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秋山 和己 院長の独自取材記事

あきやまクリニック

(高松市/空港通り駅)

最終更新日:2024/02/07

秋山和己院長 あきやまクリニック main

2002年に開業した「あきやまクリニック」は、秋山和己院長の「患者さんに癒しを感じてもらいたい」というコンセプトに沿った、いわゆる病院らしさを感じさせないクリニックだ。待合室には大きなラウンドテーブルが置かれ、壁面には絵画が飾られる。大きな窓からは明るい光が差し込み、ほっとできる空間だ。秋山院長は、大学卒業後、香川県内の病院の腎不全外科、泌尿器科で研鑽を積み、腎臓移植を行った経験も持つ。その後、ウィスコンシン大学へ1年間留学し、移植外科、血管外科、泌尿器科の先端医療を学ぶ。それら多くの経験が開業した今につながっているという。初めて来院した患者にも安心感を与えるであろうやわらかな口調と笑顔の秋山院長に、医師を志した経緯やクリニックの理念などじっくり話を聞いた。

(取材日2021年6月21日/情報更新日2024年2月1日)

腎臓移植など先進の医療に携わった経験を生かしたい

医療の道を志されたきっかけを教えてください。

秋山和己院長 あきやまクリニック1

実は初めは医学部はまったく考えていなかったのですが、高校の担任の先生から医学部を勧められて、そのおかげで今こうして医師を続けているわけで、先生に感謝しています。僕は、初めは愛媛大学の医学部に入ったんですが、入学当初はまだ医師になる覚悟もそれほどありませんでした。一年生の実習で漁村の健康診断の手伝いに行き、そこで「住民の健康管理に携わる医師の仕事はすごく大切だ」という強い気持ちが芽生えたんです。そう考えた時、せっかくなら自分の生まれ育った地でやりたいと思い、岡山大学の医学部に入り直しました。僕は、「自分がやりたい」と思った方向に進みたいというのが強いみたいです。

泌尿器科を専門にされた理由を教えてください。

大学を卒業した時はどこの科へ進むか決めかねていました。それで、教授に「もう一度全部の科を勉強したい」とお願いし、2年かけて全科を回りその後に専門を決めることにしたんです。内科を中心に呼吸器から循環器、消化器、腎臓、脳神経と順番に回り、麻酔科や小児科などにも関わらせていただきました。その後、循環器をもう一度勉強したいと思い半年ほど頑張り、最終的に腎臓内科に決めました。その時、腎臓内科を志すなら泌尿器科も知っていたほうが良いと思い、泌尿器科でも半年勉強し、その後腎臓内科に戻るつもりだったのですが、泌尿器科の先生に「泌尿器は面白いよ」と勧められ今に至ります。

岡山大学を卒業された後、香川にいらしたのはどのような経緯からですか?

秋山和己院長 あきやまクリニック2

1年間泌尿器科で診療した後、他の病院へ行くことが決まっていたのですが、香川の病院の先生から「泌尿器科の機械を導入するから、半年やってもらえないか」と声をかけてもらったんです。半年たち、もともと行く予定の病院へ移ろうと思ったのですが、先生から「あと2年やってほしい」と言われて。その2年間は、近隣病院へも泌尿器の手術に頻繁に行っており、とても勉強になりました。そうして2年たったので、今度こそ病院を変わるつもりだったのですが、その時一人の患者さんが「腎臓移植をしたい」と言われたんです。それが香川に残ることになった大きなきっかけです。

それでその病院で腎臓移植を行うことになったのですね。

そうなんです。初めは、大学病院へ紹介状を書くつもりだったのですが、「この病院ではできませんか」と言われて。それまでにも移植手術の手伝いを何度もして経験を積んでいたので、この病院で行う決断をしました。ただ初めての腎臓移植手術になるので、手術経験が豊富な宇和島市立病院で勉強させてもらい、助言を頂きながら行いました。その患者さんとは今でも付き合いがあるんですよ。そんなわけで、僕は初めは他の病院へ行くつもりだったのですが、この手術をきっかけに移植手術を希望される患者さんが増え、そのまま病院に残ることになりました。

癒やしの場となるようなクリニックをめざす

その後アメリカに留学されたとお聞きしました。

秋山和己院長 あきやまクリニック3

その頃、宇和島市立病院の先生から「アメリカへ行かないか」とお誘いをいただき、留学を決意しました。移植外科の名誉フェローというポジションで行ったのですが、その病院は、膵腎同時移植の症例数が世界の中でも多い病院で、毎日膵腎同時移植や、肝臓、腎臓移植を行っていてとても刺激をもらいました。泌尿器科や血管外科にも携わらせていただき、勉強になりましたね。アメリカは実力主義で合理的な分、厳しいなと思うことも多かったですが、彼らは「世界の先端の医療を行っている」という自負があり、「この道を切り開いていく」というフロンティアとしての考え方には刺激を受けました。

開業されたのは、どのような経緯からですか?

理由はいろいろありますが、病院の方針に従うのではなく、たとえリスクを負ったとしても、自分が思うような医療をやりたいと思い開業を決めました。開業するにあたり、スタッフが活躍できるクリニックをめざしました。それから、その当時の世の中では、なぜか苦しんでいる患者さんが病気があることで下のランクに見られる傾向があり、すごく気になっていたんです。病気でつらい思いをしているからこそ、良い環境・癒やされる空間で治療を受けられるようにするべきだと考え、そういうクリニックづくりを行いました。ですから、設計士の方には「患者さんに病院と感じさせないような雰囲気につくってほしい」とお願いしました。

クリニックの理念を教えてください。

秋山和己院長 あきやまクリニック4

1番目は、患者さんに満足して笑顔で帰ってもらえるようにということです。2番目は先ほどもお話ししたように、患者さんにとってここが癒やしの空間でありたいですね。それから、私は外科の医師だったので、安全性や確実性をすごく大事にしています。100%確実な手術をするということは医療の中でとても重要なことで、自分の医師としてのポリシーでもあります。それから、医療行為もそれ以外のことに対しても「なぜそうするのか」という理由を説明できるようにしなければならないと思っています。そして、常に進歩したいという思いで患者さんに向き合っています。当院のロゴマークは理念の頭文字からとった3つのAと腎臓の形を模しています。

体だけでなく心も診る医師でありたい

心に残っている患者さんとのエピソードはありますか?

秋山和己院長 あきやまクリニック5

先ほどお話しした、初めて移植手術をした患者さんは心に残っていますね。今もお元気でお付き合いがあり、うれしく思います。2人目は膀胱がんで膀胱を切除し、その後腎臓に再発し腎臓も切除した患者さんです。それはもう大変な手術でした。その後努力され、今はお元気にゴルフをされているそうなんですよね。どんなに重い病気をされても復活をめざせる。この方を見ていると、前向きに生きていくことの大切さを教えられましたね。もう1人、前立線がんの患者さんなんですが、遠くにお住まいでしたが、化学療法のために毎週僕のところまで通ってくださいました。僕自身お世話になった方だったので、少しでも役に立てたのはうれしく、恩返しになったかなと思います。

お忙しい毎日だと思いますが、プライベートな時間はどのようにお過ごしですか?

開業して10年はほとんど休みがなく、正直大変な状態でした。そんな中でも数少ない休みの日に小鳥の声や風を感じることで癒やされていましたね。自然とふれあうことで心がリフレッシュされることが、僕にとっては大事な時間でした。52、3歳の頃、診療という座る仕事ばかりで運動不足の状態が続いていて、歩いているだけなのに肉離れを起こしたことがあったんです。これはまずいと思い、それからウォーキングを始めました。その頃、高血圧で肝臓の値も悪かったのですが、ウォーキングを毎日30分続けたら数値の改善にもつながったんですよ。僕自身の経験を踏まえ、ウォーキングは患者さんにもお勧めしています。

最後に、読者や患者さんにメッセージをお願いします。

秋山和己院長 あきやまクリニック6

先ほどお話したように、外来診療で患者さんにいつも話すのは、ウォーキングをしましょうということです。それからもう1つは、なるべくストレスをためないように生活してほしいです。体の不調は心の不調と密接に結びついていて、体の不調を訴える患者さんの中にも、実は心に不調がありそれが原因で体に症状が出ている人がいらっしゃいます。心が安定することで体の症状の解消につながることがあるので、今後は体だけでなく心も診ることを突き詰めていきたいと考えています。皆さんも、ストレスをためたり不安を抱え過ぎないように、心をマネジメントすることが大切ですよ。

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