平田 哲也 院長の独自取材記事
平田歯科医院
(大阪市天王寺区/谷町六丁目駅)
最終更新日:2025/08/22

戦前の下町の面影が残る空堀商店街。その最寄り駅となる大阪市営地下鉄・谷町六丁目駅の7番出口から東へ歩いて5分ほどのビルの4階に「平田歯科医院」はある。同院の平田哲也院長は肉眼では見えない部分を拡大して確認できるマイクロスコープを駆使するなど先進技術の導入を探求。痛みを最低限に抑えることをめざしながら、できる限り歯を抜かず、患者の歯を最大限に残す治療を心がけている。患者の半数がクチコミによる地元以外からの来院といい、アメリカ留学で培った英語力で外国人にも対応する。大学による治療機器の開発への協力や、子どもの噛み合わせの改善にも力を注ぐ平田院長に米国時代のエピソードや最先端テクノロジーへの思いなどを聞いた。
(取材日2017年6月29日)
クチコミで地元以外から来院
ここは古くから開けた地域ですが、ここで開業した理由は何ですか?

空堀商店街も近くて難波宮跡公園の北側は大阪城公園があり、都心に近いのに落ち着いた雰囲気ですね。開業の場所として選んだのは、たまたまなんです。父親の知り合いがこのビルのオーナーだったことがきっかけで1992年に開業しました。生まれ育ったのは大阪の住吉区長居なので、谷町六丁目界隈には縁もゆかりもなかったんです。小学校から高校までは大阪教育大学附属の平野校舎でした。父は長居で、ふとん店を経営していて医学とも関係のない家庭でした。高校のとき理系は就職難だと言われて進路に悩んでいたら、父の友達に「歯科医師っていいらしぞ」と勧められて、その気になって現役で大阪歯科大学に進学しました。そそのかされたみたいなものです(笑)。
ビルの4階にあって気軽には入りやすくはない雰囲気ですが、患者はどのような世代の方が多いですか?
ご多分に漏れず、この付近も高齢化が進んでいますが、当院の患者さんの年齢層は比較的若いです。幼稚園児や小学生のお子さんを持つお母さんが一番多いんです。だいたい20代から30代ですかね。お子さんの治療のために来院して、そのままお母さんも「待ってる時間ももったいないし」と言って受診するパターンですね。どうしてそんな患者さんが増えたかというと、お子さんを連れて来られたお母さんのクチコミが広がったからです。だから地元以外から来院する方が患者さんの半数を占めますね。
クチコミが広がるのはどうしてなのでしょう?

「正確な理由は」と言われると難しいんですが、大学を出て臨床の場で「どうしたら痛くないか」ということを実践する姿勢が伝わるからかもしれません。ドリルで削るのではなくエアアブレーションという治療器で細かい研磨剤を吹きつけたり、水を併用したレーザーで虫歯を削ったりします。痛みがひどいときは水圧や研磨剤を吹きつける風圧ですら痛いこともあるので、そんなときは必要に応じて麻酔も使うんです。留学をしていて英語でも対応するので外国人の患者さんも来られます。2007年に陸上競技の世界大会があったときは、ロシア人の方々が来てポルトガル語とフィリピンのタガログ語を介して英語で伝言ゲームのようにして対応したことがありました。
渡米で知った「また聞き」と実際との差異
学生時代から歯科医師になるまでのことを教えてください。

中学校から大学までバスケットボール部に入ってましたね。当時はまだ日本ではスリーポイントシュートがなくて、どんなに遠くからゴールを決めても2点でした。背が伸びるんじゃないか、という期待もあったんですが、そうでもなかったです(笑)。大学の時は京都大学に進学した友達に誘われて京都大学でボディービルのトレーニングもしたんです。ある日、面倒なのでバーべルの重りのプレートのセットを手順どおりにしなかったらバランスが崩れてバーベルの鉄棒が私の口元を直撃。その結果、今、私の右の前歯はインプラントです。インプラントも決して悪くはないのですが、自分の歯より味覚面では劣る気がしますので、自分の歯の大切さは実感しています。
大学を卒業してからは?
大学で指導してくれた先生の紹介で堺市の歯科医院に勤めました。アメリカのUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)への留学経験もある先生が院長で、3年勤務したらUCLAに留学をさせてやるという話だったんですが、クリニックの諸事情もあって4年過ぎても行かせてくれなかったんです。だから1989年に自分の判断でカリフォルニアに渡ってしまったんです。知り合いもいるから何とかなるかな、と思って。それが12月。ところがアメリカは9月から新学期じゃないですか。もう新学期が始まっていて入学には難しい時期だったのに、それがよくわかっていなかった。見かねたUCLAの知り合いの教授がアメリカ中の大学に紹介状を書いてくれたら3校から受け入れるという返事が来ました。その中の南カリフォルニア大学に入学したんです。
アメリカの生活はいかがでしたか?

日本で勤務医をしているときから英会話学校に通っていたんですが、ほとんど役に立ちませんでした。だから最初の半年は語学学校に通いました。入学したのは歯学部の補綴科です。主にかぶせなどによる治療を学ぶ科です。補綴だけでなく噛み合わせや顎関節症についても勉強し、他の大学にも行っていろいろなことを教えてもらいました。コンピューターを使ってかぶせなどを製作するCAD/CAMシステムの研究にも関わらせてもらいました。アメリカ発の技術を日本でも教えてもらいましたが、現地で実際に自分で学ぶと微妙に違う。人それぞれに理解するバランスが違うので間接的に聞いた私自身の知識とオリジナルとの間に差がありました。
「ニーズ」と「デマンド」に応える
1991年に帰国されたんですね。

1991年の年末に帰国し、翌年の春に開業しました。今は家内の平田美加副院長と2人で診察しています。痛みの軽減を心がけるのはもちろんですが、診療方針として筆頭に掲げているのは「できる限り歯を抜かない」。抜くという選択をする先生は多いので、それはそれで正しいかもしれない。でもやはり歯も体の一部です。残したいという患者さんはずいぶんいますから、私はその気持ちに応えたい。エナメル質など歯を作っている成分を歯質といいますが、この歯質を多く残したいから、なるべく削らないようにしています。そうすれば、自然の歯を生かした治療ができますからね。そのため3台あるチェア(診察台)にはすべてマイクロスコープをつけています。手術用の顕微鏡です。処置する部分を10~20倍に拡大して最低限しか削らないようにするんです。
新しい技術も積極的に取り入れているそうですね。
希望すれば、患者さんはゴーグル型のヘッドマウントディスプレイを通じて私が処置している部分の様子をリアルタイムで見られます。大学が開発した技術をかぶせなどの接着力の強化に使うための研究に協力したり、マイクロスコープをもっと有効に使うためのオリジナル機器の設計をしたりしています。モニター画面にマイクロスコープで見た3D映像をリアルタイムで映し、3D眼鏡で見ながら立体的な感覚で処置をできるような装置も今、実用化に向けて調整中です。
今後の展望や目標を教えてください。

ニーズとデマンドの両方に対応していきたいです。例えば歯が痛かったら痛みをなくすのがニーズへの対処。不便はないけど、見た目の趣味で好きな形の義歯をしたいというのがデマンドです。私自身は自然なほうがいいと思うのですが、本人が希望し体に無理がなければ適切に応えたい。それから口呼吸は歯槽膿漏(のうろう)の原因にもなりますので子どもの時から噛み合わせを正しくして鼻呼吸するための訓練をもっと推進したいですね。自分の引き出しを多くして、狭い専門に特化するのではなく幅広く質の高い診察をめざしたいです。徒歩圏だけですけど訪問歯科治療もしていますので、そんなニーズも高まってくるでしょうからね。