ドクターズファイル特集
スペシャルインタビュー 三浦大輔

(公開日2018年4月16日)

横浜大洋からDeNAベイスターズ、42歳まで横浜一筋
最も愛された男、三浦大輔が語る好きなことを「続ける」秘訣

DAISUKE MIURA

1973年12月25日、奈良県橿原市生まれ。
高田商業高校からドラフト6位で横浜大洋に入団、エースとして活躍し98年には日本一に輝く。リーゼントヘアと「ハマの番長」の愛称で人気を博し、2016年、42歳で惜しまれながら引退。

“横浜はいいチームになってきた
心からそう言えるのがうれしい”

42歳までベイスターズ一筋 横浜で最も愛された男


2016年9月29日。本拠地である横浜スタジアムでの試合にて現役最後のマウンドに立った。試合後には引退セレモニーが行われ、その姿をひと目見ようと球場内外に多くのファンが詰めかけた。

写真提供/横浜DeNAベイスターズ

現役時代から貫くリーゼントヘア。違うのは、ユニフォーム姿からスーツ姿に変わったことぐらいで、体形は現役時代とほとんど変わらないのだそう。
「もう追い込まなくていい、毎日練習しなくていいんだ、という開放感で(現役を)辞めてすぐの頃は太ったんですよ。スーツがパンパンになってきたので、これはマズイ、と思って(笑)。ジムへ行ったり、走ったり、少しずつ動き始めて今はキープしています」
マウンドで見せた気迫と鋭い眼光。「ハマの番長」と呼ばれ、エースナンバー「18」を背負った頃とは違い、今はやわらかなまなざしで笑顔を交えながら楽しそうに話す姿は、厳しい戦いの中で見せていたのとはまた違う魅力を放つ。
「20歳の娘と、高校1年生の息子からはただのオヤジだと思われていますよ。子どもたちからすれば、生まれた時から父親はプロ野球選手だったけれど、家でダラっとしている姿も見ていますからね」
平成28年9月、惜しまれながら三浦大輔はユニフォームを脱いだ。本拠地である横浜スタジアムには多くのファンが詰めかけ、球場の外には急きょ大型ビジョンが設置された。流れる引退セレモニーでの姿をひと目見ようと、球場から最寄りのJR関内駅まで、大勢の人が押し寄せた。横浜DeNAベイスターズの前身である横浜大洋ホエールズ時代から数えて24年。いい時も、悪い時も、すべてのプロ野球人生を横浜で過ごした「番長」を多くの人たちが愛し、声援を送った。現在もなお、その背番号「18」は「横浜ナンバー」として準永久欠番に掲げられているほどだ。
そんな「番長」の引退から1年。横浜DeNAベイスターズはクライマックスシリーズを制し、19年ぶりに日本シリーズへ出場した。
「単純に『うらやましいな』とは思いましたよね。どうせなら去年やってくれや、って(笑)。でもチームの成長はたくましく、うれしく感じます。苦しかった時代のほうが自分は長かったし、引退はしましたけど、後輩から『ビールかけは最高でした。三浦さんに言われてきたことがやっとわかりました』と言われて。自分自身、ずっと『横浜はいいチームになってきた』と言いたい。そう思ってやってきたので、胸を張ってそう言えるチームになってきているのが本当にうれしいです」

強いチームを倒したい
無名校からプロ野球の世界へ

42歳までの野球人生を振り返ると、いつも「強い相手に勝ちたい」という思いがベースにあった。少年野球や、シニアリーグに汗を流した頃は全国大会など遠い目標。高校は奈良の高田商業へ進んだが、県大会の決勝で敗れ、甲子園出場には届かなかった。自身で選びさえすれば、県内でも甲子園常連校へ進む道も開かれていたはずだが、あえて望まなかった。理由は1つ。
「たとえ強い学校へ行っても、1年生だけでも大勢いるような場所じゃ、試合に出られないじゃないですか。それは嫌や、と(笑)。試合に出て強くなりたい、強い相手を倒したい、というのが一番でした」
卒業後の92年にドラフト6巡目で指名され大洋へ入団。当時は「まさか40歳過ぎまで現役でやれると思いもしなかった」と言うように、線も細く筋量も少ない。ウェートトレーニングやランニング、プロ入りとともに体は年々成長を遂げたが、入団3年目には疲労やウイルス感染が原因で肝機能障害を患い1カ月入院した。だが、その経験が自らの体と真剣に向き合う転機になった、と三浦氏は言う。
「それまでは食べたいものを腹いっぱい食べるだけでした。でも球団で栄養セミナーが開かれたりして、少しずつ自分でも学びましたね。基本は好きなものを食べるけれどバランスを考える。登板翌日は疲労回復のためにタンパク質を多めにして、登板が近づいてきたら炭水化物を多めに取ってエネルギーを蓄える。夏場も食欲が落ちず、食べることには苦労しなかったのも、現役を長く続けられた要因かもしれません」
睡眠や食事にストレスを抱えることなく、マウンドで最高のパフォーマンスを発揮する。年齢を重ねるごとにピッチングにも磨きがかかり、平成10年にはリーグ優勝と日本一を経験。順風満帆に見える選手生活だが、平成14年には右肘の剥離骨折で手術も経験した。

“もっと良くなるために
わからないことは何でも聞く”

右肘の手術やスランプ
うまくいかない時こそ学ぶ機会

「だいぶ前から肘に違和感がありました。でもローテーションに穴をあけるわけにいかないし、投げなければ誰かに自分のポジションが取られてしまう。そう思って投げ続けていたら、マウンドで肘をつったような感覚、カチカチで動かなくなってしまった。これは無理だ、と。医師は、最初は手術をしないで治そうと治療を進めてくれたのですが、それではごまかしながら二軍で投げることはできても、一軍で真っ向勝負はできない。手術をして、きちんと治そうという診断を下されたので、その年の12月に手術しました」
野球選手も多く通う横浜市の総合病院で手術を敢行。内視鏡手術とはいえ「人生初めての手術なので不安は消えなかった」と振り返る。術後間もなく開始したリハビリは痛みも伴ったが、もう一度マウンドに立って投げたい。その強い思いで自らを奮い立たせ、医師だけでなく理学療法士やトレーナーなど多くの人に、不安や疑問に感じることがあればすぐに聞いた。
「自分でも本を読んで勉強しましたが、わからないことは聞く。もっと楽に動けるために、もっと良くなるためにどうしたらいいのか、と常に考えていました。ピッチングフォームもそうですけど、自分の体の中で引き出しを増やして、対処法をいっぱい入れておきたかったんです。コンディションもメンタルもそう。ちょっと違うな、と感じることがあれば引き出しから対処法を取り出して修正する。現役時代は、常にその繰り返しでしたね」
苦しい時も根底にあったのは、「もっとうまくなりたい、もっといい球を強い相手に投げたい」という思い。それが、42歳まで続く長い現役生活を支える源だった。 どんな時も貪欲に知識を求める。それは体の不調だけでなく、スランプ時も同様だった。11年のシーズン、体のコンディションは決して悪くないのだが、開幕が直前に迫る中でもなかなか調子が上がらず、二軍でのスタートを余儀なくされた。
「初めて、『引退するってこういう時なのかな』と頭によぎりました。終わるってこういうことか、と思ったけれど、まだこのままでは終わりたくない。とにかく必死でした」
ピンチはチャンス、というべきか。二軍で調整に励む中、首脳陣から聞いたある一言が、三浦の選手生活に新たな気づきを与えた。
「歳を取ったらスタミナが落ちると思っているだろうけれど、落ちるのはスタミナじゃなくて瞬発力だぞ、と。だったら持久力を鍛えるだけじゃなく、瞬発系のトレーニングを多く入れたほうがいいんじゃないかと言われて、一時期は瞬発系のトレーニングを中心に練習しました」
前後、左右、斜め、数メートルでストップしてから切り返すなどさまざまなダッシュトレーニングを取り入れ、タイムを計測する。2週間も過ぎる頃にはタイムも向上し、体の隅々まで刺激が加わっているのを感じる。新たな発想を得て、恐れずチャレンジする。その成果が実った瞬間だった。

“継続の秘訣は「ちょっと頑張る」
頑張り過ぎず習慣にすること”

大事なのは「ちょっと頑張る」
無理せず一歩踏み出そう

紆余曲折、さまざまな転機があったこともあり、長い現役生活を終えた今、改めて感じるのは「続けることの大切さ」なのだと言う。
「たとえば痩せようと思ったら、たいていの人は最初からものすごく頑張ろうとするんです。でも、それじゃあ続かない。ちょっとずつ、ちょっと頑張る、で十分なんですよ。それが続いて、たとえば歯磨きのように『やらないと気持ちが悪い』と思えるようになれば習慣にできるんです。だからそのためには5分、10分、ちょっと頑張る。まずはその時間をつくることから始めればいいのかな、と思いますね」

“時には落ち込んだっていい
一歩踏み出せば景色は変わる”

ハマの番長を支え続けたのは、マウンドに立つたび送られる大きな声援と、どんな時でも変わらずいてくれた家族。そして何より、勝利した時の、得難い喜び――。
「うまく行かない時、落ち込む時は落ち込めばいいんですよ。でも、いつまでもそうしていては進めない。ならば、一歩踏み出す。そこに立ち続けているだけでは景色は変わらないけれど、一歩前に出れば、景色もその分、変わる。たとえ失敗しても、そうやって、また次の方法を考えればいいんだと思います。目標が叶ったときも、失敗したときも、大事なのはその次。何かを変えるのは、自分ですから」
強い相手に立ち向かい、勝利のために前へ歩み続けてきたエースとしての人生を終え、第二章はどんな道を進むのか。
「今後18番をつけるような選手が出てこなかったら、また僕が戻ってつけようかな」と話す。笑顔の奥で瞳が輝いた。

三浦大輔の心身の強さを支えたもの

元気の秘訣はよく寝て食べること

多くのアスリートが食欲の落ちる夏場の体重管理に苦労する中、三浦さんは「どんな時でもおなかは空くし、食べられないことがない」。焼肉や豚しゃぶ、白米や野菜などバランスを考えながらしっかり食べて、しっかり動いて、しっかり寝る。それが42歳まで投げ続けられた秘訣だろう。

何でも聞いて知識の引き出しを増やす

右肘の手術、リハビリ時も自身で勉強することに加え、少しでも不安や疑問があれば専門家に聞いた。「もっと良くなりたい、と思ったので引き出しを増やしたかった」という三浦氏。栄養学やトレーニング方法、体のコンディショニング法に至るまで、自分の体を知るためには、まずその道のプロに聞くことも大切だ。

オンとオフを分け、気持ちを切り替える

どんな大エースでも、打たれれば落ち込むこともある。大切なのは次の試合に向け、いかに気持ちを切り替えるか。落ち込むときは徹底的に落ち込んで、休みの日は好きなゴルフや家族との時間でリフレッシュする。そんなごく当たり前の生活が、野球人・三浦大輔を支える力になったのは間違いない。

「ハマの番長」という名の強さの裏に垣間見る、優しさと
ホスピタリティー 熱きファンの多さのゆえんを知る

インタビュールームにさっそうと登場した三浦氏。鍛えられた体から醸し出される凛とした姿勢、美しく無駄のない所作。「ハマの番長」という強くストイックなイメージとは裏腹に、やわらかい笑顔、丁寧な対応に取材スタッフの緊張も一瞬でほどけた。どんな質問にも気さくに答えてくれるその様子は現役時代と変わらない。なぜかと問うと、「勝ったときは勝因について詳しく話すのに、負けたときはムスッとして口を閉ざすのって、フェアじゃない。ちょっと違うと思うんですよね」と話し、誰に対してでも、どんな時にでも、態度が変わらない。そのセルフコントロールを徹底しているからこそ、長い年月、横浜一途に多くのファンを魅了し、現役投手を続けられたゆえんなのかもしれない。

文 : 田中夕子 写真 : 鈴木孝正




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