永井 康徳 理事長の独自取材記事
たんぽぽクリニック
(松山市/山西駅)
最終更新日:2021/10/12

伊予鉄バス別府バス停から徒歩約3分、住宅街の一角にある「たんぽぽクリニック」。在宅医療を専門に2000年に開業し、現在は松山市全域への訪問診療を中心に地域の外来診療も行う有床診療所だ。開業当時、在宅医療専門クリニックは愛媛県ではほとんど例がなかったのだそう。以来、患者が「楽なように、やりたいように、後悔しないように」生をまっとうすることを支える医療に取り組み続けているのだそう。同クリニックを含め、診療所や訪問看護ステーション、居宅介護支援事業所など複数の関連事業を束ねる、「医療法人ゆうの森」の理事長、永井康徳先生に、話を聞いた。
(取材日2019年6月3日)
必要とされる場所で人の役に立つために選んだ在宅医療
先生は在宅医療を専門とし、同時にへき地医療にも携わっておられます。まずその経緯を教えてください。

大学1年生の時、医療系サークルのフィールドワークで愛媛県内のある無医地区を訪れました。そこで、地域で生活しながら医療を考える中で、医療を必要としている人たちの存在を痛感しました。これが原点となり、愛媛大学を卒業後、へき地医療を学ぶために自治医科大学地域医療学教室へ進みました。当時、それぞれの医師が専門性を突き詰める考え方が中心でしたが、私は専門性よりも、幅広く診療できるようになって、人が行かない場所で人の役に立ちたいと考えたのです。へき地で必須の在宅医療もここで学びました。研修後高知県の病院勤務を経て、愛媛県明浜町の俵津診療所に赴任しました。海と山が近く、こんな所で働ければと描いていた通りの場所です。住民の約4割が高齢者で通院が難しい人も多く、自然に在宅医療も始まり、多くの方をご自宅で看取りました。ここでの経験が現在につながっています。
へき地医療を始めて、そこから在宅医療につながってきたのですね。
俵津診療所にいた頃、末期がんの患者さんが病院で1ヵ月もたないと言われて自宅に帰り、以来かたくなに入院を拒んでいました。診療所の前が自宅で、病院同様に輸血をしたり腹水を抜いたりしながら約1年を家で過ごしましたが、徐々に悪化し意識ももうろうとし始めました。するとずっと看護してきた奥さまが「入院させる」と言い出したのです。驚いて理由を尋ねると「もし先生の不在時に何かあったらと思うと、不安でたまらない」と。私は「大丈夫です。ずっとここにいますから、家で看取りましょう」と伝えました。今なら家での看取りについてご家族に説明しさまざまな対処ができますが、当時は在宅での看取りの考え方もありませんでした。看取りの医療は外来の片手間ではとてもできない。そう考え、在宅医療に特化したクリニックを開業することを決め、生まれ故郷の松山市に戻ってきたのです。
在宅医療とはどんな医療なのでしょう? 病院での医療とどう異なりますか?

在宅医療は、病気を治して社会復帰させるための医療ではなく、治らない病や老化に向き合っていく医療です。現在の医療は最後まで死に向かいきれておらず、「死は医療の敗北」という意識がまだあります。最期の瞬間まで医療行為を受け続けることを、患者さん本人が本当に望んでいるでしょうか。例えば若い方は少しでも長く戦い続けたいということもあるでしょう。けれども高齢者の多くは、最期は嫌なことをせず穏やかにと願います。患者さんが望む最期を自然に迎えられるように支えるのが、私たちの行う在宅医療なのです。
楽なように、やりたいように、後悔しないように
「患者を支える在宅医療」という考えについて、さらに詳しく教えてください。

医療には「Doing」と「Being」があります。「Doing」は、医師が専門家として治療を施す医療。一刻を争う救急医療などでも必要です。「Being」は、同じ立場で寄り添う医療です。治せなくても支える医療。それが在宅医療です。人は誰でもいつかは死にます。その時に苦しいよりも楽なほうがいい。多くの人がそう望むでしょう。家での最期を選んだ方に私たちは「安心してください。とことん楽にしますから、やりたいことをやりましょう」と話します。最初は「やりたいことなどない」と言っていた人も、楽になると希望を口にします。それをかなえていけば、本人にも家族にも後悔が残りません。「楽なように、やりたいように、後悔しないように」。これが当院のモットーです。私たちは、患者さんがこの言葉通りに過ごせるように手助けをします。
現在は入院や外来にも対応されています。どんな背景があるのですか?
まだ多くの方が病院で亡くなります。本人が家に帰りたくても帰れない。状態が悪すぎて在宅医療に任せるのが申し訳ないという病院側の思いもあるようです。帰宅するのが難しいなら転院で受け入れようと、ここに病床を備えました。「たんぽぽのおうち」と名づけ、家での介護が大変な時に一時的に入院したり、独居の患者さんに最期だけ入院してもらったりもしています。そして外来診療は、地域の方々にちょっとした体の不調など気軽に相談に来ていただけるように始めました。地域に顔なじみが増え、そのつながりの中で在宅医療の存在を知っていただければ、将来の選択肢に加えていただく準備になります。
在宅医療では休みない対応が求められると思いますが、どう実践されていますか?

在宅医療が機能するためには「疲弊しないシステム」が必要です。在宅医療は24時間365日の対応を維持しなければなりません。医療従事者が疲弊してしまっては、良い医療は提供できません。複数人で安定して対応できる体制の構築が不可欠です。私たちはミーティングでしっかりと情報共有を行い、複数の医師が同じ患者さんに同じ方針で関わっていけるようにしています。時には激論を交わすほど、各自が真剣に考えています。そして私たちは、多職種でチームを組んでサポートしています。医師が薬を出したり検査をしたりするだけでは本当に満足していただくことはできません。食事、介護などさまざまな分野の専門家がそれぞれに心を尽くしています。
自分らしい生き方を支える在宅医療の次なるステップ
お忙しい毎日だと思いますが、オフの時間はどのように過ごされていますか?

釣りが好きです。きっかけは俵津診療所に赴任して数年がたった30代前半の頃。それまで私はアレルギーなど一切なかったのに、ひどいアトピー性皮膚炎を発症してしまいました。地域のすべての医療に一人で対応しなければならないプレッシャーで、ストレスをため込んでいたようです。そんなとき住民の方に「くよくよしていないで釣りでもしたら」と言われて、隣地区の診療所の先生と共同で小さな釣り船を買い、釣りに出かけるようになりました。するとどんな薬でも治らなかったアトピーがみるみる改善に向かったのです。船はもう手放してしまいましたが、松山に帰ってからも何度か出かけました。
先生が考える今後の在宅医療の方向と、それに向けた現在の取り組みについて教えてください。
在宅医療は段階的に発展してきました。一段階目は、帰りたい人が家に帰ることができる。二段階目は、多職種がチームを組み地域で向き合う。三段階目は、社会保障問題の解決など地域づくり。そして現在は四段階目、文化を変えることをめざしています。8割の方が病院で亡くなる現在、せめて3割、できれば4割が住み慣れた場所で最期を迎えられるようになれば、病院か家かを選べる時代になるのではないでしょうか。今私は看取りの文化を変える代表として、「亡くなる瞬間は見ていなくてもいい」と話しています。最期の瞬間に立ち会えなくても、本人が安らかに息を引き取ることが一番大切なのだと。そんな最期が当たり前になれば、24時間対応や在宅医療のあり方も変化するでしょう。地域、社会、文化の変化をめざし、看取り率を少しでも上げていきたいと思います。
最後に先生から読者へ、メッセージをお願いします。

「Think different」という言葉があります。ある企業製品のキャンペーンコピーに使われ、「異なる意味を考える」「発想を変える」などと訳されています。この言葉が、在宅医療を的確に表しています。在宅医療は「多様性の医療」です。何が最善かは人によって異なり、百人いれば百様の医療があるのです。病院の医療が基本原則ありきの医療だとすれば、在宅医療は一人ひとり別の方法を合わせる医療です。最期まで自分らしく生きることを支える医療。そんな選択肢があることを知ってください。亡くなる時に「ああ、いい人生だったな」と思える、そんな生き方をしていただきたいです。