熊木 徹夫 院長の独自取材記事
あいち熊木クリニック
(日進市/藤が丘駅)
最終更新日:2024/09/12

大学も多く、若い世代のファミリーも増えているという日進市竹の山地域。その表通りから一本中に入った静かな住宅地に建つのが「あいち熊木クリニック」だ。地域の精神科医療に貢献し、今年で10年目を迎える。院長の熊木徹夫先生は漢方処方も行っており、西洋薬と漢方薬の両方から患者にとって適した薬の処方を積極的に行う。院内は杉板の壁や天井、座り心地の良い木製椅子など、高原のペンションに来たような雰囲気。落ち着いたトーンとテンポで話をする熊木院長だが、話の内容は臨床に対する熱い思いにあふれていた。高校生の頃から精神科の医師をめざし、真っすぐに突き進んできたという熊木院長。今回の取材では、そのきっかけや診療におけるこだわりなどをたっぷりと聞いた。
(取材日2017年4月21日)
建物も治療器具の一つと考え、細部までこだわって建築
木のぬくもりを感じるクリニックですね。どんな思いで建築されましたか?

当院は、全館、無垢の杉板フローリングです。これは、私が木が好きなこともありますが、建物も治療器具の一つと捉えているためです。まず、靴を脱いで入ると、足の裏で木の温もりを感じていただけます。解放感のある吹き抜けの天井や壁もすべて杉板ですし、診察室やカウンセリングルームのテーブルも部屋ごとに、けやきや銀杏、栗など異なった木を使用した一枚板で作られています。待合室では、ゆったりとリラックスしていただけるよう、こまかい配慮を重ねました。床下の土壌には暖房設備が埋設されていて、冬でも快適な温度が保たれているのも自慢の一つです。待合室の絵本や写真集も私とスタッフがこだわり抜いてセレクトしたもの。さらに、診察室の椅子は理想の座り心地を求めて出会った家具職人の特注品です。
細部までこだわりがあるのですね。患者さんからは建物だけでなく、スタッフへの評価も高いようですね。
スタッフには日頃から、臨床というものに関心を持ってほしいと伝えています。患者さんがどう苦しんでいるのかを理解する必要があるので、診察に帯同してもらうこともありますし、名前は必ず覚えてもらっています。例えば、受付で名前を呼ぶ時には、患者さんの近くまで行って小さな声でお呼びし、診察室までご案内するなどのこまかい配慮をしています。多くの患者さんから、「接し方に優しさを感じる」と言っていただいていますね。
患者さんの層を教えてください。

東尾張地区や名古屋市東部の方が主で、20代から40代の女性が多いですね。一方、本や人生相談の新聞のコラムを執筆している関係で、私の本を読んだ内科の先生から勧められて来られた患者さんや、ブログを見て来られる方も多いです。秋田や鹿児島などかなり遠方から足を運ばれる方も、いらっしゃいます。
高校生の時に衝撃を受けた精神科医療の道へ
ところで、先生が精神科の医師になろうと思ったきっかけは何ですか?

高校生の頃、立ち寄った本屋で目に留まった精神科医療関係の本がきっかけでした。何げなく手に取ったのですが、自分の知らない精神科臨床の世界に吸い寄せられ、「精神科の医師は、自分の体を鏡にして患者さんの体験を写し取り、それを生かしていける仕事だ。統合失調症の患者さんを助けられるのは精神科の医師だけ。ならば、自分の今後を精神科の臨床に賭けてみたい」と強く思いました。立ちっぱなしで5時間もその本を読み、興奮冷めやらぬまま本屋を出ました。その最初に出会った本の著者は、精神科領域で知られている中井久夫先生で、その後私の症例検討を何度もしていただくなど、さまざまな場面で支えを受けています。何か不思議な縁を感じます。医師となっても内科や外科への思いはみじんも感じることなく、精神科医療だけめざしてきました。
診療する上で心がけていることはありますか?
精神科の医師が発する言葉は、ときに患者さんに希望を与えますが、逆に絶望に陥れることもある。ゆえに「言葉は精神科医師のメスである」との思いから、言葉をあだやおろそかに使ってはならないという自覚を持って日々、診療しています。侵襲性の少ない言葉で、患者さんの“心の病巣”をなるべく小さく切り開いて、患者さんの気持ちにアプローチし癒やしていくことが理想ですね。患者さんは自分の苦しみを言葉にできないことも多いです。「その苦しみの形、輪郭は、こういうことではないですか」とご提案し、微細な修正を繰り返しながら、患者さんの苦しみに肉薄していくことが大事だと思います。
患者さんにはどのように接していらっしゃいますか?

ここにたどり着くまでにとても苦悩された患者さんも少なくありません。そういった方には「勇気を奮って来られたんですね」と、ねぎらいの気持ちを持って接しています。ですが、治療によっては、そのような受容・共感だけではうまくゆかぬこともあります。例えば、ギャンブル依存症の治療では 母性的に包むことだけでなく、父性的なアプローチも必要なので、「こういうことはしてはダメですよ」という治療における“掟”を示す必要もありますし、場合によっては厳しい言葉もあえて投げかけることも必要です。しかし、それらはすべて治療的意図をもって発しています。自著である『ギャンブル依存症サバイバル』を読んでいただくと、そのあたりをよく理解していただけるでしょう。もちろん、このような事情はギャンブル依存症治療だけによりません。患者さん各々に心を込めることはいうまでもありませんが、ファーストタッチからすでに治療は始まっているのです。
身体的感覚を呼び戻すような薬の処方をめざして
漢方薬を使うようになったのはどうしてですか?

総合病院に勤めていた頃、例えば頭痛や耳鳴りがあって内科・耳鼻科で検査をしたけど異常がないので精神科を勧められた、という患者さんもたくさんいらっしゃいました。精神科の薬でもどうにもならず、でも患者さんの苦しみを何とかしたいという時にたどりついたのが、漢方薬でした。使ってみると、漢方の魅力にどんどんのめり込んでいきました。当時の病院には25種類の漢方薬しかなく、その25方剤を徹底的に知り抜くことから始めました。遠回りのようでしたが、結果的にこの修練のプロセスが良かったのです。現在は約130種類の保険適用薬を使っていますが、今も治療戦略のベースとなっているのは、これら25方剤なのです。私は最良の薬を選択するとき、常に自家薬籠中の物とした西洋薬・漢方薬を引き比べています。それが、精神科と漢方を専門とする私の最大の強みかもしれません。
先生は薬の処方にはこだわりを持っているそうですね。
患者さんの体にどう響くかというのを根拠に、こまかく調整しています。それを徹底するあまり、おのずと半分とか4分の1という錠剤を処方せざるを得なくなりました。薬局も理解があったので、1錠を4分の1カットで処方しています。また、処方時の私の言葉も重要。的確な処方意図を伝えます。患者さんに出す薬の8割は、私自身も試服してみたことがあります。これは確かにリスクがありますが、一番薬効に肉薄できる行為だと思うのです。「一粒たりとも無駄な処方は行いたくない」これが、医師になった当初からずっと胸にあることです。
こまかく薬を調整することによって、どんな利点が生まれますか?
2つの利点があります。1つは必要な量をしっかり認識できるので、余分な薬を服用せずに済むこと。もう一つは、鈍麻していた患者さんの身体感覚が戻ってくることが望めることです。過労でボロボロになっているのに気づかない人たちが、薬の調整の過程で自分の体の声に耳を傾けることによって、体の状態がわかるようになるでしょう。患者さんの身体的苦痛がなくなったから終わりなのではなく、終生役立つその身体感覚を、ご自分で身につけていただくことまでが、治療だと思っています。
最後に、今後の展望をお聞かせください。

開院した当初、ギャンブル依存症や線維筋痛症・摂食障害の専門家になるとはまったく思っていなかったですし、振り返れば、臨床を中心としたさまざまな人々との出会いが、私の人生の道を決してきたのでしょう。何者かに導かれた私自身が強く関心を抱いてさらに掘り下げていく。そして私の言葉に共鳴した患者さんが私の元へ……というふうに、「双方向的関わり」をこれからも大切にしてゆきたい。その中で患者さんが安楽に過ごせるように、いくらかでも貢献できるようなことがあれば、それは精神科の医師として本当に大きな喜びです。