今上 茂樹 院長の独自取材記事
イマウエ歯科クリニック
(小豆郡土庄町)
最終更新日:2025/06/07

風光明媚な瀬戸内海に浮かぶ小豆島。この島には、大正時代から100年以上続く歯科診療所がある。「イマウエ歯科クリニック」だ。場所は土庄港から車で約10分。カラフルなステンドグラスや、小豆島出身作家の絵画で彩られた院内は温もりにあふれ、どこか懐かしさも感じられる。大阪歯科大学を卒業し、大学院では口腔外科学を専攻した今上茂樹院長は、この道40年以上のベテラン歯科医師。近年は先進の機器の導入も推し進め、時代に沿った的確な診療をめざす努力を怠らない。青い海を思わせる診療ウエアを颯爽と着こなし、「これからも、皆さんのかかりつけ医でありたい」と語る今上院長に、診療所の設計や歴史、今後のクリニックの展望などを尋ねた。
(取材日2024年1月5日)
小豆島で100年以上続く歯科診療所
なかなか見ないような、不思議な設計に驚きました。

変わっているでしょう?(笑)。この建物は合計4つの六角形で構成されていて、待合室も診療室も、すべて六角形なんです。こうするとスペースの無駄をなくしながら、常に患者さん全員の様子を見ることができます。開業前には3件ほど設計事務所を回り、一番ユニークだったこの設計案を採用しました。診療室にはカウンセリングスペースも作っていましたが、来院者数の増加を受けて、診療チェアを置くスペースに改装しましたね。診療室の隣は、歯磨きコーナーです。今は感染症対策の観点から使用を止めていますが、子どもたちが鏡の前に並んで歯を磨き、除去した歯垢はその場で顕微鏡に取って、頭上のモニターで見せられるようになっています。亡くなった妻が小児歯科を専門にしていましたので、以前は小児専用の診療室を別途設けて、夫婦で診療を行っていました。そういう診療所は、県内でも珍しかったと思います。
診療所の歴史を教えていただけますか?
1917年に、祖父がここからもう少し西の土地で開業したことが始まりです。祖父はそこで30年以上診療を続けていましたが、場所が町の中心部から離れていましたので、父の継承と同時に、かつて「島銀座」と呼ばれたアーケード街の中に移転しました。まだ終戦から間もない、1952年のことです。その後は時代の流れで、自家用車で来られる患者さんが増えていったため、3代目の私は妻と3歳の息子とともに、駐車場を十分に確保できるこの場所で開業しました。それが1980年。もう40年以上前になります。開業当時は子どもの患者さんも多かったので、明るく楽しい雰囲気にしたいという思いで、天井の窓にはステンドグラスを入れました。それから、少しでも患者さんの心が和むようにと、診療室の周囲に庭を作りました。植木と島の石とを組み合わせた自慢の庭ですので、ぜひそちらもゆっくりご覧になってください。
おじいさまや、お父さまの姿を見て歯科医師の道に?

小学4年生の時の日記には、もう「歯医者さんになる!」と書かれていましたね。父が今の大阪歯科大学の前身となる大阪歯科医学専門学校の出身でしたので、私も大阪歯科大学に進学しました。ちなみに、祖父の時代には歯科の大学がありませんでしたから、島を出て東京の歯科医師の家に寄宿して、夜となく昼となく治療や技工の腕を磨き、検定試験に合格した上で開業に至ったそうです。私は1971年に大学を卒業し、1975年に大学院を修了。大学院での専攻分野は、口腔外科学でした。島の開業医になった後も、がんの疑いがある患者さんや、難しい抜歯の症例に対応したいという思いがあったからです。大学院で習得した知識や技術を生かし、開業後は虫歯や歯周病といった一般歯科の診療に加えて、顎関節症の症状軽減を目的としたプレートの作製や、外傷を受けた骨の固定術など、口腔外科領域の処置にも応じています。
先進の治療機器を備え、予防歯科に注力
患者さんはどのような方が多いのでしょうか?

約半数が、65歳以上の方々です。あとは働き世代の方と、子どもさんが半々ずつくらいでしょうか。お住まいのエリアは島内の各地区に分散しており、主訴としては、歯槽膿漏で歯がぐらぐらになってしまったけれども、「噛めるようにしてほしい」という方が一番多いと思います。「80歳になっても、歯を20本以上残そう」という運動、通称8020運動の広まりもあり、歯を治して残したいと考える方は昔よりも増えました。私が開業した当時は、70歳ぐらいになれば歯のない状態が当たり前でしたが、長年歯のない生活を送っていた方でも、入れ歯を希望して来院されるのが今という時代です。もちろん、入れ歯の経験がない方がいきなり総入れ歯にするのは、容易ではありません。時間も手間もかかってしまいますが、歯科技工所と連携を取りながら、お一人お一人に合わせた入れ歯の作製を心がけています。
先進の治療機器もそろえていらっしゃいますね。
細部まで確認が必要な症例や、精密な形成が求められる症例では、マイクロスコープ(歯科用顕微鏡)を使用します。根管治療、いわゆる歯の神経の治療が良い例ですね。3年ほど前に購入した1台目は固定式で、患者さんとの情報共有が困難でしたので、後から可動式のものをもう1台導入しました。その他にも、歯をスキャンするだけで型採りができる口腔内スキャナーや、レーザーを当てることによって、痛みに配慮しながら虫歯や歯周病の治療を進められるエルビウムヤグレーザーなどを活用しています。私の診療のモットーは、できるだけ丁寧で的確な歯科治療を提供すること。そのためには、先進の機器を取り入れた環境の整備も必要だと感じています。
これから力を入れていきたい分野はありますか?

予防歯科です。当診療所では入れ歯治療のほか、矯正治療やインプラント治療など多数の治療プランをご用意しており、現在は歯の治療に来られる患者さんが目立ちますが、今後は定期メンテナンスを目的とした、働き世代の方々にさらにお越しいただければと思っています。将来歯を失って入れ歯にならないように、1本1本の歯の寿命を延ばせるように、そのサポートをさせていただきたいです。一度失ってしまえば、歯は二度と元には戻りません。虫歯や歯周病を予防しながら、患者さんの健康な口腔環境の維持・獲得に貢献できるよう、私は最大限の力を尽くします。
これからもかかりつけ医であり続けたい
フッ化物洗口に取り組まれたこともあるそうですね。

この地区の小学校で校医をしていた妻が中心となって始めたことです。私は、その協力者でした。一定濃度のフッ化ナトリウム溶液でブクブクうがいをすると、虫歯の予防につながるといわれています。公衆衛生的手法として、今では全国にフッ化物洗口を実施している小学校がありますが、妻は島内でも早くから、フッ化物洗口に取り組んでいました。残念ながら、妻が校医をしていた渕崎小学校は2015年に閉校。土庄小学校に統合されてしまいましたが、「子どもたちの虫歯を減らしたい」という妻の想いは、何らかの形で継承していきたいです。
お忙しい日々だと思いますが、休日のご趣味は?
一番の趣味は、スキーです。スキーと出合ったきっかけは、大学生の頃に所属していたワンダーフォーゲル部でした。春、夏、秋の山には登るけれども、冬は滑落や遭難の危険があるので、山に登らずスキーをするというのがその部の方針だったんです。18歳から78歳の今まで、もう60年間、趣味としてスキーを続けています。75歳になるまでは、日帰りや泊まりがけで全国に滑りに行っていましたが、今はお正月や春休みなどのまとまった休みで、慌ただしく滑るのが関の山ですね。ちなみに、香川県スキー連盟の大会では大回転を決めて、60歳以上の部で3位に入賞したこともあります(笑)。
今後のクリニックの展望があればお聞かせください。

富山大学附属病院に勤務している息子が、間もなく島へ帰ってきます。私と同じ、口腔外科学を専門とする歯科医師です。継承にあたっては新しい診療所も建設中で、完成後は私もそちらで息子と診療を行うようになります。場所は今の診療所のはす向かいですので、今通っていただいている患者さんも困らないと思います。新しい環境で自分に何ができるのか、それはまだ未知数ではありますが、私の根底にある想いは変わりません。皆さんが生まれてからお亡くなりになるまでの、人生のかかりつけ医でありたい。予防を重視した診療を通じて、一人でも多くの方の健康増進に寄与したい。これからも歯科医師としての誇りを持って、生涯、診療室に立ち続けたいと思います。
自由診療費用の目安
自由診療とはブラケット矯正/約70万円、小児矯正(一次)/約8万円、インプラント治療/約40万円