良雪 雅 院長の独自取材記事
いおうじ応急クリニック
(松阪市/徳和駅)
最終更新日:2021/10/12

はるか昔、寺は地域のコミュニティの中心であり、癒しの場であったことに倣い、寺院名をとって医院名にしたと穏やかにほほ笑むのは、「いおうじ応急クリニック」の良雪雅(りょうせつ・まさし)院長。過酷な救急医療現場で疲弊する医師たちを見て、応急診療に特化した、医院を開院した。仲間を救うべく始めた新たな医療の形だが、その根本には不十分な在宅資源や地域コミュニティーの衰退があることに着目し、在宅医療や地域づくりにも注力する。患者はもとより仲間の笑顔を守りたいとの思いで救急医療体制の改善に取り組む院長に、医院の存在意義や今後めざす姿を語ってもらった。
(取材日2020年2月6日)
地域で必要とされる医療資源に注力した事業展開
卒業から開業までの経緯を教えてください。

三重大学医学部を卒業後、見聞を広めたかったこともあり、さまざまな人が集まる東京へ行き、都立病院で研修を受けました。その間、多くの医師が救急医療で疲弊する姿を目の当たりにし、この過酷な環境が今の日本の医療の問題の一つであるという意識を持ち始めたんです。そのタイミングで、以前の松阪市長から、共通の知人を介してお声かけいただき、縁のある土地でもあった三重に戻りました。最初は医師会がやっている休日夜間診療所に知人の医師を派遣する形でやっていたのですが、医師不足によりそれも存続が厳しくなってきました。そこで、行政の方と協議を重ね行政から救急医療対策事業を請け負った個人クリニックとして開院し今に至ります。
応急・在宅・地域づくりが医院の三本柱と伺ったのですが?
当院の理念は「最期まで笑顔で生きられる街を創る」です。「笑顔」で最期まで生き続けるためには、土台の安心感が重要です。そういう意味で松阪市に不足している医療の形は何なのかを分析し、提供する必要があると思いました。その中で最初に始めたのが救急医療。そして、次に不足していることがわかったのが在宅医療でした。また、安心と同時に「笑顔」に必要なのが、自分が誰かに認められているという充実感です。これはまずコミュニティーに属していることが重要です。診療所にはコミュニティーに属することができず孤立している方を見かけることがあります。すべてに対してアプローチできるわけではないですが、孤立している方が少しでも少なくなるように、地域住民を巻き込んだコミュニティーづくりにも取り組んでいます。
応急と在宅の診療に特化した医院というのは、珍しいですね。

まず救急に特化して開院した医院は全国で数件と聞いています。その医院だけで完結する形、入院施設もあってリハビリテーションまで行う形など、その地域が抱える救急医療体制の問題などによって、同じ救急専門とはいえ、かなり異なります。当院はそこまで高度なことを必要としません。二次救急を行う病院はちゃんとあるけど、一次が不足している。あるいは在宅診療がきちんと提供されておらず、発熱患者でも主治医に連絡がつかず救急要請されてしまう。トリアージをしっかり行い、軽症患者や高齢の看取り患者は地域で診て、もっと専門的な患者は二次以上の病院に診ていただく。そこに特化した、新しい形態のクリニックです。
地域住民を巻き込み地域医療の改善を図る
地域の方の意識は当初から変わりましたか?

当院の応急診療部門は普通に営業を行ったら赤字になるため、行政から委託金を受けております。開業直後に市長が代わったことで、この方針も変更されそうになり、委託金が打ち切られそうになりました。この際に市民の方へ相談をしたところ、「この医院は地域に必要だ」ということで、委託金を存続させるための市民運動が起こりました。市民自身が約8000人の署名を集め、50の民間団体の連盟での要望書を市長に提出したことで、市長の考えも変わり、存続することになりました。市民が自分たちで必要な医療を考えて活動した、ということは、この地域にとって財産であったと思います。
そもそも先生が医師をめざされたきっかけは?
親戚には一切医療関係者はいないのですが……。僕がちょうど高校1年か2年の頃にアメリカ同時多発テロ事件がありました。将来何をしようか、自分の仕事として何をするのが一番この先も価値があるのかと考えたときに、人の命がああいうふうに一瞬で終わってしまうような今の世の中においては、やはり自分は人の命を救うということをやりたい。時代の変化などに伴って価値観って揺れ動くものだと思うのですが、人の命を救うということは世の中がどれだけ変わっても常にすごく大きな価値があることだなと。それで医師になることを決心し、医学部に進んだのです。
進学してから、研修で医療の方向性が決まっていったのですね。

ええ、救急の現場では深夜に、37度の熱など緊急性が高くないと考えられる患者さんが運ばれてくることもありました。今となれば、あれも地域のコミュニティー、社会的なセーフティーネットとかが重要だったと思うのです。ただその頃は、仲間たちが疲弊していくのを本当に何とかしなきゃという思いが非常に強かった。そういった気持ちでいる頃に先ほどお話ししたお声かけがあったんです。当時松阪は救急車の出動件数が対人口で1、2を争うほど多い街でした。そういうデータもあり、理解のある市長もいた。市民の皆さんのお力添えで今も何とか診療を続けています。地域の高次病院の受診者件数は開業後1割低下しており、当院の取り組みは、それなりの効果があったかもしれませんね。
医療を受ける側、提供する側、双方の「笑顔」のために
そうやって地域に根づいたのですね。診療の際に心がけておられることは?

的確なトリアージをするということ、そして理念に沿って本人や家族が笑顔でいられることを意識しています。家族が看取りの場面になると延命措置を迷われる方が多いのですが、ご家族とご本人の思いを聞きながら、自分だったらこうするという話をします。あと、やはり重要なのは診療外の地域との結びつきだと思っています。なぜ患者さんがいわゆる「コンビニ受診」をしてしまうのかというと、結構多いパターンは子どもが発熱して大したことはないと思うけど不安で駆け込む。そういうのってお母さん同士でSNSを使って相談し合えば、「様子見でいい」などと、地域でカバーできることがかなりあるんです。高齢者もそう。交流がなく一人で介護していると、ちょっとしたことでも不安になる。そこで、地域のキーパーソン的な方と一緒に自治体の交流会など開催して、集まってお互いの顔を知り合える会なども行っております。
地域で在宅診療を行う医師も不足しているのだとか。
在宅診療についての相談で伺うことが多いのが、「受診している今のクリニックでは在宅診療が受けられない」「在宅診療をお願いするにはどこに相談したら良いの?」といったことですね。どうしたら良いのかわからないので、大きな病院等に受診を続けられている患者さんからの相談をよく伺います。実際、ここから車で40分~50分かかる場所から在宅診療の要請が当院にあり、調べてみると、その周辺には在宅診療を提供できるドクターがおらず、結果的に私たちが行くということも起こっています。このままだと高齢化が進むにあたって、在宅診療を行う医師の不足により地域での高齢者の看取りや治療が提供できなくなってしまうことも考えられます。そのため、在宅診療の現場に興味のある医師と一緒に働きたいと考えており、当院でも積極的に医師の採用を進めています。
最後に今後の展望とメッセージをお願いします。

今後、日本中の医療で最も問題になるのは、病床が削減される中で救急・在宅の医療にいかに対応していくかという話と、地域住民がそれを理解していくかということだと考えています。松阪は実は3つの急性期病院が合併する話も出ており、まさにその最前線にいます。最初にお話をしたとおり、医療を提供しつつ、「最期まで笑顔で生きられる街を創る」ことができるよう、地域住民とも共同し、持続可能な地域をつくっていきたいと考えています。