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今井 康久 院長の独自取材記事

ふじみ野眼科

(ふじみ野市/ふじみ野駅)

最終更新日:2022/11/15

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東武東上線ふじみ野駅から車で8分のところに「ふじみ野眼科」はある。今井康久先生は海外留学から帰国後、外科医から眼科医へ転向した異色の医師として、豊富な知識と技術を生かして10施設以上の地域の基幹病院やクリニックの眼科診療の立ち上げや援助をする医療チームを統括した実績がある。現在も全国で毎年非常に多くの白内障手術患者をサポートしながら、眼科診療で困ってる複数の病院やクリニックからの相談を受け、他院での診断内容に対するセカンドオピニオンにも積極的で患者へのわかりやすい説明を大切にしている。「来て良かった」「病気のことがよくわかった」など、明るくなって患者に帰ってほしいと語る今井先生にその診療と地域医療への思いを語ってもらった。

(取材日2022年9月28日)

外科から眼科へ転向。世界の医療現場を知る

医師をめざしたきっかけをお聞かせください。

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子どもの頃の私は恵まれ過ぎて努力や根性とかにはほど遠い性格でしたね。地元の九州で両親が整形外科のクリニックを経営しており、苦労している両親を見ているのもあって、「医師には向いてないのではないか」と思っていました。しかし進学校である久留米大学附設高等学校に合格して入学することができ、特に強い意志もなく医学部を受験し、幸運なことに医学部に入ることができました。「医師になれば就職活動しなくても生活に困らないし、将来の選択肢が増えるからいいか」という程度だったと思います。育った環境と少しの才能、優秀な友人達に恵まれていただけで、語れるようなきっかけや理由などありませんよ。

初めに外科を選んだのはなぜですか?

外科系のほうが内科よりも自分に向いていると思ったこと、唯一、免疫遺伝子学に興味と未来を感じたことですね。大学院に行かせてくれるという条件で当時の総合外科に入局し、外科の医療現場と免疫学の研究室を二足のわらじを履きながら大学院を卒業した後も、免疫学教室で外科のがん患者の組織をもらって遺伝子を見つける研究をしていました。医学を一番面白いと思った時期でもあるかもしれません。なぜなら、免疫学や遺伝子学はすべての疾患、難病の原因から治療に至るまで科を問わず、切っても切り離せない知識と技術が必要になると確信できたからだと思います。PCR、免疫治療、遺伝子を使ったワクチン、iPS細胞など医療には欠かせない学問となってますね。

ハーバード大学マサチューセッツ総合病院に留学されていた時のお話をお聞かせください。

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英語も得意でなく、ハーバードメディカルスクールに留学する程の能力も意志もなかったと思います。厳しく世界でも名前が知れてる教授と上司、豊富な研究費、がんや難病に関係する遺伝子を扱う研究に携わっていたことで留学する事になり、運が良かったですね。ただ、人生と考え方を変えたのは間違いありません。アメリカでは、「好きなだけで研究してては駄目。純粋に研究を愛して生きるために研究してる人達に失礼だ」と感じました。言語や考え方の違いもあり、自分を見つめ直して日本に帰ることにしました。好きなことで世界の一流を見ることができて得られたものが多かったものの、いろんな人の期待や支援に応えられなかった後悔は残りました。それが今の自分の働く原動力や精神力につながっているのは間違いありません。

多くの経験を持つ白内障手術のエキスパート

眼科への転向のきっかけをお聞かせください。

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私が、免疫学の研究室にいたときに面倒をみていた眼科の後輩がいました。私が帰国した後、「先生、眼科をやりませんか?」と誘ってもらったのがきっかけです。彼の研究を手伝いながら、眼科医としての道を歩み始めました。当時大学病院におり、患者さんの多くが、眼科以外の疾患を抱えていることや、その治療によって眼病になっているということ、日本の眼科医は他科の疾患には詳しくないこと、基礎的な免疫や遺伝子に関する知識が乏しいことがわかり、外科や免疫や遺伝子研究が眼科診療の現場で生かせることを実感しました。また、患者さんに対して理解や信頼を得るのに苦労しているようでした。私は、わかりやすい説明をすることが得意だったため、患者さんからの需要と信頼があったようです。初めて、自分が向いてる仕事を見つけたのかもしれません。

得意とされている白内障手術のご経験をお聞かせください。

都立広尾病院に派遣された際に、厳しくて怖いと噂されていた手術が上手な上司に巡り合いました。私自身が怒られ慣れており、その先生と偶然にも同郷でとても信頼していただきました。眼科に誘ってくれた後輩が第1の恩人であれば、手術の第1の師匠と言えますね。当時は、24時間・365日、仕事を引き受けていました。必然的に技術も上がり、患者さんからは「いつでも病院にいるドクター」と信頼されてました。私の医師としての技量を育ててくれたと思ってます。また、患者さん一人一人に個性があるように、白内障もその手術も一人一人違うのが特徴です。いろんな場所や機器に適応する能力と技術が求められますから手術経験は多いに越したことはありません。

開業前は眼科クリニックの立て直しを手がけた経験もあるそうですね。

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私を眼科に誘ってくれた元後輩が理化学研究所に行ったことを契機に、私は、都立病院の医長を辞めることにしました。当時、研修医制度が変わり多くの関連病院で医師が大学に引き上げてしまい医師不足や経営難になってる病院が関東圏に多くありました。病院の再生に尽力してる院長と、元東大名誉教授の先生が地方まで足を運んで診療してる姿に感銘を受け、心から尊敬できる先生たちに巡り合いました。その先生から信頼されたい一心で眼科診療だけでなく地域医療に尽力しようと一番頭を使った気がします。私の活動に協力してくれる先生たちのおかげでいつしかチーム医療という名で眼科を立ち上げ、再建することが私のライフワークになってしまいました。「ふじみ野眼科」もその一つです。今でもたくさんの依頼がありますよ。

目だけではなく、体全体も診ながら診察を行う

診療スタイルをお聞かせください。

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私は複数の医療施設を回っていますので、「ふじみ野眼科」に毎日はいません。クリニックが開いてる日に合わせて来院してくれるという感じです。私以外の先生にも私が専門でない分野や、得意ではない眼科疾患をサポートしてもらっています。「ふじみ野眼科」には、手術室はありません。手術が必要な患者さんには私が提携している病院やクリニックで手術をすることになります。患者さんの住所や重症度に応じて入院、もしくは日帰り手術を勧めています。手術が終われば「ふじみ野眼科」でも、提携先でも最後まで担当医師として私が診ることができます。また「他の眼科に通っているけど、もっと詳しく話が聞きたい」という人のために、セカンドオピニオンの診察も行っています。

目の症状で気をつけてほしいことはありますか?

患者さんは目が悪くなると年のせいと思う方が多いです。間違った知識をお持ちの患者さんも多くいらっしゃいます。例えば、白内障はひどくなってから手術した方がいい、緑内障だから手術ができないなどです。ひどくなる前に手術した方がよいです、緑内障の患者さんこそ早く手術した方がいいはずです。また、体の病気が目に影響したり、喘息などの病気で服用している薬の影響が目に出ることもありますが、日本の眼科医師はあまり診療でも気にしない傾向にあります。長寿になったとしても、ちゃんと手入れと修理をしていかないと目は保ちません。目は再生もしませんし、義眼で見えるわけではありませんよね。50歳過ぎたら体同様に目もメンテナンスしないと長生きしても目が見えないと意味がないですよ。

今後の目標をお聞かせください。

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日本全国の仕事で行った先でさまざまな患者さんに接し、地元の人達と食事や温泉を楽しむこともできました。また、眼科の仲間とアジアの医療現場へ視察旅行をし、外から日本の医療を見ることで見識も増えました。世界では、今でも失明の原因は白内障が1位です。日本の手術技術は高く評価されているのもあり、海外に在住の日本人からも相談がきたりもします。日本と海外の医療の橋渡しをするという考えもありましたね。日本では、全国どこでも診察と手術ができるような移動式の診療所を作れないかと具体的な計画もしています。要するに眼科版の国境なき医師団ですね、難しいでしょうけど。今は自分の健康を保ちつつ、今やってる病院やクリニックで、必要とされる限りは恩返しして頑張っていこうと思ってます。

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