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米本産婦人科医院

米本産婦人科医院

米本 志朗 院長

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これまでに数多くの生命の誕生に立ち会い、地域の人々の命の糸をつないできた「米本産婦人科医院」の米本志朗院長。長年の経験と知識を生かし、患者の表情やわずかな変化から、体の異常を読み取ることを大切にしている。訪れる患者からの信頼も厚く「親身に相談に乗ってくれる」「何でも話せる」と、3世代にわたって通う人も多い。開業は1974年。現在は分娩を行わず、性病の検査や治療、婦人科検診、そして望まない妊娠に対する中絶手術に取り組んでいる。83歳となる今も、「産婦人科の医師は健康でなければ務まらない」と、酒もたばこも嗜まず健康そのもの。そんな米本院長に、これまでの医院の歩みや、診療に込めてきた思い、さまざまな事情を抱えて来院する女性の中絶手術について話を聞いた。
(取材日2019年5月28日)

少子化や高齢出産。半世紀で大きく変わった出産事情

―今年、開業45周年を迎えられたそうですね。まずは、先生のご経歴について教えてください。

私が広島大学医学部を卒業したのは、今から57年前の1962年です。その後は大学院に進んで医学博士号を取得し、1967年から広島県三原市の三菱重工の病院で7年間勤務しました。このクリニックを開業したのは1974年7月ですから、今年で45年になります。開業当時は近隣に産婦人科が少なかったので、この辺りの方のお産はほとんど私が行っていました。そして2009年に息子が安城寺町で「産科・婦人科 米本マタニティクリニック」を開業し、私はいろいろと軌道に乗るまでは帝王切開を手伝いにいくなどして、5年間息子と一緒に仕事をしました。独り立ちできるようになったのを機に私はお産をやめたのですが、あらためて数えると1974年7月から2013年7月の間に約1万人もの赤ちゃんを取り上げてきたことになります。

―すごい数ですね。分娩を扱っている時は今とはまた違った大変さもあったのでは?

お産は医師にとっても体力勝負。産気づいて、陣痛が来て、その後すっと産まれてくれるとは限りませんし、一歩間違うと大事に至ることもあります。例えば妊娠中の虫垂炎は、手遅れになると命を落とす危険性もあるんです。産婦人科は「無事に産まれて当たり前。何かあったら責任問題に発展」する大変な仕事です。さまざまな医療機器が充実した現代においても、最後に必要なのは自分の腕。ですので、ちょっとした状況の変化や、患者さんの顔を見て異常に気づけるよう、細心の注意を払っていました。

―開業された当時と今とで、大きく変わったと感じることはありますか?

あの頃は、少子化・高齢出産・晩婚といった概念がなく、出産する女性も若かった。そのため安産も多く、中には「こんなに簡単に産まれていいのかな?」というほど楽なお産もありました。今は少子化で人口も減り、晩婚の傾向にあるため30代以降の出産が増えています。昔と比べて医療機器が発達し、医療技術も進歩しましたが、高齢出産では難産になりやすく、母体や子どもにもさまざまな影響が出やすくなった。そのため、医師も慎重な対応を求められるようになりました。流産や死産、母体死亡のリスクも増え、「失敗すると次は難しい」と考える女性も増えています。実際、知り合いで母体死亡に直面し、ショックを受けて「医者を辞めて田舎に帰ろうか」と悩んでいた医師もいて、それを聞いたときは私もつらかったですね。

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