医療法人 八杉クリニック

医療法人 八杉クリニック

八杉 誠院長

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自分の体は自分で治す。それが医療への第一歩だった

―クリニック開業にあたり、この地を選んだ理由は?

実に単純な話でして、私、すぐ隣のマンションに住んでいたんです。ちょうど勤務医を辞めようという時にこのクリニックの場所が空いたので、これは通勤に便利だと思いまして(笑)。自宅のあったマンションが実に巨大で、2棟で約5000人が暮らす、これだけで一つの立派な街だったんです。入居者はヤングファミリーばかりでしたから、そのお子さんたちを診てあげたかったというのが、もう一つの動機ですね。患者はみんな、うちの子の同級生や同じ学校の生徒、その家族だったりするわけで、地域の皆さんの健康をなんとかしてあげたいという思いは、ごくごく自然なことでした。あれから30数年、当時の子どもたちは仕事や結婚で散らばっていき、お父さん、お母さん方が高齢になって残っておられる。この地域の年齢構成も、すっかり変わりましたね。

―院長が医療の道をめざした、そのきっかけは何でしたか?

うちは決して医者の家系ではなく、父は単なるサラリーマンで貧しい家庭でした。私を含めて4人兄弟だったんですが、そのうち2人が幼くして亡くなっているんです。終戦後すぐで、今のように医療が普及していませんからね。私自身も病弱な子どもでした。すると母が、「誠、できればお医者さんになって、自分の体は自分で治しなさいね。そして私の体も診てちょうだいね」なんて言うんです。家族の不幸、そして病気がちだった私をおもんぱかって出た言葉だったのでしょう。そのとき私は小学生でしたが、その後、中学2年の頃に腎炎にかかって入院し、治すのに5年もかかりました。得意だったスポーツができなくなり、「これは自分のためにも絶対に医者になるべきだ」と、強く心に誓ったわけです。

―勤務医時代のことを教えてください。

大阪の北野高校から神戸大学医学部へと進み、所属医局は小児科でした。そのあと勤務医として警察病院に勤めたのですが、早朝から担当病棟を回り、9時からは外来の診察。午後からは人手の足りない手術室に呼ばれ、患者さんに麻酔をかけるという日々でした。そのうち上司が「小児科だけではダメ。内科も勉強しなさい」と、夜の内科のアルバイト先を紹介してくれました。そういうわけで、午前中は小児科、昼から外科、夕方から内科と、気付いたら全部できるようになっていたんです。このあと救急病院にも勤め、医療現場のノウハウや大変さをみっちりと体で覚えました。こうした経験は、今でも大いに助けになっています。

記事更新日:2017/05/19


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