石賀 丈士 理事長の独自取材記事
いしが在宅ケアクリニック
(四日市市/山城駅)
最終更新日:2021/10/12
四日市市郊外、緑が広がる地域に「医療法人SIRIUS いしが在宅ケアクリニック」はある。全国から見学、研修者も受け入れる、緩和ケアを中心に行うクリニック。石賀丈士理事長は、市全体の在宅や施設での看取り率を高めた“四日市モデル”といわれる体制構築に尽力した一人。「治す」ことよりも「治らない病気の患者に寄り添う」医師として、開業医や訪問看護ステーションなどと連携し、「最期まで住み慣れた場所で過ごしたい」という人々の願いに応える。「好きな言葉は『一日一生』。1日を一生懸命生きる人は、人生に悔いがないと感じます」と石賀理事長。見送る家族には涙とともに笑顔があふれる。開業から10年の今、地域医療、そして患者に対する熱い思いを語ってもらった。
(取材日2019年7月10日/情報更新日2020年3月30日)
祖母の言葉を胸に医師の道へ、そして緩和ケアへ
先生が緩和ケアを主に行おうと考えられた理由について教えてください。
高校生の頃、最初は農学部をめざしていました。でも受験直前に亡くなった認知症の祖母が、生前なぜか「孫は医者になって頑張っている」と言っていて、その言葉が心に残っていたこともあり医学部へ進みました。5年次に大学病院での実習が始まったのですが、末期がんで「つらい」「痛い」と苦しんで亡くなる多くの方を目の当たりにし、自宅で穏やかに亡くなった祖母とのあまりの違いに衝撃を受けました。素晴らしい先生がそろっている病院で「なぜだ?」と独学で緩和ケアを勉強しました。そこで苦しんでいる人たちを助けたいという思いが募り、まずは総合病院で5年間、急性期医療を徹底的に学ぼうと毎晩0時まで働き、人の3倍勉強することに努めました。次に介護や緩和ケアの現場を知ろうと四日市のしもの診療所に勤務、所長を務めました。
それで四日市にご縁ができたのですね。
駅前で開業しようかと考えたのですが、診療所の患者さんたちの猛反対にあい、診療所と近い、何もない野山だったこの場所に開業しました。数人で始めたクリニックが今では非常勤2人を含む医師9人、看護師16人、事務20人、ケアマネジャー3人、管理栄養士1人になりました。スタッフの車と十数台の往診車があり駐車場も必要ですので、結果的にはこの広い敷地で正解でした。開業時、こんな中心地から離れたところで在宅医療なんて無理だと周りから言われましたが、そんな先入観を打ち破り、ここで緩和ケアをメインとする在宅医療の日本一のクリニックをつくろうと志を立てました。
最初は医師一人で大変だったのでしょうね。
在宅医療を教えてくれる人もなく、毎日が試行錯誤。非常に忙しく、高熱が出ても仕事を続けていました。患者さんから「先生、微熱があるんですが」と電話がかかってきた時は「こっちは39度だよ」と(笑)。ついには意識を失って倒れて救急搬送されました。でも「日本一に」と言った以上、やるしかなかった。3年目から賛同してくれる医師が集まり始め、軌道に乗ったのは5年目から。ここを卒業して独立する医師にはノウハウをすべて提供していますので、それも良いことだと思います。
患者を笑顔にする医療は究極のサービス業
先生は「四日市モデル」といわれる、市全体の在宅医療の体制構築に貢献されています。
目的は地域全体を育て、医療の質を上げることでした。当院は、往診に行く機能以外ほぼ持っておらず、訪問看護ステーションなど地域にある施設との連携を大事にしています。四日市市では、開業時に十数箇所だった訪問看護ステーションは現在40を超えています。薬局も、当時は麻薬性鎮痛薬を受けつけてくれるところが少なかったのですが、現在は随分増えました。また、開業医の先生方との「すみ分け」の効果も大きいです。当院が、末期がんや難病の方を担当し、他の先生方には脳梗塞の後遺症の方や認知症の方をお願いする形にしました。現在、四日市の自宅、施設での看取り率は全国平均と比べても高く、地域の力がついてきたと感じています。
在宅医療で心がけておられることはどんなことですか?
私は「医療は究極のサービス業」と考えており、当院全体でそれを心がけています。患者さんの中には、それまでの経験から医療側に不信感を持つ方も少なくなく、当院では、特に初回は時間をかけてお話を伺うようにしています。患者さんの笑顔が見られるまで腰を据え、私などは最長4時間お話ししたことがあります。看護師と、時には事務スタッフも同行し、それぞれにご家族とお話もします。電話もまめにしています。「具合はどうですか?」と言うだけでも安心してくださるようで、夜中の呼び出しが減るなど、こちらにもメリットがあります。
家族の方にとっての在宅医療とは?
患者さんが亡くなったとき、ご家族は深い喪失感と同時に「ああすれば良かった」と後悔の念も抱かれます。在宅医療ではそれをいかに少なくするかに心を砕いています。亡くなるまでご本人が笑顔で過ごすことができたら、ご家族は、悲しいけれども心が少し癒やされるのではないでしょうか。実際「うちで診られて良かった」「先生に会えて良かった」とおっしゃる方もとても多くいますので、在宅医療がそのまま心のケアになっているのかなとも思います。お別れが近づいた時の体の状態についてもあらかじめお話ししておきます。かつて看取った患者さんですが、その日はクリスマスイブで、お部屋にはクリスマスツリーがあり家族が笑顔で集まっていました。子どもたちは患者さんのお口をふいたり、足をさすったり。そんな中で見送ることができるのも在宅医療ならではです。
思いを引き継ぐ次世代の育成にも力を注ぐ
これまでたくさんの方を看取られ、人生についてお考えになることもあるのでは?
当院で担当させていただいている中には、高齢の方ばかりではなく、お子さんや若者、私と同じように働き盛りの父親もいます。いろいろな方に、人生について教えていただきました。私の好きな言葉は、「一日一生」。1日1日を一生懸命生きている人は人生において後悔がないと感じます。体調を調整しつつコンサートや旅行に出かける方もいて、その満足されたお顔を見ることが私たちのやりがいになっています。「いのちの授業」と称して子どもたちに患者さんたちの話をしたり、笑顔の写真を見せたりしているのですが、男の子でも涙を流して聞いてくれて、「先生のようなお医者さんになりたい」と感想を送ってくれる子もいます。家庭から「死」が遠のいている今、生きること、死ぬことについて何かを感じ取ってくれたらと思っています。
育成する人員を受け入れるために新社屋を建設されたと聞きましたが、こだわりや特徴を教えてください。
今まで西日本の方が関東まで行かなくてはできなかった研修を、すべて当院で行えるようにとの思いで作りました。なるべく負担なく研修を受けていただけるよう旧社屋も宿泊施設として改装。外観は研修医が憧れて働きたいと思うような、ホテルみたいな外観にしてほしいという要望だけをしたところ東京でもなかなかないような素敵なオフィスになったと思います。中でも私のお気に入りはみんなが笑顔になってくれる滑り台、小児の難病を抱えている子も多いので、遊園地に行きたくても行けない子どもたちが楽しんでもらえたらと思っています。また、スタッフは毎日死と向き合っているので、せめてオフィスはほっとする空間にしてあげたいという思いでつくりました。カフェスペースを広くとったのはこのためで、医療スタッフやご家族の方が、話をしたり、時には愚痴を話したりもしています。スタッフにも互いに悩みを聞きあったりする交流の場になればと思っています。
先生は次世代の人を育てることにも力を注がれています。今後についてお聞かせください。
10年前に家族の看取りを経験したお子さんが、当時「お医者さんになる」と言ってくれていて、今年「医学部に受かりました」と連絡をくれました。また、看護学校でも「いのちの授業」をしているのですが、それを聞いて当院に就職したスタッフもいます。思いを引き継いでくれる人が育つことはとてもうれしいです。医師の研修も受け入れており、遠くは浜松や京都から1年~1年半毎日通ってくる先生もいるんですよ。これまでの10年を振り返ると7人もの先生が、ここから独立しています、当院で勤務しているスタッフも入れると全国で24人もの医師が”いしが流”で在宅医療を行っています。しかし在宅医療の医師はまだまだ足りません、私はあと10年で50人を育成していきたいと意気込んでいます。