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宮原 英郎 院長の独自取材記事

せたがや宮原歯科

(世田谷区/松陰神社前駅)

最終更新日:2023/05/16

宮原英郎院長 せたがや宮原歯科 main

東急世田谷線・松陰神社前駅から徒歩5分、のどかな住宅街にある「せたがや宮原歯科」。宮原英郎院長は、父の後を継いだ2代目院長。60年以上の歴史を持つ歯科医院だ。当初は港区六本木で開院したが、2006年に生まれ育った世田谷区へ移転。「治療しなくても済むように通う歯科医院をめざしています」と宮原院長。地域の患者とともに年を重ねられることを喜びとして、診察にあたっているそう。穏やかな人柄だが、実は剣道六段の腕前。武道を嗜む人は立ち姿でわかると言い、宮原院長自身も患者に指摘されたことがあるとか。「ピシッとしている先生と思われたらうれしいですね」と照れくさそうな笑顔を浮かべる。診療のコンセプト、CAD/CAMシステムを使った補綴物の作製、得意分野の入れ歯などについて聞いた。

(取材日2023年4月21日)

どんな些細なことでも向き合える歯科医院でありたい

こちらの歯科医院は60年以上の歴史があるそうですね。

宮原英郎院長 せたがや宮原歯科1

父が1962年に六本木で始めた歯科医院なんですよ。私が北海道大学歯学部を卒業後、1992年に2代目として後を継ぎました。その間に六本木の街は再開発事業によって、ずいぶん変わりました。父が開院した頃は、日比谷のようなオフィス街になるといわれていたそうです。でも今は働きに来る街というより、遊びに来る街ですよね。このような変化に伴い、通院してくださっていた患者さんが街を離れてしまいました。父の代からお付き合いしている方が多く、これからも長く続けていきたいと思っていたのですが、街の変貌にはあらがえませんね。父が残してくれた場所を守りたい気持ちもありましたが、再開発を機に、2006年に世田谷に移転しました。

移転後はどのような変化がありましたか?

実は自分が生まれ育った街なんですが、とても安心できる地域です。移転して六本木の時にはいなかったお子さんを診ることになって難しさを感じました。うれしいことに、今も六本木から通ってくださる患者さんや電車に乗って遠くから古い患者さんが来てくださいます。六本木の頃は2階だったのですが、世田谷は1階になりました。入り口に低い段差はあるものの、スタッフがサポートするので、車いすの方もお気軽に声をかけていただければと思います。

診療のコンセプトを教えてください。

宮原英郎院長 せたがや宮原歯科2

「治療しなくても済むように通う歯科医院」です。定期的に口内のメンテナンスを行うことで、トラブルの予防をめざします。私は自分のことを「歯を削るのが嫌いな歯医者」と言っているほど(笑)。できるだけ歯を削らないような予防プログラムなどを行っています。患者さんのご希望に応じて東洋医学を応用することもあります。西洋医学は「悪い部分を取り除く」、東洋医学は「全体のバランスを調節していく」という考えです。科学的な西洋医学でうまくいかないときは、お役に立てるかもしれません。

院内で行う入れ歯の修理は、当日仕上げが強み

入れ歯が得意と伺っています。どのようなきっかけで学ばれたのでしょうか?

宮原英郎院長 せたがや宮原歯科3

最初に診療を始めた六本木の患者さんは、父と同年代の高齢者が多かったからです。開業している歯科医院の多くは院長と同年代の患者さんが中心で、ともに年を重ねていくことが一般的。若い頃は虫歯の治療が中心で、徐々に歯周病や入れ歯に変わっていくわけです。でも私は父の後を継いだので状況が違いました。歯科医師になったばかりの頃から、入れ歯を作ることが多かったんです。入れ歯の技術は経験から学ぶことが多く、大学の歯学部ですべてを完璧に身につけるのは難しい。父に教わるつもりでしたが、目を患ってしまい、それはかないませんでした。一人で診察しながら、独学の日々です。このような経験があるので、入れ歯が得意だと自信を持って言えるようになりました。

入れ歯作製の難しさやコツを教えてください。

仕上がりを最初にイメージして、それに近づけていきます。作りながら、ああでもないこうでもないと試行錯誤していると、ものすごく時間がかかる上に、完成度が低くなります。新しく作ることはもちろん、古いものを改造する技術を身につけることが難しいと思います。年を取れば、使っていた入れ歯が合わなくなったり、歯がさらに抜けてしまったりしますよね。そういった修理は経験がなければ歯科技工士に依頼する必要があり、患者さんは入れ歯がない状態で過ごさなければいけなくなるでしょう。修理であれば院内で私が対応します。かぶせ物の仮歯を作るときも、チェアサイドで本番に近い形を作ります。患者さんに使い心地を確認していただけるので、適切なものが作れるんですよ。

CAD/CAMシステムを使って、院内で補綴物の作製も可能だそうですね。

宮原英郎院長 せたがや宮原歯科4

スキャナーで口腔内の状態を読み取り、院内でブロックを削って補綴物を作製するCAD/CAMシステムを導入しています。プラスチックやセラミックに対応しているのですが、精巧な仕上がりがめざせます。従来の方法ですと、工程で使う石膏や印象材などの材料によって伸縮が起こりましたが、このシステムではブロックを削るだけなのでそのようなことがありません。接着剤の厚みまで考慮して作られます。スキャナーはそれなりの大きさがあり、デメリットは大きく口を開けなくてはならないこと。また事前検査なしにいらして「すぐに作ってほしい」とのご要望には応えられないことがあります。このような注意点さえクリアすれば、とても価値のあるシステムだと感じています。

剣道のおかげで「ピシッとした先生」と思われることも

学生の頃に習っていた剣道を、大人になって再開したそうですね。

宮原英郎院長 せたがや宮原歯科5

大学体育会時代に三段まで取りましたが、その後は歯科医師になるための勉強を優先していたんです。15年ぶりに再開してから四段取得には苦労しました。剣道の総本山ともいえる国士舘大学の近くに移転しましたが、自分の剣道修業とは結びつきませんでした。剣道教室を開講していると知り、すぐに見学に行きました。もう、目からうろこが落ちましたよ。面を打ったときに「バコッ」と重い音がするのが良い、と習ってきたのですが、国士舘大学のOBの方は、「パクッ」とさえた音でした。この違いは何だ、と。翌日にすぐ入門しました。それから12年、基本から教え直していただき、今は六段になりました。高校剣道部の顧問だった先生が生前「いつ六段に受かるのか」と気にかけていただいていたので、合格してすぐ墓前に報告に行きました。

剣道は「礼に始まり礼に終わる」といわれ、作法も大切と聞きます。普段生かせていることはありますか?

武道をやっている方が立ち姿でわかることでしょうか(笑)。高段者は体幹がしっかりしているから、立っていても揺れないので、立ち姿が違います。実は患者さんに「先生は何か武道をやっていますか。腰の据え方が全然違いますよ」と言われたことがあります。私の剣道の腕前が上がったことで、「ピシッとした先生だな」と思われていたらうれしいですね。長引くマスク生活で、顔を合わせての挨拶ができなくて寂しく思っています。マスクが外れ、患者さんときちんと顔を合わせられる日を楽しみにしています。

最後に、読者へのメッセージをお願いします。

宮原英郎院長 せたがや宮原歯科6

当院が開業して60年以上がたち、父の代から通ってくださる患者さんもお年を召されてきて、歯科医師として考えさせられる出来事も出てきました。4世代拝見している古い患者さんで、娘さんから104歳で亡くなったと報告を受けました。総義歯がとうに合わなくなって、晩年は義歯なしで食事をしていたのを、納棺するときにお口に収めて、おかげさまできれいなお顔になったとのことでした。思いもよらない役の立ち方にとても驚きました。また自宅で孤独死した患者さんが10年後白骨化して発見され、身元確認のお手伝いをしました。患者さんの生前を思うと胸が苦しくなりました。この超高齢社会にこれからも歯科医師として精進していきます。

自由診療費用の目安

自由診療とは

セラミックの補綴物/4万4000円~、ノンクラスプデンチャー/13万~、コンフォート義歯/35万~

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