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浅山眼科医院 (京都市中京区/烏丸御池駅)

浅山 邦夫 院長の独自取材記事

京都市営地下鉄烏丸線・東西線の烏丸御池駅より徒歩3分。烏丸通に沿って北へ歩くとレトロモダンなレンガ造りの建物が見える。明治時代から続く老舗クリニックの「浅山眼科医院」だ。院長を務める浅山邦夫先生は3代目。京都大学医学部を卒業後、京都大学医学部附属病院では眼科講師、国立京都病院(現・国立病院機構京都医療センター)では医長を務めた経験豊かなベテラン医師だ。目のホームドクターでありたいと言う浅山先生は常に患者の立場に立った医療の提供を心がける。多くの患者に愛される気さくで朗らかな浅山先生に、長年の医療にかける想いを聞いた。

地域住民に愛される老舗クリニックを担って30年

開業は1907年、歴史あるクリニックなのですね。

祖父が開業し、父、そして私、とクリニックを受け継いできました。私が生まれ育ったのは下鴨ですが、このクリニックは開業当時からずっと変わらずこの場所にあります。現在の建物は私が京都大学に入学した年に父が建て替えたもので、それまでは純日本家屋でした。私の記憶では祖父は厳しい感じの人でしたね。当時を知る近隣の方は「おじいさん、怖かった!」と今でもおっしゃいます。この近くに小学校があり祖父はその校医をしていたんですが、検査のときに少しでもフラフラしようものなら「校庭を走ってこい!」と叱られたそうです。反対に父は穏やかな優しい人で、私は父に怒られたことは一度もありません。医師になるように言われたこともないんです。長男でしたから無言のプレッシャーはありましたけど(笑)。

京都大学では、どのような学生生活を送られたのですか?

最初、京大農学部に入学し、卒業後に医学部に編入しました。大学には農学部含め8年くらい在籍して、やっと卒業できるという年も学園紛争が起きたので、大学と学生は激しい対立状態にありました。ちょうど私の卒業の年にストライキ賛成か反対かについて話し合いがあり賛成派と反対派が同数、結局ストライキに入ってしまいました。それでまた卒業が1年先に延びてしまったんです。紛争のために電車が動かなくなったり、反対派から火炎瓶が投げられたり。今では考えられませんよね。授業再開のため講堂に集まったときも、火炎瓶が投げ込まれたらすぐに火を消せるようにと消火器を持ち込んだくらいです。私自身は真面目な学生で、きちんと授業を受けてノートもしっかり取っていました。私のノートのおかげで無事卒業できた同期が何人もいるはずです(笑)。

ご卒業後は京都大学医学部附属病院、そして国立京都病院でご経験を積まれたのですね。

京大病院では主に網膜剥離の手術を得意とし、力を入れていました。網膜とは眼球の内側にある厚さ0.2ミリほどの透明な膜のことで、この膜が網膜色素上皮から剥がれてしまう状態を網膜剥離といいます。放置すると視力が低下するだけでなく失明の恐れもある疾患です。当時は網膜剥離の手術を行える病院が少なかったため、関東や九州などかなり遠方からも患者さんが来られました。京大病院眼科では講師も務めていたので教育の方向へ進むことも考えましたが、いずれは祖父、父のクリニックを継承したいと思い、1983年からは眼科医長として国立京都病院に赴きさらに研鑽を積みました。こちらのクリニックに戻って院長に就任したのが1990年です。

緑内障、子どもの近視、糖尿病網膜症の治療を三大柱に

緑内障の早期発見、治療に力を入れていらっしゃると伺いました。

日本人の失明の原因のトップは緑内障です。緑内障というのは眼圧が高くなることで視神経が傷つき、視野が狭くなったり欠けたりする疾患です。目と脳は百何十万もの視神経でつながっています。視神経が徐々に減ることで目の奥のつなぎ目部分がへこんでくると、神経の伝達が悪くなり徐々に視野が欠けてくるのです。最近では人間ドックで異常が見つかり来院される方が増えていますが、緑内障はよほど病状が進まない限り自覚症状がありません。ですから、こちらでは他の疾患で来院された場合でも必ず緑内障のチェックを行います。現在では症状をコントロールするためのさまざまな目薬が開発されていますが、それでも難しい場合は、京都大学病院の眼科へ紹介しています。緑内障は遺伝的要因によるところが大きく、年齢に関係なく発症します。一度欠けた視野は戻りませんので、早期発見、治療が大切です。

最近は近視の子どもが増えています。何かアドバイスをいただけますか?

スマートフォンの影響がとても大きいです。親御さんには「スマホを渡さないでください」と言っているくらいです。寝転んで画面に目に近づけて見ていると近視はどんどん進みます。クリニックに子どもさんが来られたら、まずスマホの使用時間を確認します。ゲームをする場合でもテレビなどの大画面に映し出すように勧めています。今の子どもたちは昔と違って塾やゲームに忙しく外で遊ぶことが少ないですから、目は酷使されています。本を読むのは良いことですが、ずっと手元にピントを合わせ続けるために目の筋肉は緊張したままです。遠くを見ても緊張がほぐれず視力が元に戻りにくくなります。20分間読書をしたら5分間は遠くを見る、家で勉強するときには机と体の間にクッションを挟んでノートとの距離を取る、などの工夫が必要です。

糖尿病網膜症の患者さんについても、さまざまな配慮をなさっているとか。

糖尿病が進むと網膜に出血を起こします。最初に網膜の中に血管のコブができ、それから出血が起きて、さらに症状が進むと血管が詰まることで網膜が窒息状態になり、悪い血管がけん引して網膜を剥がしてしまいます。以前より内科と眼科が連携し「糖尿病眼手帳」というものを渡しています。眼科医師が現状を記入し、患者さんがそれを内科医師に伝え、協力して治療にあたるのです。治療方法としては、糖尿病自体の治療と同様、血糖コントロールであったり、眼科での外科治療など。近年では都会ではそんなにひどい状態の症例は見られなくなったと思いますが、地方に行くとまだまだコントロールできていない患者さんが大勢いらっしゃるようです。

目のホームドクターとして患者の心に寄り添う治療を

診療時、心がけていらっしゃることはありますか?

患者さんのバックグラウンドをよく聞くように心がけています。ご家族はいらっしゃるのか、それはどのような方なのか。お母さんが頑固で気難しいとか娘さんが厳しいとか、犬や猫を飼っているかどうかまでカルテには事細かく記しています。クリニックには子どもさんからご高齢の方まで幅広い年代の方がいらっしゃいます。国立病院や京大病院からの紹介で遠方から来院される方も少なくありません。ただ単に診察するだけではなく、ファミリーとして心の部分でも患者さんに寄り添えればと思っています。つい個人情報にまで立ち入ってしまったりすることもありますが、患者さんは「そういうことまで聞いてくれた」と思ってくださるようです。逓信病院で白内障手術を受けられる場合は、患者さんの安心のために手術の介助に入り、手術中の緊張をほぐすために声かけをするようにしています。

日々精力的にご活躍ですが、先生のご趣味をお伺いしても?

車が好きで、大学時代は自動車部に所属していました。若い頃は安全な夜中に山道でラリーの運転のトレーニングをしていました。普段使いには元気の出る赤い車、それとは別に18年乗っているスポーツタイプの愛車で時々リフレッシュをしています。私は男3兄弟ですが、父も弟2人も車好きで、昔は一緒にドライブをしたりレースを観に行ったりしていました。それから、50歳を過ぎて開業医になってからは油絵を描くようになりました。それまでは絵画とは無縁の生活で、高校生の頃のスケッチ以来でしたが。今では毎年7月にデパートで催される展覧会出品のために、旅行で訪れた欧州の風景や孫の姿を描くのが楽しみになっています。

最後に、読者へのメッセージをお願いします。

患者さんの立場に立った医療を今後も提供したいと思っています。お一人お一人のバックグラウンドを考慮し、患者さんの気持ちに寄り添い患者さんに納得いただける治療を常日頃から心がけています。混雑時にはお待たせすることもあり心苦しい限りですが、患者さんのお話をしっかり聞くことが最良最善の医療の提供につながると信じています。長年培ってきた経験とネットワークで病診連携し、信頼のおける医療機関へのご紹介も可能です。目に関してご心配なことがあれば、いつでもご相談にいらしてください。

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