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わたなべクリニック (品川区/不動前駅)

渡辺 正光 院長の独自取材記事

東急目黒線不動前駅から徒歩3分の山手通り沿いに位置する「わたなべクリニック」。渡辺正光院長は、かつては消化器外科や救命救急の現場で昼夜問わずメスを握り、多くの患者を救ってきた外科のスペシャリスト。自力で通院できない患者のために奔走した後、今は町の開業医として患者の悩みに耳を傾ける。そのため患者層は幅広く、得意とする消化器科や外科のほか、内科、皮膚科など診療はさまざまだ。外科医師として多忙を極めた勤務医時代の話から、現在のクリニックの診療、日々のやりがいについてまで、渡辺院長にたっぷりと聞いた。

救命救急も扱う外科診療の前線から、町の開業医へ

患者層を教えてください。

患者さんは近所の方から、近隣にお勤めの方、会社帰りの女性など診療時間によってさまざまです。ずっと変わりませんね。主訴は、風邪、生活習慣病、下痢、腹痛、皮膚の疾患、インフルエンザなどで、特徴がないのが当院の特徴ですね。私は外科の出身ですから、ちょっとした外科治療も行いますよ。血だらけの顔で来院した方が、すっきりした表情で帰られると、治療できてよかったなと思います。「何でもやってくれる」と思っていただけたら、さらにうれしいですね。できる限り何でも対応するようにして、よほど手の届かないものに関しては、信頼できる先生をご紹介するようにしています。

胃や大腸の内視鏡検査も行っていますが、心がけていることはありますか?

苦痛を与えないようにすることですね。やはり内視鏡検査は苦痛があるというイメージをお持ちの方が多いですから。苦痛を感じさせないためには、検査の必要性をしっかりと説明して納得して受けてもらうことを大事にしています。逆に、内視鏡検査をしたいという希望があっても、必要がないと判断することもあります。また、麻酔や鎮静剤を上手に使うことも苦痛を与えないポイントです。最低1時間は休んでから帰宅していただくのですが、その方の自宅が歩いて帰れる距離なのか、体格はどうかなどを見てから薬の量を決めるなどし、効果的に麻酔や鎮静剤を使用します。

院長はもともと外科の出身でいらっしゃるんですね。

僕が外科を選んだのは、意識がなく血圧も下がった状態で救急車で運ばれてくる急患を救いたいという思いからです。救命救急センターにも在籍しておりました。僕がお世話になった国立水戸病院(現・水戸医療センター)では、外科医師はいつ何が起こるかわからないから常に羽目を外すなと言われ、365日24時間泊まり込みの体制でした。自分の結婚式ですら午前中に病棟回診を行ってから駆けつけたほど。とにかく休みはなかったけれど、手術は他の病院が10年間に行う数を4年で経験でき、大学に10年以上在籍した方と同様の技術や知識を習得していました。その後は大学の外科に戻り、最後は救命救急センターの立ち上げに携わりました。

歩いて来る患者の悩みに耳を傾ける医師の道を

やりがいのある大学の外科を辞め、開業したのはなぜですか?

大学の救命に残ってトップをめざそうか、本当に悩みましたが、医師人生の後半を、歩いて通院できる患者さんに捧げようと思い、肩書きもすべてを捨てて一から内科の勉強をしました。そのきっかけになったのは父ですね。昔はよく、父から電話がかかってきて、体調のことや病気のこと、いろいろな相談をされていたのですが、僕はその度に口癖のように「大丈夫だよ、死なないよ」と言っていたんです。そしたら、父に「お前はいつもそう言うけれど、どうして人の悩みをちゃんと聞けないんだ」と怒られたことがありました。実はそれがずっと心に残っていて。最後に大学での救急を選ぶか開業を選ぶかというときに、その言葉が、歩いて来られる患者さんの悩みに素直に耳を傾ける医師としての生活を送ってみようと決めるきっかけとなりました。

日々の診療で大切にしていることはありますか?

僕はいつも患者さんがお帰りになるときに、「今日、わたなべクリニックに来てよかった」と思ってくれたかな? と考えるようにしています。病院では入院患者さんと毎日顔を合わせるでしょう? そうすると、患者さんが最初は「この先生嫌だな」と思っていたとしても、そのうち「意外と良い先生だったわ」と感じてくれることもありますが、開業医にはそんな時間はありません。最初の数分間が勝負。そこに全力で向かわなくてはいけません。数分間で患者さんを理解し、患者さんにも僕のことをわかっていただく。そのときのイメージがすべてです。だからその都度、患者さんに合ったコミュニケーションのスタイルをつくるようにしています。例えば、とても忙しい肉体労働をしている人に、丁寧すぎる言葉使いはしませんし、有閑マダム風な奥さんにべらんめえ口調でお話しできませんよね。それと、笑顔と大きな声も大切にしています。

最近は品川区医師会の副会長にも就任されていますね。

品川区民の健康を守りたいという使命感ももちろんあります。でも、医師会というのは医師会員のための仕事もする必要があるのです。例えば、医師が働きやすい環境づくりですね。このことが最終的には患者さんのためになるわけです。また、危機管理も担当しています。大震災が起こったときに、クリニックが大規模病院とどのように連携するかを日頃から検討しておくのです。さらに、品川区医師会健診センターや訪問看護ステーションなどとも連携しています。

当たり前なことに感謝し、健康なときこそ相談を

院長が医師をめざしたきっかけを教えてください。

漠然と医師になりたいという気持ちはずっと持っていましたが、中学、高校とずっと野球をやっていて、高校時代は関東大会にも出場、甲子園をめざして高校3年生の夏まで野球をしていました。だから現役で医学部合格は多分無理だろうと思い、国立大学の工学部を受験するつもりでしたが、父が「私立でも良いから受けてみれば」と言ってくれました。しかし母校を含む複数の医学部を受けたけれど全敗。予備校に通い始めましたが、一方で、東京六大学野球で野球をしたいという夢だけは捨てきれなくて。医学部にこだわらず六大学に入って野球をやりたいなと思い、東京大学の野球部をめざして勉強していた時期もありました。でも当時、法政大学にいた、後にプロで大活躍する投手のピッチングを初めて生で見て、これはすごい、これには勝てないと思ったんですね。そこからは医学部に絞り必死に勉強をしました。

大学でも野球を続けられたそうですね?

入学式の日に野球部に入部して、翌日から試合に出ていました。関東医学部リーグでは首位打者になった経験もあり、大学の通算本塁打記録も更新しました。母校の野球部の監督を10年ほど務め、現在はOB会会長です。野球部は今度創部115年を迎える歴史ある部ですが、今は女子学生が増え、テニスや卓球などに人気が出たため、部員集めが大変。僕はもし生まれ変わったら、やっぱり六大学で野球をしたいなあ。今はジムに通って、やわらかい筋肉をつくるために走っています。地面に手もつくようになったし、疲れも取れてぐっすり眠れるようになりました。運動は重要だと実感しています。

今後の展望とメッセージをお願いします。

がむしゃらに働いてきましたが、自分の医療に対する検証はしたいですね。何をしてきたのか一つ一つ考えていきたいと思っています。早期がんが見つかると、検査を勧めておいてよかったと思いますから。エビデンスに基づいて治療はしてまいりましたが、本当に役立ったのかを改めて考えてみたいですね。患者さんへのメッセージは、ゴルフに行くときに雨が降っていると「なんで雨なんだよ」と思うけれど、天気がいいと何とも思わず、感謝もしません。看護師が毎日来てくれると何も思わないけれど、休まれるととっても困りありがたさがわかる。だから、日頃から当たり前の周りのことや周りの方に感謝することを大切にしてください。それは健康に対しても言えます。だからこそ、健康な状態でも気軽に相談に来てほしいですね。

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