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二木 正晴 院長の独自取材記事

ふたぎ歯科医院

(堺市堺区/三国ヶ丘駅)

最終更新日:2023/08/02

二木正晴院長 ふたぎ歯科医院 main

工学部卒業後に医療の道を志し、30歳を過ぎてから歯科医師となった二木正晴院長が2018年9月に開業した「ふたぎ歯科医院」。「過去に存在しない、まったく新しい歯科医院」をめざす同院は、院長自作の資料やパンフレットを多数そろえたり、治療に使う水の衛生管理や院内の空気まで徹底的にこだわったりしている。また、人とのつながりも大切に考えており、同院の歯科医師や歯科衛生士をはじめ、小児科医師、言語聴覚士、心理士が在籍し「チーム医療」を進めているのも特徴の一つだ。「異端児」という言葉がぴったりの二木院長に、同院を開業するまでの道のりや、今後の展望などを熱く語ってもらった。

(取材日2018年9月20日/更新日2023年4月26日)

これまでにない、まったく新しい歯科医院をめざして

同志社大学卒業後に医療の道を志し、東北大学歯学部に進学したと伺いました。

二木正晴院長 ふたぎ歯科医院1

ええ。初めは同志社大学に進学しました。父は小児科の医師で、大学教授を務めたなど「かっこいい」と思える存在でしたが、中学・高校時代の私は勉強をまったくしていなく、自分が医師になるという想像はしていなかったんです。結局、自分では医師をめざすことなく大学へ進学、そして就職活動を始めました。当時は化学を専門的に学んでいたことから、製薬会社を回ることに。その際のグループ面接で、ある学生が「自分は今から医師にはなれないから、製薬の立場から社会に貢献したい」と発言。素晴らしい志だと思う一方、「本当に今から医師になれないのか」と疑問を抱きました。その後、多くの大切な人と相談し、大きく進路変更して医師をめざす決意をしたのです。

思い切った進路変更ですね。

確かにそうかしれません。同志社大学卒業後は本気で努力したので、成績は高校時代には比較にならないほど上がりました。しかし、結局医学部には合格できず、再度進路について考えることに。その結果、歯学の道へ進むことにしたのです。どの大学の歯学部を受験しようかと考えていた頃、東北大学が日本で初めて女子学生の入学を認め、門戸開放をうたっており興味を抱きました。受験の前年には同大出身の化学者がノーベル賞を受賞したとの発表も。取り寄せたパンフレットにはその方のインタビューが載っていて、私が医学部再受験の面接でマイナスの意味で言われた「無謀」という言葉が、まったく逆の良い意味で使われていました。その言葉に感銘を受け、東北大学歯学部への進学を決めたのです。

開業に至るまでの経緯を教えてください。

二木正晴院長 ふたぎ歯科医院2

大学5年生の頃から小児歯科に注力し始めた他に、再生医療に関わる研究を行ってきました。ただ基礎研究者になるだけなら同志社大卒業後でもなれたので、せっかく回り道をして歯科医師を志したからには患者さんを診療する臨床にもこだわりを持とうと思っていたのです。そこで東北大学で勤務していた際は、研究と臨床、どちらにも力を入れていました。さらに、歯学部学生への実習指導や大学院生への研究指導も行っていましたね。その後も医療人としてたくさんの熱い思いを伝えるべく大学に残るつもりでしたが、さまざまな理由から小児歯科を離れ成人を診療する保存修復科へ移籍。そして現在の歯学教育現場を深く知る中で、現状の歯学教育を含め歯科医療そのものを変える必要があるという考えに至ったのです。そこで、これまでにないまったく新しい、大学へメッセージを送れる歯科医院をつくる決意をしました。

異端児だからこそできることを。過去の歯科医療に挑む

開業の経緯を聞き「異端児」という印象を持ちました。

二木正晴院長 ふたぎ歯科医院3

大学再受験や医局移籍など、回り道をしながらいろんな景色を見る中で、「だめなものはだめ」だと相手が誰であれしっかりと声を上げてきました。なぜなら、私には若くして病気で亡くなったり、ずっと病気に苦しんでいたり、大切な家族を亡くしたりする友人がたくさんいます。そういった友人たちのためにも、もちろん地域の患者さまのためにも、私は適当なことは絶対にできないと思ってのことです。適当なことをしたら「お前らしくない」と友人たちは言うと思います。これまでも人生の岐路に立つ時、亡くなった友人が私に語りかけてきました。「お前らしさを曲げるな」と。それこそが医療人として私の原点です。いろんな意味で回り道をした「異端児」にしかできないことを今後もやっていきたいと思います。

その「異端児」ぶりは院内や取り組みに現れているように感じます。

過去に存在しないようなことをやらなければ、大学から離れて開業した意味がないと思っております。それほど大学では臨床と研究に真剣に取り組んでいたのです。研究生活の中で培った「新しいことに興味を持つ力」「わからないことを追究する力」「伝わるプレゼン力」を生かし、自作した資料やパンフレットを多数そろえ、院内でもホームページでも自由に閲覧できる体勢をつくりました。また、治療に関わる水にも着目し、常に消毒された水が使える衛生基準の厳しいドイツ製の歯科ユニットを導入しています。これらの取り組みについてホームページなどを活用し一般の方へも伝えることで、現在の歯科診療について考えるきっかけになったらうれしいです。

他に、こちらの歯科医院ならではの特色はありますか?

二木正晴院長 ふたぎ歯科医院4

小児医療に貢献したいと考え、小児科医師と心理士を雇用し「小児発達相談室」を立ち上げました。子どもの発達に対して多方面からアプローチして、早期診断・治療を行っています。心理士による発達検査も実施するなど、歯科に限らず、健康に関わることなら何でも相談に乗れる環境を整えてました。また、障害があるという理由で診療を断られた方を1人でも多く救いたいという思いから、障害がある子どもの診療にも注力。週に一度、完全予約制の「障害児専門の外来」を設け、一人ずつ時間をかけてクリーニングとフッ素塗布を行っています。障害がある方の治療は、場合によっては全身麻酔が必要など、ご本人の負担が大きくなることがあります。だからこそ予防が重要となるので、将来のためにもぜひ受診していただきたいです。重度の障害がおありの方も診ているので、まずは電話にてご連絡ください。

「ラポール」が合言葉。大切なのは人とのつながり

大切だと考えることは何ですか?

二木正晴院長 ふたぎ歯科医院5

最も大切な財産は「人」だと思っています。大切な人がいてくれれば何度でも立ち上がれると、回り道をする中で感じたからです。実際、当院を開業するにあたり、小学校、中学校、高校、大学のさまざまな友人・恩師から知恵をもらい、大学勤務時代のスタッフや患者さまに応援してもらいました。また、仙台で過ごしていた大学勤務時代に東日本大震災を経験した時も、東北大学病院のメンバーとして医療支援を行う中、自衛隊、警察、消防などあらゆる人が協力し支援する「チームジャパン」を目の当たりにし、人とのつながりの大切さをより実感しましたね。それになぞらえれば、当院は「チームふたぎ」。みんなの思いが詰まった医院だと思っています。今後は大学からではなく、当院からこれまでとは違う形で歯科医療へのメッセージを送っていきたいです。

患者さまと接する時に心がけていることはありますか?

最も心がけていることは「ラポール」、相互の信頼です。例えば同じ内容の説明をしたとしても、患者さまとの距離で伝わり方が変わります。医療がどんなに進化しても、すべての病気を治せるわけではありません。大学で先進の研究をしていたときは、これだけ医学が進んだ現代でもまだ原因さえわかっていない病気がたくさんあることを知りました。特に歯科では細菌が原因となる病気が多いので、医療側だけではなく患者さまのプラークコントロールなどの努力も必要です。患者さまにモチベーションを保って頑張ってもらうためには、私の言葉を信用していただくことが重要だと考えています。私の話を聞いてもらうために、そして患者さまに聞こうという姿勢を持っていただくためにも「ラポール」が大切だと考えています。

今後の展望を教えてください。

二木正晴院長 ふたぎ歯科医院6

現在在籍しているのは小児科医師、言語聴覚士、心理士ですが、今後はソーシャルワーカーや精神科医にも来てもらおうかと考えています。将来的には、当院だけで患者さまにとってより良い医療を幅広く提供していきたいです。また、歯科医療に関わるすべての医療従事者が、本当の意味で「チーム医療」となれる環境づくりをしたいと考えております。さらに、現在の歯学教育や研究の在り方、歯科診療など、歯科に関わるすべてのメッセージを患者さまをはじめとする一般の方々に送り、今後の医療について考える橋渡しになりたいですね。

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