サイ・クリニック

井泉尊治 院長

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20年以上に渡り、地域の患者さんの健康を見守り続けているサイ・クリニック。院長の井泉先生は、現代医学だけにとらわれず、漢方治療やQRS療法などを取り入れて広い視野で診療を行っているドクターだ。「ただ病気を治す治療ではなく、患者さんを幸せにしてあげられる医療を提供したい」と話す井泉先生の診療スタイルは、患者さん一人一人の症状を画一的にではなく個別にとらえ、しっかり話を聞き、全人格的なアプローチをしていくというきめ細かな診療。かかりつけ医として、長期的にお付き合いされている患者さんが多いのもうなずける。そんな井泉先生にお話を伺った。(取材日2009年3月12日)

単身で日本に渡り、不安を感じる暇もないほど、ただただ夢中で医学を学びました。

―医師を目指したきっかけは?

僕は台湾出身で、幼少期は台湾第二の大都市・高雄で過ごしました。子供の頃は、小学校から高校まで一度も学校を休んだことがない、元気で真面目な子供でしたよ。毎朝、誰よりも早く登校し、教室の扉を一番に開けるのが僕の役目でした。台湾では、バスケットボールが人気のスポーツなので、中学・高校はバスケに励んでいましたね。医師になりたいと思ったのは、母の一言がきっかけでした。「家族の中に医師がいたら心強いね」と言った言葉がずっと頭の中にあって、医学部を目指そうと決意したのですが、高校2年の頃から原因不明のひどい蕁麻疹に襲われ、それが受験勉強の障害に。言い訳に聞こえそうですが、全身の倦怠感と薬の副作用による眠気で勉強に集中することができず、医学部に入るのを断念し、中国医薬大学薬学部に進みました。卒業後は兵役を経て、製薬会社に就職し、結婚しましたが、病院や薬局に薬を売り込む仕事には自分の性格に向いていないことを実感。思い悩んでいたところ、「学問を学ぶなら日本に行くといい」という話を聞きました。まだ台湾が日本統治下にあった時代、多くの台湾人が勉強するために日本に渡り、僕の周りにも日本の医学部を出た医師が大勢いました。「日本で勉強しよう!」そう決意して、日本語の勉強を始め、日本への留学試験に合格。1976年、留学生として来日しました。27歳の時です。

―医学部へと編入された経緯は?

日本に来て最初は、東北大学の薬学部に入り、研修生として1年間学びました。その後、大学院の試験を受けるつもりでいたのですが、留学生を対象に薬学部から医学部へ編入できる大学があるという話を聞いたのです。一度は諦めかけた医師への夢にもう一度チャレンジしてみようと決め、該当する大学5校に願書を出しました。そこからは猛勉強の毎日ですね。妻と子供を台湾に残し一人で頑張っている寂しさもありましたが、不安を感じる余裕もないぐらい受験勉強に打ち込みました。当時、仙台を出て東京の巣鴨で住んでいたのですが、駅から下宿までの地蔵通りを歩く時によく口ずさんだ歌が、坂本九の"上を向いて歩こう"。自分を励ますつもりで、いつも歌っていました。



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