木村 晴 院長の独自取材記事
木村クリニック
(目黒区/祐天寺駅)
最終更新日:2025/12/15
祐天寺の地域医療に長年貢献し、多くの地域住民から親しまれている「木村クリニック」。木村晴院長は江戸時代から続く「医学の家」の出身だが、初めから医師をめざしていたわけではなく、2年間の回り道をしてから医学部に入ったそうだ。その後は運命に導かれたかのような出会いを経験し、日本消化器病学会消化器病専門医、日本消化器内視鏡学会消化器内視鏡専門医を取得。専門性の高いESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)では指導をする立場も担うなど、その道を究めてきた。人間味あふれる木村院長に、これまでの経験や診療方針、また「町のお医者さん」と消化器内視鏡専門医の両面から今の思いを聞いた。
(取材日2025年11月13日)
回り道をしながらも13代続く「医師」を継ぐ
先生は医師の家系の13代目だと伺いました。

我が家は江戸時代から代々続いた医師の家系で、遡ると仙台藩の侍医がルーツです。藩から長崎に留学させてもらって、当時の西洋医学を学んだ人もいるようですよ。時代を感じますね。時を経て祖父がこの場所で開業したのですが、軍医だった祖父はなかなか苦戦していたようで……。父が引き継いでからは、土日診療を始めたり、カルテを素早く取り出せる仕組みをつくったり、バリアフリーに改装したり。ホスピタリティーを大切に、患者さんに丁寧に向き合う診療スタイルに変わりました。父はまだまだ現役で一緒に診療を行っていますが、当院の建て替えをきっかけに2024年に私が院長に就任して今の体制となっています。祖父が外科医院を開いたのが祐天寺での診療の始まりで、途中で法人化など変化がありましたが、代々を遡ると私が13代目といえるかもしれませんね。
そのような環境で過ごされて、やはり自然に医師という職業をめざすようになられたのでしょうか?
それがそうではないんです。今思うと私は不真面目な高校生活を送っており、「卒業することが目標」だというありさまでした。これは謙遜でも何でもなく、実際に高校卒業後は大学に進学せず社会に出ています。そして2年間さまざまな業種を体験しましたが、理想と現実のギャップを感じ、自分に合う環境がどういうものか、どのような人と接するときに充実感を感じるのかなど、世間や自分を知る良い機会になりました。そこで一旦立ち止まり、この先の人生を考えた時に、初めて「医師」という職業を意識したんです。父に頭を下げて予備校に通わせてもらい、「途中で投げ出さない」という約束を果たして医師になりました。周りの先生方と比べると回り道をしましたが、医療とは無縁のさまざまな世界を知り、人間の強さも弱さも見てきたからこそ、人の気持ちがわかる医師に近づけたのではないかと思っています。
医師としてどのようなキャリア形成をお考えでしたか?

医師になると決めてからは「父の後を継ぐ」という考えが揺らぐことはありませんでした。地元である祐天寺で「町のお医者さん」になりたかったんです。自分が人と接することが好きなのは回り道をした2年間の間に実感していましたから、大学病院よりも開業医のほうが向いているだろうと思っていました。広く患者さんをお迎えし、当院で診療できる患者さんは責任を持って引き受け、「これはこの分野の専門家にお任せしたほうが良いな」という疾患に対してはしかるべき先生をご紹介する。頭の中でイメージしていたのは、このような父の姿です。
「また受けたい」と思えるような内視鏡検査を
先生は消化器内科・消化器内視鏡の専門家でいらっしゃいますね。

私がこの道を究められたのは、努力はもちろん、2人の素晴らしい先生方との出会いが大きかったですね。初めは手先の器用さを生かせる内科系の分野として消化器内科を専門に選び、研修期間を終えてからは厚生中央病院で勤務する傍ら、水曜の半日だけ当院で診療にあたっていました。そんな中、早期がんを内視鏡で切除する「ESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)」の分野で国内外で活躍されている大圃研先生の指導を受ける機会に恵まれたんです。これは大きなチャンスで、大圃先生から技術を学ぶためにアルバイト勤務を辞める覚悟を決めました。そこで得られた経験は、私の成長に大きくつながりました。その後、疾患を「見つける」高度な目をお持ちの野中康一先生の勉強会にも参加し、診断学をみっちりと学びました。研鑽を積み重ね、今、私は厚生中央病院でESDを指導する立場にあります。2人の先生方との出会いは私にとって運命だったと今でも思います。
こちらではどのような方針で内視鏡検査を行っていますか?
一言でいうと「また受けたい」と思えるような内視鏡検査の提供をめざしています。というのも、内視鏡検査は「一度受ければいい」というものではありません。国内の胃がんの患者数は減少傾向にありますが、これはピロリ菌などリスク因子が解明されてきたことと、胃カメラを受ける方が増えて早期に発見できるケースが増えたことが大きいです。対して大腸がんはまだまだ深刻な状況で、これには大腸カメラでの検査に対する恐怖心や抵抗感が大きく影響していると考えられます。勇気を出して受けたとしても、そこで痛い・つらい思いをしてしまったら「また受けよう」とはなりません。それが改善されない限り、大腸カメラの検査による大腸がんの早期発見率は上がらないのではと思っています。
苦痛が少なければ検査のハードルは下がりそうですね。

そうですね。当院では麻酔の種類も厳選して、おなかが張らないように二酸化炭素を用い、患者さんが苦痛を感じることのないよう工夫しています。もちろん検査の精度も大切です。どんなに小さな異変も見逃さないように、これ以上ないくらいに丁寧に診ていますし、それをスピーディーに行えるだけの知識・技術・経験があると自負しています。クリニックの設備では治療が難しいもの、例えばESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)などについては、厚生中央病院で私が対応します。私は自分でも患者として内視鏡検査を受けながら、「患者さんはここで苦痛を感じるのだな」などと身をもって確認することも大切にしています。新たな麻酔も自分で体験し、「これならば」と思えるものを導入するようにしているんです。そうして工夫を重ねて丁寧な検査を行い、「痛くも苦しくもないし、来年も受けようかな」という患者さんの言葉が聞けたら、心からうれしいですね。
時代や患者のニーズを捉えながら進化していきたい
現在の診療体制を教えてください。

内視鏡検査を専門として内科全般を診る私のほか、父は内科の中でも高血圧と糖尿病を専門としていますし、胃カメラや大腸カメラでの検査、肛門科を専門とする先生も非常勤で診療にあたっています。開業医ですので病院のような設備とまでは言えないかもしれませんが、一般のクリニックのイメージよりも専門性の高い治療が受けられる。そんな立ち位置でしょうか。
今後はどのようなクリニックにしていきたいとお考えですか?
これがもっとも答えに悩むところです。私が「町のお医者さん」をめざしていたのも確かですし、祖父の代から続く当院が地域に根差しているのも確かです。しかし時代は変わります。祖父の時代は院内で外科手術に対応していましたし、父の代ではホスピタリティーを重視して広く患者さんを受け入れてきました。町の様子も私の記憶にある祐天寺からは少し変化していて、人の移り変わりも激しく、より専門的な医療が求められる時代でもあります。今は私も父も内科全般を診ていますが、私には内視鏡検査という究めた分野があり、これからどのように比重を置いていくか悩みます。父はパワフルな人ですが、もうすぐ引退を視野に入れる年齢にもなってきます。その時に時代や患者さんが何を求めているか。それを見据えながら答えを見つけていきたいですね。
最後に、読者へのメッセージをお願いします。

私たちが願うのは、患者さんやご家族が笑顔になってくれること。検査や治療の精度、医師やスタッフの対応も含めて「木村クリニックに来て良かった」と思われる診療を提供したいと思っています。特に大腸カメラでの検査は「痛い・つらい」と避けられがちですが、過去に嫌な思いをされた方は一度当院にいらしてください。当院では、痛みや苦しさではなく、笑顔と安心感のある内視鏡検査を提供できるよう努めています。

