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ごとうせつこレディスクリニック

後藤 節子 院長

67027

栄駅5番出口より徒歩3分。1階に眼鏡店があるビルの7階に「ごとうせつこレディスクリニック」はある。院長の後藤節子先生は、名古屋大学・産婦人科で研鑽を積み、母として子育てをしながら絨毛性疾患の基礎研究室室長と医局長を務め、さらに教授として看護師・助産師の育成にも取り組んできた。診療の際、インフォームドコンセントを大切にし、説明に重きを置く後藤先生の口調は、優しく穏やかでありつつも要所をおさえていて理論的。今回は、そんな後藤先生に医師を志した理由から低用量ピルによる治療のメリット・デメリットまで、さまざまな話を聞いてきた。
(取材日2017年4月21日)

医師・研究者として40年以上、医療に尽力

―医師を志したきっかけと産婦人科を専門に選んだ理由をお聞かせください。

私の両親は小学校と女学校の教師でしたので、最初は私も教員になるつもりでいたのですが、10才の頃に病気をしまして。虫垂炎を見逃されて腹膜炎になり、その後に腸閉塞なども起こして25歳ぐらいまで生活に支障を繰り返していたんです。そういった環境の中で、医療に携わる人間になりたいという気持ちを強く持つようになりました。産婦人科を専門にしたのは、大学の授業で一番面白かったことと、教授の医療に対する姿勢に共感し、この先生について学びたいと思ったからですね。当時は産科診療と婦人科診療が分かれていなかったこともあり、入局してからはとてもハードな日々でした。また、産科病棟の責任者の時は救急車が入って来る度に、胸が痛くなったのを今でも覚えています。産科の救急というのは母子ともに命に関わることが多いものですから。

―今までのご経験の中で、印象的だったことを教えてください。

名古屋大学の産婦人科では「絨毛性疾患」という胎盤のがんを研究していました。当時の産婦人科教室の専門テーマで、私が入った頃は病室の8割ぐらいがその病気の患者さんでした。胎盤のがんなので若い方が出産や流産の後にかかることが多く、20、30代の方が1ヵ月に1人ずつぐらいのペースで亡くなり、それが本当につらかったです。けれど研究を重ね、私が大学を離れる頃にはほぼ完治できるところまで進歩しました。ベトナムでもこの医療技術の指導を行い、死亡する方がほとんど無くなったので、感謝状をいただきました。仲間と協力して結果を出し医療に貢献できたことは、医師として研究者としてとても誇らしく思っています。ただ最近では妊娠する方が減っているので絨毛性疾患そのものが減り、治療を経験しない病院も増えているようです。正しく治療を行えばほぼ確実に治る病気なので、未経験が原因で手遅れになるケースがあるのは悔しいですね。

―教育者として看護師、助産師の指導にもあたっていたそうですね。

はい。臨床にも携わりながら、名古屋大学の保健学科をはじめ1993年から19年ほど看護師教育と助産師教育を行っていました。もともと、看護師さんたちとは一緒に病院内保育所をつくるなど、さまざまな活動をともにしていたんです。仲良くさせてもらっていたので、良い雰囲気の中で仕事ができましたね。看護師は医師の単なる補佐的な存在ではなく、一緒に医療を担う人材として高め合いたいと昔から思っていましたし、そうあってほしいと教育をしてきました。今は看護大学もでき、看護に従事する人の意識も向上しているように感じます。当院のスタッフもそうですが、医師と同じ立場の仲間として働いてくれているので、とても心強いです。

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