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石塚 健二 院長の独自取材記事

石塚医院

(枚方市/樟葉駅)

最終更新日:2021/10/12

石塚健二院長 石塚医院 main

枚方市南楠葉2丁目、樟葉小学校の北門東側に「石塚医院」がある。1952年に枚方市が開設した診療所を前身に、1963年に開院した内科・小児科のクリニックで、50年を超える歴史がある。院内には古き良き時代を思い出させるレトロな器具も残され、庭に面した明るい診療室など居心地の良い空間となっている。石塚健二先生は父である先代の後を継いで2003年に院長となり、地域に密着した診療を実践。なんでも相談できる地域の身近な医院として、あえて専門的な分野を決めるのではなく、患者のさまざまな悩みや相談に応えている。地域医療を担う医師としてのこだわりや日頃の診療で心がけていることなどについて、石塚院長に話を聞いた。

(取材日2018年4月17日)

公設の診療所をルーツに、50年以上の歴史を持つ

前身は公設の診療所だそうですね。

石塚健二院長 石塚医院1

1952年に枚方市が開設した内科・小児科の診療所が当院のルーツです。その当時はまだ国民皆保険の制度ができておらず、国民健康保険制度をスタートさせるにあたって、国民健康保険について広く知ってもらうために開設された診療所の一つと聞いています。消化器内科の医師であった父は、1955年に所長としてこの診療所に赴任しています。その後、1963年に当初の目的を達成したとして診療所が廃止される際に、父が市から買い取って石塚医院を開院しました。

物心ついた時には、お父さまがここで診療されていたのですね。

私が生まれたのは、父が診療所の所長をしていた頃ですね。とはいえ、石塚医院を開設したのは私が4歳の時なので、診療所のことはほとんど記憶にありません。医師の家に生まれたのだから、医師をめざすのはごく普通のことだと思うのですが、診察室に子どもは入れてもらえなかったので、父が働いている姿を見る機会はほとんどありませんでした。また、父のことを尊敬していましたが、特に中学・高校生の頃などは医師になることに反発していました。父からも医師になりなさいと言われたことはなく、「自分の道は自分で探しなさい」と言われていました。

他にめざす進路があったのですか?

将来についてはっきりとした目標があったわけではありません。ただ、幸か不幸か国語が苦手なので(笑)、選択科目がどうしても理数系になり、受験できる学部が限られていました。兄が歯学部に進んでいたので、歯学部か農学部にでも行こうと考えていたのですが、結局一年浪人して父の勧める医学部を受験しました。合格すると周りから「よくやった!」と言われ、半ば外堀を埋められるようなかたちで医師への道を歩み始めたのが本当のところです。

大学では何科を専攻されたのですか?

石塚健二院長 石塚医院2

クラブの先輩が呼吸器内科で、よく知っている先輩方も多くおられたので呼吸器内科を選びました。医学部に入学した時点で、父の後を継ぐことになるだろうと思っていたので、喘息を診たり、エックス線写真を撮ったりする呼吸器内科なら、開業医となったときに知識や技術が生かせるだろうという思いもありました。その頃はちょうど睡眠時無呼吸症候群がトピックスになっており、喘息と並んで教室でもよく取り上げられるテーマでした。

患者の幅広い悩みや相談に、対応できる医院をめざす

院長就任以前のキャリアについて伺います。

石塚健二院長 石塚医院3

大学病院で2年間研修医として勤務し、大学院へ進みました。研修医時代から愛知県の豊田地域医療センターで、夜間の当直医として大学病院から派遣されていました。夜間救急診療を担うために市が開設した内科・外科の施設です。当時は50床ぐらいの小さな規模で、開業医と連携して難しい症例にあたったり、他の医療機関の検査を受注したりしていました。夜間当直の時には、内科の医師が小児科を担当していたので、多くの小児の症例を経験できました。担当教授がセンターの院長に就任され、呼吸器内科を立ち上げられる際にサポート役として一時的に勤務し、博士論文を仕上げて大学院を修了した後に常勤医として勤務しました。当時はまだ、ステロイドの吸入療法が定着していなかったので、夜間に発作を起こして救急搬送される患者さんを多く診させていただきました。精密検査のために来られる患者さんも多く、肺がんが見つかるケースもよくありましたね。

その後は地元枚方の病院に勤務しておられますね。

さまざまな診療科を開設した病院です。呼吸器内科ではなく一般内科に勤務したので、気管支カメラなど呼吸器内科の専門的な治療も行いながら、内科全般の治療を担当しました。透析治療を行っている病院だったので、血液透析も経験できました。その一方で、父が高齢になってきて、引き継ぎの準備をする必要があったので、週に2回、石塚医院での診療も開始しました。父と相談して、開業医の仕事を知るためにも、患者さんの顔を覚えるためにも、少しずつ慣れていくほうがいいと考えたのです。

院長に就任された時に、どんな医院をめざそうと考えられましたか?

石塚健二院長 石塚医院4

病院では内科で幅広く診療してきましたので、専門的な領域に集中するのではなく、内科全般、小児科全般を広く診られる医院にしようと思いました。当時はまだ現在ほど、診療科が細分化されていたわけではなく、よほど特別なケースでない限り、開業医は専門性を強調するよりも、幅広く対応するほうが患者さんにとっても良いと考えたのです。「この病気だから受診する」という方よりも、「困っていることがあるから相談しに行く」という方が多く、そういったさまざまな相談に対応していける医院ですね。幸いなことに最近は、CTやMRIを備えた画像診断の施設や消化器の内視鏡に強いクリニックなど、近隣のエリアに専門性の高い医療機関が増えてきました。専門的な診療が必要な場合はそうしたところと連携するようにしています。

専門用語は使わず、できる限りわかりやすく説明

現在はどんな患者さんが多いのですか?

石塚健二院長 石塚医院5

高血圧症、脂質異常、糖尿病といった生活習慣病を抱えておられる方が多く受診されます。お子さんの場合は、風邪に代表される感染症、喘息などが主ですね。当院の前身の公設診療所は、戦後に集落のあった場所に開設されましたから、当院に来られる患者さんも古くからの地域の方が多く、年々、高齢の方が増えています。新しく開発された地域から来られる方も、もとは古くからの地域に住んでおられた方です。高齢になると薬の飲み忘れなどもよく起こるので、来院日と薬の残量を確認するなどして対処しています。

生活習慣病だと長く診ていかれるケースが多いですね。

生活習慣病を的確にコントロールするためには、定期的に検査をして患者さんの状態を見極める必要があります。ただし、度重なる検査は患者さんにとって負担になることもあるので、状態が安定している場合は、なるべく頻度を少なくするように心がけています。特に長く診させていただいている患者さんは、状態が安定している方が多いので、検査の間隔は比較的長めになります。

患者さんと接するときに心がけておられることを教えてください。

できるだけわかりやすく説明するということです。可能な限り専門用語は使わずに、専門的な視点でみると不十分な説明であっても、患者さんにとって理解しやすいように話すことを心がけています。例えば、肺繊維症、肺気腫という病気があります。肺繊維症を説明する際に「肺が繊維化します」といってもピンとこないので「健康な肺を台所のスポンジだとすると、肺繊維症はナイロンたわしのように硬くなった状態です」と説明します。肺気腫の場合は「スポンジを使い古して中が抜け、だらりとなった状態です」と説明すれば、肺がどんな状態なのかイメージしやすいと思います。また、当院のホームページでは予防接種について詳しく説明しており、これも予防接種の説明は難しいものが多いので、なるべくわかりやすくしようと書きました。ただし、書いていくうちに長くなってしまって、本当にわかりやすいのか判断は難しいところですね(笑)。

それでは最後に、読者にメッセージをお願いします。

石塚健二院長 石塚医院6

身近な地域の医院として、どんなことでも気軽にご相談いただければと思います。かかりつけでないという方も、遠慮される必要はまったくありません。例えば、何科を受診していいかわからないというような場合でも、ご相談いただければ、すぐに適した診療科やクリニックをご紹介します。ご自身とご家族の健康のために、地元の医院をうまくご活用ください。

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