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芦田 元 院長の独自取材記事

芦田クリニック外科胃腸外科

(吹田市/岸辺駅)

最終更新日:2019/08/28

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「芦田クリニック外科胃腸外科」の院長を務める芦田元先生は、医師歴約60年の大ベテラン。1969年に開院したクリニックも、間もなく50周年の節目を迎える。クリニックがあるのはJR京都線・岸辺駅から徒歩15分、府道14号・大阪高槻京都線沿い。旧来の診療所を建て直し、2017年7月に新装。2階が「芦田クリニック外科胃腸外科」で、3階では芦田先生の娘が歯科を開いている。この場所に院を構え続けるのは、生まれ育ち、一度も外に出たことがない吹田の街に深い愛情を持ち、そこに暮らす人々の役に立ちたいとの思いから。吹田の街と人々に深い愛情を注ぐ芦田先生が、懐かしい時代の話や、今の診療スタイルなどを語ってくれた。
(取材日2017年10月11日)

生まれ育った、吹田の街の人々の役に立ちたい

ベテラン医師として今もご活躍されている先生の、ご経歴を教えてください。

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神戸医科大学を卒業して、医師になったのが1959年です。卒業後は大阪大学医学部付属病院の第2外科、吹田市民病院、八尾市立病院での勤務を経て、1969年に開院しました。ですので医師になってからは約60年、自分の院を開院してからも約50年になります。50年近くがたって建物や設備が古くなってきたので、思いきって建て替えて、この夏に完成しました。使い心地はいいですし、真新しいので気分もいいですね。この上の3階では、娘が歯科をやっています。息子も2人いますが「こんなに忙しい仕事は嫌だ」と言って、後は継いでくれませんでした(笑)。

こちらで開院したのは、どういった理由からですか。

僕は生まれが、吹田の千里山なんですよ。高校は大阪府立北野高等学校でもちろん自宅から通っていましたし、大学時代も下宿はしていませんでした。ですから、生まれてから一度も吹田以外で住んだことがないんですよ。生まれ育って、それからもずっと暮らしている街ですから当然、思い入れも強くあります。それだからこそ、吹田の街の人たちのために働きたいと思って、この地で開院しました。開業した頃はこのあたりに外科を診療する医院が少なくて、とにかく忙しかった。1日で130人くらいを診ていましたよ。夜も遅くまで診療していましたね。当時は診療所の上で、家族と住んでいたんです。

約50年とは、長い歴史ですね。何世代にもわたって来られている方もいるのではないですか。

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今は患者さんのご家族の、3代目を診ていますよ。最初に来られていた方がおじいちゃんになって、その息子さん、そしてお孫さんですね。それが5家族くらい、いらっしゃるんです。そんな方々を含めて、今は当院に来られる患者さんは、ほとんどが知っている人ばかりですね。この辺りに引っ越して来られた新しい人もいますが、多くは昔からの顔なじみ。皆さん、なにかあれば当院に来られます。喜んでいただけますし、開院するときから地元の人の役に立ちたいと思っていましたから、やりがいがありますね。

近隣の医院との関係を密に、さまざまな症状に対応

こちらには、どのような不調を訴えて来られる患者さんが多いのですか。

胃腸外科の診療も行っていますので、消化器系統の患者さんも多いですね。あとは、風邪をひいたとか。昔からよく知っている人が、目の不調を訴えて来られることもありますよ。専門外でも何でも診て、断ることは基本的にしないです。診察をして自分の専門外であったり、必要でしたらほかの病院を紹介しています。大阪大学医学部付属病院の第2外科にいたので吹田市民病院、済生会千里病院とはつながりがあり、それぞれに後輩の医師達がいます。そこを紹介したりしていますね。近隣の病院とは親しくしていて、密に連携しています。ほかの病院とのネットワークを持っておくのは、開業医にとっては大事なことですから。

医師になりたてのころは、どんな先生だったのですか。

手術の技術を身に付けるまでは、必死でしたね。外科の医師は手術が上手でないと、務まりませんから。八尾市立病院にいる頃に、虫垂炎等の手術の経験を積み、おかげで虫垂炎のスペシャリストになりましたよ(笑)。八尾市立病院では、こんなこともありました。医師になって、2~3年目の頃でした。十二指腸潰瘍穿孔といって、十二指腸に穴が開いてしまった患者さんが、夜中に運ばれてきたんです。十二指腸に開いた穴から胃の内容物が出ていて、放っておいたら死んでしまうようなひどい状態。それを僕一人で、穴が空いているところを切除して、胃とつなぐ手術をしたんです。その患者さんが無事に退院してくれたときは、医師になって一番うれしかったですね。

先生の医師としてのポリシーを教えてください。

患者さんの身になって、親切にしてあげることです。そうやって接すれば、患者さんに喜んでいただけます。開院した当時から、その考えは変わっていません。今でもそう。患者さんに親身になって接することを大事にしてやってきたおかけで、開院してからこれまでの約50年間に、トラブルが起こったことは一度もありません。それとやはり、どんな方でも診てあげることですね。当院は外科胃腸外科ですが、診療科目にな身体の不調がありましたら、お越しいただいてかまいません。吹田には吹田市民病院、済生会千里病院のほかに、国立循環器病研究センター病院もありますので、循環器系の患者さんはそこに送ることができます。僕が得意ではないことはそれらの病院をご紹介して、ここで薬を処方しています。

90歳になっても、現役の医師でいたい

開院して約50年ですから、当時とはこのあたりの雰囲気も大きく変わったでしょうね。

開院したのは、大阪で開催された日本万国博覧会の1年前だったんです。パビリオン建設に各国の建設員の方たちが来ていて、その人たちのケガや、外科関係のことを診ていました。昔のこのあたりは企業の社宅が多くあって、そこに住んでいる会社員とその家族が多かったですね。それにまだ、農家もありました。往診に行って、当時も珍しかった農業用の牛を飼っている農家さんがいたことに、驚いたのを覚えています。それに当時はこの前の道路が、4車線だったんです。交通事故が多くて、ケガをした人がよく当院に運ばれてきていました。手術が必要な場合は、済生会千里病院の設備を借りて、自分でやっていましたね。その道路は今は2車線になって、周辺にはマンションも増えましたので、街の雰囲気はずいぶんと変わりました。

日々診療する上で、先生が大事にしているのは、どんなことですか?

それはまず、自分が健康でいることです。この上は娘の歯科医院ですので、仕事で連携することはあまり多くはありませんが、僕の歯の掃除をしてもらっています。歯科といえば僕が医師になってすぐの頃に、豊津で開業していた友人に親知らずを抜いてもらったんです。そのときに歯科医師の友人に「歯を磨いた後は、指で歯ぐきをマッサージしろ」と言われて、それを今もずっと続けています。ほかの歯科医師に聞いても、それは大事なことだと言いますね。そのおかげで今でも全部、自分の歯です。食事がちゃんとできないことには、体の調子を保てませんからね。それが、僕の健康の秘訣かもしれません。これからも健康に留意して、まずはあと6年、90歳になっても医師でいることを目標に頑張ろうと思っています。

普段の休日などは、どんなことでリフレッシュされているのですか。

一番の趣味は、ゴルフです。最近は月に3回くらいですが、最盛期は週に3回くらい行っていたんですよ。医師になりたての1960年に始めて、熱中しましたね。開院してからは忙しくて休めず、なかなかできなかったのですが、20年くらいたって落ち着いてからは、またコースに行くようになりました。最高でハンデ7のシングルプレーヤーになりましたし、アメリカやイギリスの名門コースでプレーしたこともあるんですよ。その頃は木曜の午前中の診療を休むようにして、朝からゴルフに行って、夕方からの診察に間に合うように帰ってきたりしていました。それで木土日と、週に3回プレー。ゴルフ場でよく「先生、仕事してるの?」と言われたものです(笑)。仕事も遊びも、全力でしたね。

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