治る病気でもありませんでした。全国の各病院でも治療がバラバラで、それでは良くないということで、日本全国どこに行っても同じ治療ができるよう、胃がん治療のガイドラインを作ろうという時代になっていったんです。

若手医師の頃に、時代の変化を目の当たりにされてきたんですね。

田村文雄院長 たむらふみお おなかと内科のクリニック4

1990年代後半くらいから、国立がんセンターや関係する先生たちが集まって、最初に制作されたのが胃がんのガイドラインでした。それから食道がんや大腸がん、膵臓がんなどに、さらに消化器以外の分野でもガイドラインが制作されていきました。国内初の胃がんのガイドラインができたのは2001年くらいですから、実はまだ20年くらいしかたっていないんですよ。僕自身は、国立がんセンターで働いていた当時、大学時代の恩師から誘われて熊本に戻ることになりました。母校の大学院に入ってがんの基礎研究や抗がん剤の研究に取り組み、2005年に医学博士を取得しました。それから熊本大学病院の消化器内科で病棟長となり、勤務医生活の最後は熊本地域医療センターの消化器内科の部長として働いてきました。

命を預けてくれる患者のために、次世代を考える

開業までの経緯を教えてください。

田村文雄院長 たむらふみお おなかと内科のクリニック5

5年ほど前、55歳くらいの頃から、そろそろ別の道を考えないといけないかなと思うようになり、開業を念頭にちょこちょこと場所探しを始めました。良い場所がなかなか見つからないし、新型コロナウイルス感染症が広がっていた時期でしたから、難しいかなと思って、いったんは開業を取りやめたんです。その後、どうしようかなと思っていた時に、この場所を紹介され、ここで開業することに決めました。大腸の内視鏡検査では、一旦腸の中の便を出す必要があるので、腸管洗浄剤を服用し10回ほどトイレに行かなければなりません。そのためにトイレつき個室を3室作ったところ、最終的に院内のトイレが合計7つになってしまいました。設計士さんからは「この広さでこんなにたくさんトイレがある建物は初めて」と言われましたが、患者さんには安心して、ゆっくりとトイレを使っていただけると思います。

そもそも先生が医師を志した理由を教えてください。

実家はクリーニング店を営んでおり、父は国鉄職員でした。兄が医師になったので、僕も影響されて医学部をめざしたのが、この道に進んだきっかけです。学生時代はテニス部に所属し、朝練・昼練・夕練とあり、勉強も忙しくハードでしたね。テニス部の仲間とは今でも時々会って、テニスをしてからお酒を飲むなどして楽しんでいます。家族サービスは温泉に行ったり買い物に付き合ったりするくらいで、あまりできていないかもしれないですね。子どもは大学を卒業して働いていますが、高校生の頃に「医師にはならない」と宣言し、違う分野に進んでいます。実家の母は94歳になり、施設で過ごしています。新型コロナウイルス感染症の感染予防のため、ガラス越しの面会しかできなくなったのは寂しいですね。

今後の展望と読者へメッセージをお願いします。

田村文雄院長 たむらふみお おなかと内科のクリニック6

60歳を目の前にしての開業ですから、今後15年、20年くらい仕事を続けられたら十分かなと思っています。開業して半年にも満たないのですが、それでも「先生に命を預けます」とまでおっしゃってくださる患者さんも来られるので、いずれ、後のことを見ていただける先生にクリニックを引き継いで行けたらとも考えています。消化器の専門家として長年積み重ねてきた経験を生かしつつ、消化器以外の病気についても知見を広げ、地域医療に貢献していきたいです。腹痛だけでなく風邪でも頭痛でも、体調が悪いなと思ったら、お気軽にご相談ください。

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