松岡 樹 院長、松岡 慧 先生の独自取材記事
松岡内科
(鹿児島市/中郡駅)
最終更新日:2026/04/17
鹿児島市電2系統純心学園前駅から徒歩3分の場所にある「松岡内科」。1961年の開院以来、65年にわたり地域の健康を支え続けてきた。かつて工業地帯から住宅街へと姿を変えてきたこの街で、同院は19床の病床を持つ有床診療所として、患者を「最期まで診る」という創業以来の信念を貫いている。現在は、循環器内科を専門とする松岡樹(たつる)院長と、消化器内科と肝臓内科を専門とする、息子の松岡慧(さとる)先生が診察にあたる。風邪などの一般的な内科疾患の診療から専門治療、そして看取りまで対応する医療体制を構築している。また、このエリアでは珍しく約25台分という大型の駐車場を完備していることも特徴の一つ。次代への継承を控える同院で、それぞれの診療に対する思いや今後の展望について2人に話を聞いた。
(取材日2026年3月10日)
「最期まで診る」という責任。65年続く地域医療の灯
開院から65年、この郡元の地で地域医療を支えてこられた歩みについてお聞かせください。

【樹院長】当院は、私の父が1961年にこの地で開業したのが始まりです。当時はこの周辺も今とは違って、工場の煙突が並ぶ工業地帯でした。鹿児島市の南側には内科がほとんどなかった時代で、父の診察を求めて1日に多くの患者さんが来院していたと聞いています。母も医師をしており、両親の影響を強く受け、私も自然と医療の道を志しました。大学卒業後は研究や臨床の現場におりましたが、2007年に父の病気を機に、クリニックを継承するために戻ってまいりました。現在は一般的な内科疾患から、私が循環器内科、週に2回手伝いに来ている息子が消化器内科と肝臓内科の専門性を生かした治療、さらには長期の入院管理まで幅広く対応しています。街並みや時代は変わりましたが、地域の方々の健康を守るという役割は、今も昔も変わりません。
院長が循環器内科を専門にした理由を教えてください。
【樹院長】一番の理由は、循環器であれば「全身管理」ができると考えたからです。心臓という生命の根幹を診ることで、患者さんの状態を最初から最後まで責任を持って管理できると感じました。また、私の父は消化器が専門でしたが、非常に先取の気風があり、鹿児島で早くから内視鏡を導入しただけでなく、当時普及し始めたばかりの心電計や心臓エコーの機械を早期に取り入れていました。そうした先進的な設備が身近にある環境で育ったことも、循環器への関心を高める一因となりました。大学卒業後は、電子顕微鏡を用いた心筋症の研究に没頭し、カナダのオタワ大学心臓血管研究所へ3年間留学しました。帰国後は鹿児島医療センターで14年、市立病院で3年ほど、不整脈やペースメーカー治療に携わってきました。現在は、かつての教え子や後輩の医師たちから患者さんを紹介してもらうことも多く、培ってきた専門性を地域医療に還元しています。
診療において大切にしてきたことは何ですか。

【樹院長】最も大切にしているのは、「患者さんの異常を見落とさない」こと、そして「正確な治療をする」ことです。私は長年、救急医療の現場に身を置いてきましたが、そこで培われた強い義務感と責任を持って日々の診療にあたっています。また、父の「一度診た患者さんは、最後の最後までうちで面倒を見る」という診療方針も貫いています。現在の医療制度では、大きな病院で長期入院を継続することが難しい中、当院が今でも19床の病床を維持しているのは、行き場のないご高齢の方や療養が必要な方を、最期まで責任を持って診るためです。私は今でも土日を問わずクリニックに足を運び、夜中の2時、3時まで調べ物をすることもあります。息子からは、働きすぎだと言われますが、患者さんに1日でも長生きしてもらうために尽くすことが、医師としての責任だと思っています。
手先の器用さを武器に。内視鏡技術で重症化を防ぎたい
次世代を担う息子さんへの思いをお聞かせください。

【樹院長】今の世代には私のような働き方を強要はできませんし、息子には「自分たちのスタイルで続けてくれればいい」と伝えています。ただ、医師という仕事の本質だけは忘れないでほしい。私はよく「医師、弁護士、お坊さんは究極のプロフェッショナルである」という話をします。これらは人の不幸があるからこそ成り立つ仕事であり、本来はないほうがいい職業です。だからこそ、自分がなぜ必要とされているのかを自覚し、プロとしてどうあるべきかを常に考えなさい、と。その思いは彼にもしっかり伝わっているはずです。実は、息子が進学したのは、私の母の母校でして、それは素直にうれしかったですね。彼なりのスタイルで、この65年の歴史に新しい風を吹き込んでくれることを期待しています。
慧先生が医師を志した理由を教えてください。
【慧先生】祖父や父がこの地域で医療に携わり、患者さんに寄り添っている姿を見て育ちました。日々の診療を通じて、医療が地域の方々の生活を支える大切な役割を担っていることを感じる中で、医師という仕事に関心を持つようになり、自分も地域に貢献できる存在になりたいと思うようになりました。父から強く勧められたわけではありませんが、身近に医師が多かったこともあり、進路として意識するのは自然な流れだったと思います。大学と研修医時代は関西で経験を積みましたが、いずれは地元に戻り、この地域で医療に携わりたいという思いは一貫して持っていました。
消化器内科を専門に選ばれたのはなぜでしょうか。

【慧先生】父が循環器の専門でしたので、あえて違う分野で力を発揮したいと考えました。その中で消化器を選んだのは、自分の強みである「手先の器用さ」が最も発揮できる分野だと思ったからです。内科の中でも内視鏡検査は、医師の技術によって診断の精度や患者さんが感じる苦痛が変わると考えています。自分の技術を磨くことで、患者さんの不安を直接取り除ける点に魅力を感じました。
歴史を受け継ぎつつ、新しいクリニックをめざす
クリニックでの診療では、特に「予防医学」を重視されているそうですね。

【慧先生】はい。以前勤務していた総合病院で、進行したがんの患者さんを数多く診てきた経験が、現在の診療の原点になっています。診断の時点で厳しい経過が予測されるケースに直面する度に、「もう少し早く見つけられたのではないか」と感じていました。また、今村総合病院では部長として診療に携わり、多くの症例を経験したことから、病気は重症化してから治療するのではなく、早い段階で見つけて適切に対応することが何より重要だと考えるようになりました。循環器を専門とする父が、心筋梗塞を防ぐために血圧やコレステロールを管理しているように、私は内視鏡検査などを通じて、がんをはじめとした病気の早期発見・早期治療に力を入れています。症状が出てからではなく、「まだ大丈夫なうちに確認する」ことで、身体への負担や治療にかかる時間・費用を抑えることにもつながります。
今後の展望を教えてください。
【慧先生】これまで父が大切にしてきた循環器内科に加え、私の専門である消化器内科、そして将来的には皮膚科医である妻も加わり、「3つの専門性」で地域の皆さまを支える体制を整えていきます。父はどんなときも患者さんのことを第一に考え、丁寧に向き合ってきました。その姿勢を大切に受け継ぎながら、私たちの世代ならではの新しい医療も取り入れ、より幅広いお悩みに対応できるクリニックを目指しています。お子さまの皮膚トラブルから、生活習慣病の管理、がんの早期発見まで、ご家族皆さまの健康を長く見守ることができる体制を整えてまいります。「何かあれば、まずここに相談しよう」と思っていただけるような、安心して通い続けられるクリニックでありたいと考えています。
最後に、読者の方へメッセージをお願いします。

【慧先生】体調に関して気になることがあれば、どのような些細な症状でもお気軽にご相談ください。当院は祖父の代から65年にわたり、郡元の地で地域医療に携わってきました。「一度診た患者さんは最後まで責任を持って診る」という理念を継承し、継続的かつ丁寧な診療を大切にしています。患者さんにご自身の状態を十分に理解していただけるよう、わかりやすく丁寧な説明を心がけ、安心して治療を受けていただける環境づくりに努めて参ります。また、クリニック裏手には大型駐車場を完備し、近隣の方はもちろん、遠方からも通院しやすい体制を整えています。地域のかかりつけ医として、日常的な体調管理から専門的な医療まで、継続してサポートいたします。

