渡邉 一男 理事長の独自取材記事
渡辺医院
(枚方市/枚方市駅)
最終更新日:2025/05/22

京阪本線・枚方市駅から徒歩約10分の住宅街にある「渡辺医院」。理事長の渡邉一男先生は、長く大学病院や総合病院の小児科に勤務した後、祖父が開業した歴史あるクリニックを継承。小児科をメインに、地域密着型のクリニックとして、日々地域の人々の健康に寄与している。今回、枚方市医師会の会長としても活躍する渡邉先生に、経験豊富な小児科医として、患者さんへの向き合い方や少子高齢化に対する思いなど、さまざまな話を聞いた。
(取材日2025年3月19日)
「なんでも診る姿勢」を祖父と父から継承
長い歴史があるクリニックですね。

当院の始まりは1940年。僕の祖父が枚方市中宮で開業しました。その後移転などありましたが父が体調を崩したことをきっかけに、1998年に副院長として当院へ。2001年に院長を継承。2004年に法人化をして理事長に就任しました。祖父も父も「誰でも、いつでも、なんでも診る」というスタンスで患者さんと関わっていました。特に父は一時期和歌山の山奥の過疎地で診療をしていて、その際にはお産にも対応していたそうです。僕自身もその姿を見てきましたので、診療科に関わらず「町のかかりつけ医」として地域に根差した診療をしてきました。
先生のご経歴を教えてください。
祖父、父と医師だったものですから、僕自身も「将来何になりたいか?」と聞かれたことはなく、医師になることはすでに決められていました。高校の時に一度「嫌だ」と言いましたが、母親に説得されて自分も医師の道へ進むこととなりました。とはいえ内科ではなく、小児科を専門に選んだのは、子どもの頃に祖父が「小児科が一番難しくて困る」と言っていたのを覚えていたからです。その頃、子どもが死に至るような病気や、はやり病があったりそうで「非常に困った。小児科は本当に大変だった」と。そこで、いろんな専門科目がある中で、だったら僕は小児科の専門になろうと決めました。大学卒業後は大阪医科大学(現・大阪医科薬科大学)を経て堺の清恵会病院に勤務。その後柏原赤十字病院で副部長になりました。枚方に戻ってからは有澤総合病院(現・天の川病院)で小児科部長を務めた後、当院で診療を開始し、現在に至ります。
小児科医としてのやりがいはどんなところにありますか?

医師としてのやりがいは、それはもうめちゃめちゃありますね(笑)。特に大学病院や大きい病院の小児科病棟は、大人がいないため子どもとマンツーマンでしゃべることになりますが、子どもたちとのコミュニケーションは楽しかったです。そして、子どもたちの発達や成長を見守れることが小児科医ならではの喜びではないでしょうか。今、僕が医師になった頃に診た患者さんが、子どもや孫を診察に連れてきてくれることもあり、それも非常にうれしいことですね。そこから最近では、その子どもや孫がおじいちゃんやおばあちゃんを連れてきてくれることもあるんですよ。
どんな困り事も気楽に相談できる存在に
地域の中でどんな存在でありたいですか?

一つは「なんでも話せる存在」です。病気のことはもちろんですが、例えば「子どもの体調が悪いけれど、もう1人の子どもを連れて入院できますか?」とか、困ったことがあればなんでも相談してほしいと思います。病院も含めて、小児科医はみんな仲が良いので、何かあれば病院に連絡することは簡単なんです。もう一つは、健康な時からつながりを持ってもらえる「かかりつけ医」であること。健診や予防接種などで普段からつながっていてくれたほうが、いざというときにも対応しやすいですね。だいたいの人となり、家族の状況、病状がわかっている段階で、ほかの医療機関につなぐというのが一番理想的だと思います。特に僕は、この医院の中ですべての患者さんを治療しようと思ってはおらず、聴診器で診て、軽い病気の子は見る、重たい病気の子も見つける、そして重たい病気の子や重たい病気の大人は、病院へつなぐ、これが町のかかりつけ医の仕事だと思っています。
診療時に気をつけていることは何でしょう。
当院では小児科・内科・アレルギー科・皮膚科を扱っていますが、小児科の主訴として多いのはやり風邪症状ですね。最近だとノロウイルスによる嘔吐や下痢、インフルエンザや新型コロナウイルスの患者さんもしばしばいらっしゃいます。診療時に気をつけていることは、子どもに触れる時に冷たい手で触らないこと。また冷たいままで聴診器を当てないこと。手も聴診器も少し温めてから診察するようにしています。あとはできるだけ大きい声出さず、驚かせないようにそっと診るようにもしています。小さなお子さんの場合、病気に関するさまざまな説明は親御さんに行うことが多いですが、医学用語を使わず、わかりやすい言葉で話すようにしています。
予防接種にも積極的に取り組んでおられるとか。

僕は予防接種推進派で、院内では「予防接種は済んでいますか?」「母子手帳を確認してください」という掲示を行っています。新型コロナウイルスワクチンは、ほかのワクチンに比べて少し副反応が多かったことから、ワクチンに慎重になっているという親御さんも多いと思いますが、重症化を防ぐという意味ではワクチンは絶対欠かせないと思っています。小児はワクチンの種類や接種回数が多いので、当院では予防接種の予定表を母子手帳と一緒にお渡しするようにしています。付箋を貼って、次のワクチンの種類と予定をお伝えしているので、母子手帳を見るようにしていただけたらと思います。
後進育成にも力を入れていらっしゃいますね。
大阪医科薬科大学の臨床教育教授に任命されているので、年間5人程度を受け入れて指導しています。1人あたり2週間で、診療時は学生が横について診察の見学をしながら、その後ディスカッションする授業をしています。また委員会など公的な仕事にも連れていき、実際にどういうカンファレンスを役所と行っているのかを見せることもあります。また学生は病気に関する勉強はしているものの健康保険に関する知識はありません。患者さんが健康保険組合にお金を払って、そこから自分が受診した分のお金を払ってもらうわけですが、そうした健康保険の仕組みや、医師は収益をどうやって得ているかなどを話し合ったりもします。実習を経てその後医師になった子たちとは、勉強会などで会うこともありますし、たまに「ごはん食べましょうよ」と電話をかけてくれることもあり、それはうれしいですね。
子どもを基本に地域の人々の健康を診る
少子高齢化の現状に関して、小児科医としての思いをお聞かせください。

少子高齢化といわれていますが、問題は「高齢化」ではなく「少子」です。高齢化に関しては率が増えているだけで、少子と生産人口の数が減っていることが問題であることを多くの人に知ってほしいですね。子育てが大変なことは小児科医なのでよく実感しています。国には子育ては労働だということをもっとわかってほしいと思います。例えば子どもが10歳になるまで、「130万円の壁」を超えるぐらいの金額を労働の対価として与えることが少子化対策になるのではと思っています。今、高校や給食の無償化などいろんな対策が進んでいますが、子どもを増やすために何をしないといけないか、もう一度国が女性たちときちんと話してほしいですね。子どもを増やして生産人口を増やすことが、今この国が一番取り組むべきことだと思います。
先生が健康のために実践していることは何ですか?
若い頃はサーフィンをしていたので、だから当院のロゴマークはイルカなんです。建物に大きなイルカを掲げていますが、子どもたちが「イルカの病院」と呼んでくれています。ですが、もうサーフィンは体力的に無理なので、今は週1回ボーリングをしています。リーグ戦が毎月あり、枚方で優勝し近畿で6位になったことがあるんですよ。
今後の展望をお願いします。

普段の診療のほか、今は枚方市医師会長の仕事も行い、市民公開講座で話す機会もあります。最近では、枚方市医師会と製薬会社が連携して開発したデジタルツールについて話すことが多いですね。僕は今65歳、診療に関しては徐々に減らしていくかもしれませんが、父は80歳まで現役で活躍しましたので、自分のできる範囲で今後も町のかかりつけ医としての子どもたちをメインに、地域の人々の健康を見守っていきたいと思います。