冠木 敬之 院長の独自取材記事
かぶき内科
(江東区/南砂町駅)
最終更新日:2025/09/22
東京の下町の中でも静かな街並みが広がる南砂町で、長きにわたり診療を続ける「かぶき内科」。2023年12月に同院を継承した冠木敬之院長は、循環器内科を専門とし救急医療にも従事。これまでも大学病院と都立病院で研鑽を積んできた。地域の健康寿命を延ばすことを目標に掲げ、日々病気を引き起こさないことをめざして治療と指導にあたっている。「こんなことで病院へ行ってもいいのかなと思わずに、ちょっとでも気になることがあれば相談してほしいですね」と優しく話す冠木院長。これまでの経験を生かして、これからどんな医療をめざしていくのか。 穏やかに語るその胸の内には、医療にかける熱い思いがあることをひしひしと感じる取材となった。
(取材日2024年12月4日)
人の命と人生に関わる医師の仕事にやりがいを感じた
クリニックの歴史と、こちらの地域について教えてください。

もともとこの場所で診療を行っていた先生が、父の大学時代の先輩でした。その先生の後を引き継ぐ形で、父が27年ほど前に開業をしたのが始まりですね。父はそれから間もなく南砂町へ移り住み、診療を続けてきました。私も大学病院や都立病院で勤務をしながら、8年ほど週に1回こちらで診療を行っていました。そして2023年12月に父から継承をし、新たなスタートを切りました。この地域の方々は、とても穏やかで優しい方が多いんですよ。何十年と変わらず来てくださっている高齢の患者さんや、働き盛りの患者さんもいらっしゃいます。最近は新しいマンションも増えてきて、少しずついろいろな方に来ていただけているかなと思います。
医師をめざしたきっかけは何だったのでしょうか?
子どもの頃、医師である父が家に帰ってからも勉強している姿を見て、いい仕事だなぁと思ったことが最初のきっかけかもしれません。私は勉強が大好きな子どもでした。小中高と筑波大学附属の学校へ通っていたのですが、進学校でしたので周りは優秀な人ばかり。自分は将来どんな道へ進めば良いのかと真剣に考えて、中学生の頃に経営や人生の本をたくさん読みました。そんな時に医師が書いた本を読んで、自分にはこの道が向いていると思ったんですよね。私は人と関わることが好きなのです。医師というのは患者さんの人生にもふれる仕事。知識や技術だけではなく、医療を受ける人の気持ちを理解するという面で、自分を生かせるのではと思いました。
循環器内科を専門に学ばれた後、救命救急に従事されていたのですね。

はい、私は医師になるならば目の前で倒れた人を救えるようになりたいと思っていました。例えば飛行機の中で急に人が倒れて、「この中にお医者さまはいませんか?」というような場面がありますよね。そういう時に命を助けられるのは循環器専門の医師かなと思いまして。大学病院では循環器内科に入局し、初めは心臓カテーテルの治療に専念していました。カテーテルの専門性が高い先生のもとで学んだこともあり、やりがいを感じていましたが、その後に救命救急の医師がまったく足りていないという現状を知りました。私はもともと急性期の医療に関わりたい気持ちがあったので、医局長から救急へ行ってくれないかと頼まれた時、「よし行こう」とすぐに決断したのです。
患者の生活を守るため、チーム医療と地域連携に奔走
病院勤務時代に取り組まれたことを教えてください。

救命救急に関わる中で、退院後の人の寿命というものを意識するようになりました。というのも、病気の治療の後、適切な知識で適切な薬を使わないと寿命がかなり変わってしまうということを知ったからです。循環器にもいろいろな病気がありますが、その頃は特に心不全に関して専門の先生が少なく、私は心不全の治療と予後のケアについて重点的に関わりました。心不全という病気は、薬だけではなく栄養やメンタル面、家族のサポートなどトータルのケアが必要です。そのためには、看護師・薬剤師・理学療法士などさまざまなメンバーが協力し合うことが重要だと考えて、当時はまだあまりなかった多職種連携チームの立ち上げに取り組みました。本当に患者さんを支えるには、そこまでやらなければという思いがあったのです。
医療の地域連携にも尽力されたとお聞きしました。
大学病院で診ていると、心不全の患者さんが救急車で運ばれてきたとき、たまたま受け入れができずに他の病院へ行くこともありますよね。そのとき、病院によって治療方法が違うと、今までチームで取り組んでいた治療計画も薬もゼロからやり直しになってしまい、病気の経過も大きく変わってしまう可能性が生まれると思ったのです。患者さんにとって、それは良くないんじゃないかと思いました。そこに気づいてからは、地域の救急車が行く可能性のある病院と、「うちではこういう治療をしている、先生たちはどうやっていますか?」というやりとりを始めて、地域内連携をどんどん広げていきました。5年くらいかけて最終的には近隣エリアのすべての病院と、心不全に関する治療法や管理法を統一し、JHeC(ジェヘック)という組織もできました。
新型コロナウイルス感染症の重点拠点病院にも勤務されていたのですね。

はい、東京都立荏原病院に3年間勤務していた時が、まさに新型コロナウイルス感染症流行の真っただ中でした。大学病院と違って、人工呼吸機管理ができる医師というのは限られているので、私は循環器の医師として着任後すぐにコロナ班に入りました。東京都の重点拠点病院になっていたので、ピーク時には満床に近い状態が続いていました。途中からはコロナ班リーダーになって、看護師のメンバーと助け合いながら、来る日も来る日も新型コロナウイルス感染症の患者さんを診ていました。今はこちらのクリニックでも、ウイルスの抗原検査・遺伝子検査などを行い、10分くらいで診断ができます。感染症対応については、今後も力を入れていきたいと思っています。
病気を防ぐ、そのために全力で取り組む
さまざまなご経験を経て、現在のクリニックで力を入れていることは何ですか?

病気ではないけれど高血圧やコレステロールの数値が気になるという患者さんが多くいらっしゃるので、そういった方々が病気を引き起こさないために必要な治療とアドバイスをすることが私の役目だと思っています。これまで多くの重篤な患者さんを診てきて、何よりもまず病気にならないことが大事だと痛感したのです。体の問題だけではなく、病気になると生活の質が下がったり、精神的に落ち込んでしまったりする場合もあります。ですから患者さんには、日常生活が制限されることのない健康寿命を意識してほしい。そのために、日頃の管理がいかに大切かということを一番にお伝えしたいですね。一方で病気になっている方には、適切な治療とケアをすることで、少しでも安心して暮らしていただきたいという思いがあります。
先生の診療におけるモットーは何でしょうか?
目の前の患者さんや病気に対して、全力で取り組むことですかね。普段、患者さんにそんなことは言いませんけれど、自分の持っている知識や技術をすべて出しきって、常に真剣に向き合っています。勉強も手を抜かず、治療に必要なことは徹底的に調べますし。循環器の仕事は本当に忙しかったのですが、そのポリシーは医師になった当初からずっと変わっていません。全力を尽くすと、患者さんにより良い医療を提供できると思っていますし、自分にとっても学べることが多くて、良いことがいっぱいあるんですよ。ちなみに私はプライベートも全力で楽しむ派です。趣味はたくさんあるのですが、音楽が好きなので夏の音楽イベントには毎年行っています。
読者へのメッセージと、今後の展望をお聞かせください。

定期検診を受けていなくて知らない間に症状が進行し、大きな病気を引き起こすというのが病気になる方に多いパターンです。そうならないために、まずは健診を受けていただくこと、そしてちょっとでも気になることがあればクリニックへ足を運んでいただくことを意識していただきたいですね。当院では、薬だけではなくて、食事や栄養、運動のこと、心のケアなど、生活の全部をサポートしていきたいと考えています。例えば最近疲れやすいとか、うまく眠れないとか、「こんなことで病院へ行ってもいいのかな」などと思わずに、健康のことならどんなことでもご相談ください。将来的には地域の先生方とも連携をして、南砂町全体の健康レベルが上がるような活動をしていければいいなと思っているのですよ。

