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米本 志朗 院長の独自取材記事

米本産婦人科医院

(松山市/福音寺駅)

最終更新日:2020/04/01

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これまでに数多くの生命の誕生に立ち会い、地域の人々の命の糸をつないできた「米本産婦人科医院」の米本志朗院長。長年の経験と知識を生かし、患者の表情やわずかな変化から、体の異常を読み取ることを大切にしている。訪れる患者からの信頼も厚く「親身に相談に乗ってくれる」「何でも話せる」と、3世代にわたって通う人も多い。開業は1974年。現在は分娩を行わず、性病の検査や治療、婦人科検診、そして望まない妊娠に対する中絶手術に取り組んでいる。83歳となる今も、「産婦人科の医師は健康でなければ務まらない」と、酒もたばこも嗜まず健康そのもの。そんな米本院長に、これまでの医院の歩みや、診療に込めてきた思い、さまざまな事情を抱えて来院する女性の中絶手術について話を聞いた。
(取材日2019年5月28日)

少子化や高齢出産。半世紀で大きく変わった出産事情

今年、開業45周年を迎えられたそうですね。まずは、先生のご経歴について教えてください。

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私が広島大学医学部を卒業したのは、今から57年前の1962年です。その後は大学院に進んで医学博士号を取得し、1967年から広島県三原市の三菱重工の病院で7年間勤務しました。このクリニックを開業したのは1974年7月ですから、今年で45年になります。開業当時は近隣に産婦人科が少なかったので、この辺りの方のお産はほとんど私が行っていました。そして2009年に息子が安城寺町で「産科・婦人科 米本マタニティクリニック」を開業し、私はいろいろと軌道に乗るまでは帝王切開を手伝いにいくなどして、5年間息子と一緒に仕事をしました。独り立ちできるようになったのを機に私はお産をやめたのですが、あらためて数えると1974年7月から2013年7月の間に約1万人もの赤ちゃんを取り上げてきたことになります。

すごい数ですね。分娩を扱っている時は今とはまた違った大変さもあったのでは?

お産は医師にとっても体力勝負。産気づいて、陣痛が来て、その後すっと産まれてくれるとは限りませんし、一歩間違うと大事に至ることもあります。例えば妊娠中の虫垂炎は、手遅れになると命を落とす危険性もあるんです。産婦人科は「無事に産まれて当たり前。何かあったら責任問題に発展」する大変な仕事です。さまざまな医療機器が充実した現代においても、最後に必要なのは自分の腕。ですので、ちょっとした状況の変化や、患者さんの顔を見て異常に気づけるよう、細心の注意を払っていました。

開業された当時と今とで、大きく変わったと感じることはありますか?

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あの頃は、少子化・高齢出産・晩婚といった概念がなく、出産する女性も若かった。そのため安産も多く、中には「こんなに簡単に産まれていいのかな?」というほど楽なお産もありました。今は少子化で人口も減り、晩婚の傾向にあるため30代以降の出産が増えています。昔と比べて医療機器が発達し、医療技術も進歩しましたが、高齢出産では難産になりやすく、母体や子どもにもさまざまな影響が出やすくなった。そのため、医師も慎重な対応を求められるようになりました。流産や死産、母体死亡のリスクも増え、「失敗すると次は難しい」と考える女性も増えています。実際、知り合いで母体死亡に直面し、ショックを受けて「医者を辞めて田舎に帰ろうか」と悩んでいた医師もいて、それを聞いたときは私もつらかったですね。

患者の大切な体を傷つけない。つらい選択も支えていく

こちらにはどのような症状の患者さんがいらっしゃいますか?

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2009年にお産をやめ、現在は性病の検査や治療、膣炎の治療、子宮がんの検査、婦人科検診、そして望まない妊娠をした女性の中絶手術などを中心に行っています。そのため、患者層は10代から30代の若い方が多いですね。また、産婦人科で扱う薬の中には、近くの薬局で取り扱っていないものも多いため、院内処方を行っています。そうしたこともあり、「薬局に行く手間が省けて来やすい」と考えていらっしゃる方も多いようです。

中絶手術は、先生にとってもつらく複雑な気持ちになる手術だそうですね。

以前は、話を聞いて「産みなさい」と諭すこともありましたが、今はさまざまな事情があるので無理に「産みなさい」とは言えません。妊娠3ヵ月を中心に12、13週までの方に対して、人助けと思って行っています。10代前半の女の子や、飲食業関係の方、経済的な理由で産めない方、40代後半で予定外に妊娠をしてしまった方など、さまざまな理由を抱えた方がいらっしゃいますよ。そういう方たちに対して私ができることは、大切な体を傷つけないよう、きれいに丁寧に処置をすること。そして「必ず1週間後に見せにおいで」と伝えます。「あなたが来てくれなかったら、あなたの体がどうなっているか、このまま一生確認できないことになる」とお話しすると、ほとんどの方が来てくれますよ。そしてその時に、超音波で術後の状態や出血具合を確認するようにしています。

先生が産婦人科の医師になろうと思ったきっかけを教えてください。

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大学院時代に姉から「病院には明るいイメージがないけれど、産婦人科はお産があり、ニコニコ笑っておめでたい話ができる科だね」と言われたんです。確かに、病院にはさまざまな科がありますが、その中で明るい気持ちで診療をできる科は「産婦人科」です。「なるほど、これは楽しいんじゃないか? 明るい科だからこれは良い!」と思い、産婦人科の医師をめざしました。

数多くの命の誕生に立ち会えた喜び

これまでの医師生活の中で、心に残る患者さんとのエピソードがあればお聞かせください。

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感激したことはたくさんありますが、中でも印象的だったのはずっと子どもができず、不妊治療を行っていた女性に、男の子が産まれた時のことですね。出産後、「先生ありがとうございました。大事に大事に育てます」と涙を流してくれた時は、私もとてもうれしくて一緒になって喜びました。また、当院で中絶手術を受けた女性のことも心に残っていますね。数年後にその子の母親から電話があり、「娘がよその産婦人科で中絶手術を受けたのだけれど、ひどい腹痛と出血が続いている。米本先生の時は、痛みも出血も少なかったから心配だ。診てほしい」と言われ、すぐに来てもらって手術を行いました。中絶手術は一歩間違うと、子どもが産めなくなる可能性もありますから、細心の注意が必要なのです。

この52年間、お忙しい日々を過ごしてこられましたが、そんな先生が心から楽しめるご趣味は何でしょうか?

音楽鑑賞です。自宅に音響設備の整った30畳のオーディオ部屋を造ったので、そこでクラッシックの交響曲をゆったりと聴いていると、日々のストレスや疲れが癒やされます。たまに家に友人が遊びに来て、「ずっと聴いていて退屈しないのか?」と聞かれますが、私にとっては最高の時間。趣味の違いなのでしょうね。

これまでの医師生活を振り返り、どのように感じていらっしゃいますか?

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ここで長いことやってきましたからね。私が取り上げた女の子が成長して、その子の子どもをまた私が取り上げてということもよくありました。今、考えると産婦人科の医師になって52年間、ずっと一人で産婦人科を担当してきたので、いつお産で呼ばれるかわからず、いかりを下ろした船のようにどこにも行けない毎日でした。お産は陣痛が始まっても、すぐにパッと産まれるわけではありません。ときには何十時間と経過を見なければいけないこともあります。私は実家が広島ということもあり、親父とおふくろの死に目にも会えなかったですし、姉の結婚式にも参加できなかった。親戚から「大事な時に何で帰ってこない?」と怒られたこともありました。でも、これまでに数多くの生命の誕生に立ち会うことができましたし、産婦人科の医師になって良かったと思っています。

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