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福岡 多美子 院長の独自取材記事

福岡医院

(日野市/南平駅)

最終更新日:2021/10/12

福岡多美子院長 福岡医院 main

京王線南平駅から徒歩5分の「福岡医院」は、長い歴史を持つ。福岡多美子院長は東京医科歯科大学出身で、まだ女性医師が少なかった時代から診療を続けてきたベテランドクター。院長の夫が細部までこだわったという同院の内装は、ほぼ開業当初のままだが、今なお洗練されたデザインで清潔感が感じられる。「患者さんとは親戚のようなお付き合い」と優しいまなざしで語る福岡院長。患者が入院すればお見舞いに行き、亡くなれば葬式に参列することもあるという。患者たちが健康のトラブルを相談しやすい環境を整えており、過去に何度も隠れた重症疾患を発見してきたそうだ。地域に根差し、患者と厚い信頼関係を築いてきた福岡院長に、大いに語ってもらった。

(取材日2018年2月23日)

自ら道を切り拓いた、女性ドクターの先駆的存在

最初に先生のご経歴を教えていただけますか?

福岡多美子院長 福岡医院1

私は東京医科歯科大学の出身です。当時は学年に40人の学生がいるうち、女性は私だけだったんですよ。大学を卒業後は母校の大学病院で小児科の診療と研究に取り組み、その後八王子の仁和会総合病院で小児科を開設して5年間医長を務めました。そしてこの地に小児科・内科の医院を開業して、今日に至ります。昔は辺り一面田んぼが広がり、富士山がよく見えたものです。そんなのどかな雰囲気が子どもを育てるのにもいいのではないかと感じ、この場所を選びました。

長い年月をこの地の医療に捧げてこられたのですね。

まだ生後6ヵ月の子どもを育てながらの開業でした。自分の子だけでなく、この地域の子どもたちみんなの面倒を見よう、元気な子どもに育てよう、そんな思いで診療を始めました。長年診療してきましたから、親子2代どころか3代、4代で通う患者さんも珍しくありません。内科の診療も行なっていますから、子どもの頃に来ていた患者さんが大人になって来院して、「具合が悪いときに待合室の椅子に寝かされたなあ」と懐かしがっていましたね。地域に小学校や幼稚園ができた時からずっと校医・園医も担当しており、まさにこの地域に根差して診療してきたと感じています。

患者さんからはどのような相談が多いですか?

健康診断で問題のあった方が相談に来るなど、患者さんからの要望はさまざまです。今シーズンのインフルエンザでは、1日に大勢の患者さんが来ていました。他にも、月経不順や痔による出血など、小児科や内科以外のデリケートな悩みを相談されることもあります。全身のすべてを診ることは、私のモットーなのです。

そのモットーについて詳しくお聞かせください。

福岡多美子院長 福岡医院2

開業当初からずっと、全身の相談に乗り、全身診ることをモットーにしています。例えば、赤ちゃんが泣きやまないので全身をくまなく診てみると、ヘルニアだったり、足の爪にケガをしていたり、思わぬところに重大な原因が見つかることがあります。それは大人も同じ。ですから、「風邪をひいた」という相談でも、下痢をしていないか確認し、おなかが痛い人には必ずおなかに触れ、聴診器を当てる、舌圧子を使って喉を診る、耳鏡で耳の中を診る、といった基本的な診察をしっかり行います。また、患者さんの話を聞くことも大切にしています。パソコンに向かっているのではなく、患者さんのお顔をしっかり見て、きちんとコミュニケーションを取ることを心がけています。

家族のように患者と接し、診療を楽しむ

院内処方も続けておられるんですね。

福岡多美子院長 福岡医院3

今は院内処方を行っている医院は少なくなりましたが、開業以来こだわって続けてきました。院外の薬局に行く必要がなく、患者さんにとって便利だと思うからです。昔はこの地域も赤ちゃんが多かったので、よく高熱やひきつけを起こしている赤ちゃんを抱えたお母さんが飛び込んで来たものです。靴を脱ぐのも忘れてしまうくらい慌てていらっしゃって、そんなお母さんにお薬は院外の薬局に取りに行ってとは言えませんでした。今ほどたくさん薬局があるわけでもなかったですしね。もちろん、希望される方には処方箋をお出ししますので、近隣の薬局に行って薬を貰っていただくことも可能です。

医師になろうと思ったきっかけは何でしたか?

医師になろうと思ったのは、勉強が好きだったことと、脳腫瘍で亡くなった兄の勧めがあったからでした。当時、女性が勉強を続けるには医学部か学校の先生くらいしか道がありませんでしたから、兄の後押しもあって、医師の道へ進んだんです。また私は兄弟が多く、赤ちゃんの扱いに慣れていたので、小児科を選びました。私の特技は赤ちゃんをあやすこと。どんなに泣いていても笑わせられますよ。おもしろい顔なのかしらね(笑)。赤ちゃんがニコニコすると、親御さんも喜ばれます。お子さんの採血では、横に寝かせて「天井の模様の数を数えてごらん」と言って、数えている間にさっと終わらせてしまいます。小児科も、もちろん内科も、楽しんで診療しています。

患者さんと接する際にどのようなことを心がけていますか?

患者さんとは姉妹だったり、おばあちゃんだったり、親戚のようなお付き合いをしています。「今日は寒いわね」とか「今日はどうしたの?」と聞くと、たくさんおしゃべりしてくださるんですよ。お菓子やお弁当を持って来てくれたりして、私もミカンなどお返しをあげるんです。その分、症状が重い方を診察した日は経過が気になって、1日中考えてしまうんです。そういった場合は、患者さんがおうちに帰ってからも電話やFAXで経過を確認するようにしています。良くなったという言葉が聞けたら、やっと安心して眠れますね。また、患者さんが入院すれば必ずお見舞いに行きますし、亡くなればお葬式にも行きます。「患者さんに寄り添う」といった大げさなものではありませんが、患者さんとは昔からずっとそういう付き合い方をしています。

患者さんとの思い出深いエピソードを教えてください。

福岡多美子院長 福岡医院4

たくさんありますが、乳がんを多く発見してきたことは印象的です。例えば、血圧をよく測りに来る患者さんがいて、その際きちんと診察もするようにしていたら乳管がんを発見できたケースがあります。それから「左胸に乳がんができたのではないか」と慌てていらっしゃった患者さんがいて、それ自体はただのニキビだったため問題ないことを伝えると安心されていました。しかし、念のため右胸を診てみたら、そちらに乳がんがあって早期発見できたということもあります。乳がんに限らず女性のデリケートな健康上の悩みもよく相談されますが、何でも話せる関係を築くことはとても大事なことですよね。

気持ちにゆとりを持つことで、変わるものがある

スタッフさんもベテランの方が多いそうですね。

福岡多美子院長 福岡医院5

スタッフは3人いて、みんな10年ほど勤務しています。他に掃除や植木のお世話をしてくれる方もいますし、それから杏林大学に勤めている息子が第2・第4火曜の診療を担当しています。求人広告を出したわけでもないのに、信頼できる優秀なスタッフが来てくれました。彼女たちのことも私は姉妹のように大事に思っていますから、家族が病気のときなどにはすぐに帰ってもらうようにしています。信頼もしていますので、カルテや医学的なことで私しかわからないようなことは私が対応しますが、それ以外はお任せしている部分も多いです。指示したことにきちんと対応してくれますから、そういう人たちに来てもらえて、私は運が良いんでしょうね。

休日はどのように過ごされていますか?

毎月、劇場にオペレッタを観に行っています。1人のときもあれば、スタッフを誘って行くこともあります。1人で寄席を見に行くこともありますよ。それ以外では、片付けをしたり、本を読んだり、買い物をしたりして過ごしています。週末には、孫を相手に将棋をさしたりもしているんですよ。

最後に、読者にメッセージをお願いします。

福岡多美子院長 福岡医院6

私が若い頃は戦争で家が焼けてしまったり、女性ということで大変なことがあったりしたのですが、今の若いお母さんたちは、それとは違ういろいろな悩みを抱えていると感じます。長年学校医や園医を務めていると、子どもの貧困も感じますね。昔の貧しさとはまた違った種類のものですが、親御さんが気持ちに余裕を持てるようになれば、変わるものもあるのではと思います。今は情報もたくさんあって、生活や医療の質は向上しているのでしょうが、時間やお金よりも、気持ちの部分でなかなか余裕を持つのが難しいのでしょうね。自分のやりたいことを好きにやって、ゆとりを持って人生を楽しんでくれたらと思います。

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