ドクターズファイル特集
スペシャルインタビュー 山本昌

(公開日2018年4月13日)

現役最年長の50歳まで第一線で投げ続けた山本昌氏。
体と対話し、いつも健やかに戦い続けたのには理由がある。

MASA YAMAMOTO

日大藤沢高を卒業後、1983年ドラフト5位で、中日ドラゴンズ入団。引退するまで中日ドラゴンズに32年間在籍し、最多勝(3回)、最優秀防御率、沢村賞など数多くのタイトルを獲得。2006年には、41歳でノーヒットノーランを達成し、2014年にはNPBの最年長勝利記録を樹立。2015年の引退後も、野球解説や講演などで多忙な日々を送っている。

“毎日欠かさず体重計に乗る。
体の声を聞くことから始まります”

50歳までの現役生活を支えた体への高い意識と自己管理

50歳まで現役を貫き、大きな手と体で投げ続けてきた。今はボールではなくペンを握り、シーズン中はラジオやテレビの野球中継時に解説者として活躍。「すっかり膨らんでしまって」と苦笑いを浮かべるが、程よく締まった体も風貌も、現役時代と変わらない。
「引退して、スーツを10着新調したんです。これを着続けられるようにしなきゃいけないな、と。体が膨らんで、着られなくなったらまた大出費ですから。何とか踏みとどまっているんですよ」
現役時代から、体に対するアンテナを常に張り巡らせてきた。毎日必ず体重計に乗り、登板した翌日も完全に休むのではなく、30分ほどのジョギングで体を動かす。20代の頃は休めば疲れも回復し、1日休んでも体を動かすことができたが、30代、40代と年齢を重ねるうち、休んだ分だけ次への準備に時間がかかるように。特に40代後半、選手生活も晩年に差し掛かってからは特に、「休んでしまうと次の動き始めが怖い」と感じ、けが予防の意味も込め、毎日必ず体を動かすことを意識した。
そうやって、毎日の習慣として走る、投げるという動作を繰り返していると、異変があればすぐに気づき、対処することができる。膝や足首、肘など投手として屋台骨となる部分に異変を感じればすぐトレーナーに相談、喉や鼻に違和感があれば早めに風邪薬を服用し、体をゆっくり休める、といった具合だ。
常に体と対話し、先手、先手で対応する意識の高さが、けがや病気を防ぐ健康な身体づくりの源だった。
加えて、もともと「太りやすい体質」というように、現役時代は特に体重管理にも気をつけていたそう。
「夏場に太りやすいタイプだったので、そこでベスト体重に持っていけるように、体重もコントロールしていました。毎日晩酌もしたし、食べたいものを食べていましたが、『増えたかな』と感じたら、ほんの少し食事の量を控える。それだけで15年近く体重は変わらなかったので、それほど間違っていたわけではないんだな、と今でも思っています」
前述のように、毎日欠かさず体重計に乗ることも一つだが、体重の増減を測るバロメーターになったのが、ユニフォームに着けるベルト。毎年必ず球団から新しいものが支給されるのだが、締まり具合で「体重の増減が500g単位でわかった」と振り返るように、必ず同じものを着け、体の変化を見逃さないよう常に意識し続けてきた。
50歳までプロ野球の世界で、しかも第一線で投げ続けるという快挙を達成した背景には、常に体と向き合いながら心がけてきた、小さな積み重ねがあったのだ。

毎日やるべきことは無理なく「1日3分」のトレーニング

小学3年生から野球を始め、茅ヶ崎市立松林中学3年時には神奈川県大会に出場した。野球部を率いる角田明監督の練習は厳しいものではあったが、投手として、後の野球人生につながる礎が築かれた時期でもあったと振り返る。
「とにかく肩を大きく回せ、と。手首の向き、ボールを投げる方向さえしっかりしていれば、肘と肩に負担が少ないと言われて、それをずっと愚直に守り続けてきました。プロに入っていろいろな技術を教わってきましたが、やっぱり中学の先生が言った通りだなと思えたので、中学の頃にいい投げ方を身に付けられたことは、とてもついていたんです」
卒業後は日本大学藤沢高校へ進学。入学した日に「バレー部に入らないか」とスカウトされたほどの長身と、中学時代に培った基礎を武器に、入学直後から頭角を現した。2年時には、1つ上の荒井直樹氏(前橋育英高校野球部監督)と毎朝のロードワークを欠かさず、夏の県大会でも左右の両エースとして投げ合った。強豪ひしめく神奈川大会の壁は厚く、甲子園に出場することはできずに終わったが、充実した日々を過ごした。
そして、中学の頃に「肩を大きく回して投げる」という後につながる礎が築かれたように、高校時代は身体づくりのベースがつくられた時期であり、選手としての体調管理に目覚めた頃でもあった。
寝るときは寝返りで、利き腕の左手や左肩が下になると、自然に目が覚めた。また、今でこそ高校生でも試合後や練習後に氷で肩や肘をアイシングするのが普通だが、当時は「投手は肩を冷やすな」と言われた時代。夏の大会直前の水泳の授業では、プールで肩を冷やしたら投球に支障が出るかもしれないと考えた当時の山本少年は、担任教諭に「大会が近いのでプールは休ませてください」と直談判。試験で1本か2本、50mを泳いだ記憶はあるものの、それ以外はプールに入らなかったため、1学期のみ体育の成績は10段階評価で5か6だったという。だがそれもすべて野球のためと考えれば苦ではなかった。

“無理をせず、ハードルを下げて
できることを 毎日続けるのが大事”

プロ野球選手になるためではなく、甲子園に出たい──当時はその一心で、全体練習と個人練習に加えて、就寝前には必ず2㎏のダンベルを両手に持って手首の強化に努めた。
「時間で考えれば3分もかからないトレーニングです。例えばそれが30分のトレーニングだったら『毎日やるにはしんどいな』と思ってしまうけれど、3分ならば苦にならない。無理をせず、ハードルを下げて、できることを毎日続けるのがもともと得意なタイプなんですよ」
枕元にダンベルを置いて就寝前に手首を鍛える。地道なトレーニングはプロに入ってからも欠かさず、遠征先でもかばんにダンベルを忍ばせた。周りの選手よりも重いバッグを引きずりながら、ダンベルの重さで何度もキャリーバッグの車輪を壊し、道具係には「何でこんなに重いんだ」とあきれられたが、すべては自分のため。身に付いた習慣は、年齢や経験を重ねても変わることはなかった。

30歳で膝の手術、初動負荷トレーニングとの出会い

昭和58年、ドラフト5位で中日ドラゴンズへ入団。当時は「自分も含めて誰一人、まさか50歳まで現役を続けられるなんて思いもしなかった」と笑う。
無理もない。高卒だけでなく大卒や社会人を経てプロの世界へと飛び込んでくる選手たちは、皆、輝かしいキャリアを持ち、才能にあふれた選手ばかりだった。自分よりも速いボールを投げる選手や、コントロールがいい選手が数えきれないほどいる。勝利はおろか、登板機会もなかなか与えられないまま、1年、2年が過ぎ、なかなか表舞台へ上がることはできずにいたが、昭和63年、ロサンゼルス・ドジャースへの野球留学を機に投球術に磨きがかかり、帰国後の8月にはプロ初勝利。リーグ制覇も経験し、ローテーションの一角を担う中心選手へと成長を遂げた。
そして、平成7年。オスグッド病で左膝を手術。復帰に時間を要する大きなけがではなかったが、プロに入ってから初めての手術。リハビリに明け暮れた30歳の時、大きな転機となる出来事があった。
球団が所有するスタジアム内のトレーニングルームに、新たなマシンが設置されたのだ。聞けば、初動負荷トレーニングという理論に基づいて用意された機械らしい。「試しにやってみようか」と軽い気持ちで取り組んでみたら、翌日、またその翌日と日がたつごとに体の調子がいい。重い負荷をかけるのではなく、しなやかな筋肉をつけ、体の可動域を広げ、反射機能を高める。トレーニングを行ってからキャッチボールをすると、年に数回あるかないか、という感覚を味わった。
これはいい。そう直感すると、すぐに行動に移した。マシンを開発し、初動負荷トレーニングを推奨するトレーニングコーチの小山裕史氏が鳥取でワールドウィングというジムを運営、指導にあたっていることを知った。翌年のオフには現地へ行き、以後、引退まで春と秋の自主トレ期間はトレーニングに当てた。
それをきっかけに、鳥取でトレーニングをしていたプロのサッカー選手や、オリンピック出場に向けて練習に励む陸上競技の選手など、野球以外の選手たちとの接点も増えた。プロ野球選手として、1試合や1勝、それこそ1球に賭ける信念を持って取り組んできた自負はあったが、それ以上に強い信念を持ち、ハードな練習に打ち込む選手たちの姿を見ると、思わず「プロ野球の世界は甘いな」と感じることもあったと言う。
「4年に1回のたった1本のために必死で取り組んでいる。何本も何本も長い距離を走って、それだけでもきついはずなのに、平然とした顔で宿舎までの10㎞近い道のりを、さらに走って帰る。自分を追い込める強さはすごいな、と。彼らに恥ずかしくない練習をしなければダメだ、と思いましたし、彼らのすごさを目の当たりにして『二流のプロは一流のアマチュアには勝てない』と実感しました」
もしも30歳の時に初動負荷トレーニングと出会うことなく現役生活を続けていたら、きっと50歳はおろか、40歳まで続けることもできなかった。迷わずそう言い切れるほど、人生の転機ともいうべき出会いであったのは間違いない。

”つらい時期でさえも学びに変え
悔いなく歩んだ32年のプロ生活”

自分の体にアンテナを張り自分の体は自分で守る

けがが少ない野球人生とはいえ、30歳の時に左膝、そして46歳の時には脱臼した右足首の手術を敢行した。
肩や肘といった投手生命をも脅かすような部位にメスを入れたわけではないが、それでも、術後は試合で投げることができず、積み重ねて来た連続登板や勝ち星の記録も途絶えた。それだけでもさぞ苦しい日々を過ごしたのだろう、と思いきや、元来ポジティブ思考の持ち主。たとえマイナスな状況でも「何かプラスに変えられるものがあるはず」とトレーニングに励み、リハビリ期間も前向きに過ごしていた、と笑う。
「苦しいことや、つらいことはマイナスに捉えてしまいがちですが、僕は逆。それらもプロ野球選手としての32年の中の重要な一部ですから」
とはいえ、やはり試合で投げられないというのはストレスになる。そんないら立ちや焦りを抱える日々を救ってくれたのは、手術をしてくれた医師や、ケアをしてくれるトレーナー、医療に携わる専門家たちの存在でもあったと振り返る。

”自分がいいなと信じたことには、 とことん取り組みました”

「野球選手である以上、治すためとわかっていてもメスは入れたくないんです。だから、納得した上で手術ができるよう、きちんと説明してくれる先生は、信頼できますよね。たぶんこうだろう、ではなく、はっきりと話をしてくれて、手術の後も親身になって状態を聞いてくれる。僕の足首を手術してくれた先生も、次の年のキャンプを見に来てくれて、変調はないかと気にかけ、何かと連絡をくれた。幸いすぐに治りましたが、もし万が一の事態があったとしても、何かあれば連絡の取れる体制ができていたので安心して野球ができました」
初動負荷トレーニングの小山氏と出会った時と同様に、「これはいい」と思えばすぐ相手の懐に飛び込んでいく。それが「自分の持つ強みかもしれない」と笑う。確かにそれこそが、自分にとって「いい医師」と巡り合い、信頼関係を築くための第一歩なのではないだろうか。
「与えてもらうばかりでなく、自分の体を自分でよく知っておくことも大切。今自分の状態はこうだから、ここを治してほしい、と明確に伝えれば、相手は一生懸命応えてくれる。そのためにはやっぱり、自分の体にアンテナを張り巡らせておくこと。大事な試合や頑張らなければいけないときは確かにあるけれど、自分の体を知っていれば『今は頑張ったらダメだ』という選択が間違えずにできるはず。おかしい、と思うことがあれば、勇気を持ってきちんと伝える。ギリギリまで気づかず、言わず、では遅いんです」
解説者となった今は、生活のリズムも変わり、ナイターの解説が終わって、夜12時を過ぎてから食事を摂ることもある。仕事柄、仕方のないこととはいえ、自分の体は自分で守るもの。現役時代と同様に健康面に気を配るようになり、野菜を多めに摂取し、睡眠時間を長くするなど、できることから実践している。
加えて、年に一度の人間ドックと、インフルエンザの予防接種も欠かさず、29年間無遅刻無欠席の皆勤賞だった現役選手生活さながらの健やかな日々だ。
「家族のためにも健康でいなきゃ。何事も、大切なのは予防です」
新調したスーツに身を包んだ背筋がピンと伸びる。51歳、まだ老け込むわけにはいかない。

山本昌の心身の強さを支えたもの

小さな体の変化も見逃さない

風邪をひいたかな、ちょっと疲れがたまったかな、など普段と少しでも違いを感じたらそれは体の異変を知らせるサイン。放っておけば治るだろう、ではなく、早めの対応で症状を悪化させないこと。

毎日の体重管理で健康維持

太りやすい体質を踏まえ体重管理も曖昧にせず、毎日必ず体重計に乗ることを心がける。少し増えたかな、と感じたら食事量を調整し、500g単位で調整する。プラスして、普段使用するベルトの穴で腹部周りもチェック。

できることを無理せず習慣づける

大切なのは日々の習慣。トレーニングも同様で、いきなり30分間の高強度な内容に取り組むのではなく、毎日続けられる程度のメニューを自分で選択。寝る前の3分間トレーニングを行うだけでも体は鍛えられる。

信頼できるドクターに遠慮せず相談

ケガをしてしまった時や手術の前後など、競技生活を左右する時期はドクターや医療従事者の協力を仰ぐことも不可欠。自分で勝手に解決するのではなく、今どんな状態でどうなりたいのか。包み隠さず相談しよう。

健康維持には早期の予防と健診を活用

いつまでも健康な体を維持するのは自分次第。日頃から些細な変化を見逃さないことに加え、年に一度は人間ドッグなど専門機関で健康診断を受けること。自分は大丈夫、ではなく、大丈夫だと知るためには早期の予防と健診が不可欠。

恵まれた身体の中に包まれた人懐っこく愛されるお人柄こそが、
長く続けられた秘訣だった

共通の話題を見つけては話を広げてくださるサービス精神、取材スタッフに向けられる気遣い、くったくのない笑顔。日本の野球界であれだけの偉業を成し遂げた山本昌さんを前にして緊張で張り詰めていた取材クルーは、そんな昌さんの姿に惚れ惚れしてしまった。
そう、山本昌さんが32年間、首脳陣にも若手にもファンからも愛され続けられてきた理由は、もちろん恵まれた身体、才能、努力があってのことかもしれないが、周囲を自然と心地良くしてしまう山本昌さんのお人柄によるものも大きいのだと確信した。
昌さんの言葉を借りると「懐に入る力」。その力で周りを巻き込み、身体を作り込む環境を整えて、活躍の“場”を得てきた。そんな32年間だったのではないだろうか。

文 : 田中夕子 写真 : 田中啓介




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