じゅんこ内科クリニック (吹田市/山田駅)
丸山 純子 院長の独自取材記事
阪急千里線の南千里駅と山田駅からともに徒歩15分、緑豊かな津雲台の町の一角に「じゅんこ内科クリニック」はある。同院は丸山純子院長が2022年の9月に開院したクリニックで、内科と小児科を標榜。「地域の安心の灯台」をめざして、一般的な風邪症状から慢性腎不全、心不全、貧血、生活習慣病の治療、各種予防接種や健康診断など幅広く診療を行っている。また、「住み慣れた場所で最期まで自分らしく過ごしてほしい」という思いから、訪問診療にも注力。近隣の医療機関や地域のケアマネジャーとも協力しながら、患者一人ひとりにとってより良い医療の提供をめざしている。「故郷である津雲台に医療貢献することで恩返ししたい」と語る丸山院長に、医師を志したきっかけや、訪問診療に対する思いをたっぷりと語ってもらった。
困った時に相談できる「地域の安心の灯台」でありたい
まず、開院に際してこの場所を選んだ理由を教えてください。
この津雲台という地域は、私が生まれ育った町なんです。小中高とこの辺りの学校を卒業し、私にとっては大切な故郷なので、自分が育ててもらったこの町で人の役に立ちたい、恩返しをしたいと思っていました。津雲台の中でもこの場所に決めた理由は、患者さんが買い物の帰りや学校の帰りに立ち寄りやすくて便利だなと思ったからです。また、この町は南千里駅と山田駅のちょうど真ん中に位置しているのですが、医療機関が駅付近に集中していてこのエリアにはクリニックがなかったのも決め手となりました。坂が多い地域でもあるので、この辺りのお年寄りが安心して気軽に通えるクリニックがあったほうがいいなと思って決めました。
患者層についてはいかがでしょうか。
当院の診療内容は内科と小児科、訪問診療なのですが、近くに小学校や保育園があるので、子どもの患者さんが結構多いんです。ちょっとした風邪やワクチン接種などでいらっしゃるという感じですね。また、高齢の患者さんでは、糖尿病や腎臓病、心臓病の合併症を持った方が多くいらっしゃいます。この地域は、かつて万博が開催された時にできた町で、その時に住み始めた人たちが今は皆さん高齢になっています。経済的な問題を抱えている人は少ない一方で、子どもたちが巣立って独居になった方や、夫婦で老老介護をしている方が多いというのは、この地域の特徴と言えるかもしれません。ですから、通院ができるうちは外来で通ってきていただいて、それが無理になったときには訪問診療でこちらから出向いて行き、継続して診続けていくことができたらと思っています。
診療ポリシーについて教えてください。
「地域の安心の灯台」であるということです。心配なことや困ったことが起こったときに、「じゃあ純子先生のところに行ってみよう」という感じで、気軽に相談できる存在でありたいと思っています。もちろん、内科としてできることとそうでないことがありますので、そこはきちんと見極めることも大切です。自分で抱え込んで重大な疾患を見逃してしまうことがないように、他院との連携体勢も整え、必要なときに必要な場所へ橋渡しができるようにしています。連携先としては、積極的な治療を希望している方には、急性期病院を紹介します。患者さんのご要望によっては、急性期も慢性期も対応してくれる病院を紹介することもあります。大切なのは患者さん本人の意思で、積極的な治療を希望していない方に急性期病院を紹介するということはしていません。
医師人生を大きく変えた訪問診療との出合い
先生が医師を志したきっかけは何ですか?
私の父は3歳の時に病気で亡くなっていて、私は母子家庭で育ちました。そのせいか、物心ついた時から家族の大切さを実感することがありました。また、私の姉も病気を患い、私が中学生のときに手術のために入院したんです。私は姉に会うために、毎日自転車で病院へお見舞いに通っていたのですが、その時に初めて医療の現場を知りました。とりわけ印象に残っているのが姉の手術を担当してくれた先生で、心配する私たちを安心させるために、「片目を閉じてでもできる手術だから大丈夫ですよ」と冗談めかして気さくに話してくれたんです。その言葉にとても励まされたのと同時に、自信を持って、そういう言葉をかけられるお医者さんってすてきだなと思い、医師を志すようになりました。ちなみに、医師になりたいと思うまでは女優になりたかったんですよ(笑)。
血液内科を専門にしようと思ったのはどうしてでしょうか。
姉の手術をした先生に憧れていたので最初は外科の医師になりたいと思っていたのですが、いろいろな診療科をまわっていくうちに、自分は患者さんと話をするのが好きだと気づいたんです。それなら内科だろうと思いました。その中でも血液内科を選んだのは、元気になっていく患者さんが多いと感じたからです。もちろん亡くなっていく方もいるのですが、患者さん一人ひとりの人生に深く関わることができることに魅力を感じました。一人の患者さんを担当し続けるということは、看取りまで対応することもあるわけですが、その人の人生の最期まで寄り添い続けることで学ぶこともたくさんあると感じました。
そこから訪問診療に力を入れたいと思うようになったのはなぜですか?
勤務医時代、人生の最終章である死を、病院のベッドで病院の天井を見ながら亡くなっていく方がとても多く、だんだん「これでいいのだろうか、もっといい最期の迎え方があるんじゃないか」と悩んだ時期がありました。その時に鳥取にある「野の花診療所」の徳永進先生に相談をしたんです。すると徳永先生から「うちに修行に来ないか?」と声をかけていただいて。当時は結婚もしていなかったので、二つ返事で鳥取へ行きました。野の花診療所では、緩和ケアということで、末期のがん患者さんの痛みを和らげることにもしっかり対応されていましたし、なおかつ在宅診療にも力を入れていました。元気なときには外来で、必要なら入院して、でもやっぱり住み慣れた家で過ごしたいと思ったら在宅でクリニックにいるのと同じ医療を提供する。この考え方は当時の私にとって目からうろこで、訪問診療の大切さを痛感しました。
どんな状況でも希望を持てるように支えていきたい
訪問診療のどのようなときにやりがいを感じますか?
外来に患者さんが来るときには、どうしても医師側が主人で患者さんはお客さんとなってしまいます。そのため、クリニックで実際に目にしている患者さんの姿は、その人のほんの一部分でしかないのではないかと思います。ところが在宅診療の場合には立場が逆転して、患者さんが主人で私がお客さんとなり、患者さんの人生の大きな流れの中に自分が入っていくことができます。そのため在宅医療では、クリニックでは見ることができなかった一面や家族との関係などがわかることも多くあります。そこが面白いなと思うと同時に、その人の人生に深く関われることに喜びややりがいを感じます。
印象に残っている患者さんとのエピソードはありますか?
以前、新型コロナウイルス感染症の流行下で病院での面会ができなくなったため、ご家族の方が「それなら家で面倒をみたい」と言って連れて帰った方がいました。最期は子どもたちや孫たち20人以上に囲まれながら亡くなったそうなのですが、「人が亡くなっていくというのはこういうことなんだ」ということを、みんなに伝えて最期を迎えたのだと思うと、本当にいい看取りだったのではないかと、とても印象に残っています。きっと、お孫さんたちは人が亡くなる姿を今まで見たことがなかったと思うんです。でも、おばあちゃんを看取ったという経験は、その先もずっと心の中に残り続けるはずで、おばあちゃんもお孫さんたちの思い出の中に生き続けるのだと思います。
最後に、読者へのメッセージをお願いします。
病気になって、できなくなったこと、手放すしかなかったことを数えて嘆き悲しみながら過ごすのではなく、どんな状況の中でも希望を持って最後の時間を過ごしていただきたいと思います。そのためにも、「As your family(あなたの家族として)」というように、自分の家族だったらどうしたいかということを心にとめて患者さんと向き合い、一緒に考えて、一緒に悩んでいきたいと思います。どんな些細なことでも構いませんので、いつでも困ったときには気軽に相談にいらしてください。