医療法人社団 優医会 有楽町皮膚科

医療法人社団 優医会 有楽町皮膚科

島本良子 院長

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東京メトロ日比谷線・千代田線・都営地下鉄三田線の3路線が乗り入れる日比谷駅。そのA5出口に直結した東宝ツインタワービルの2階という、多方面から通いやすい立地の「有楽町皮膚科」。大きな窓から射し込む自然光が広い院内をさらに明るくしている。「『皮膚科でも難易度の高い手術まで行える女医のクリニック』として、近隣の皮膚科から紹介され来院する患者さんも多いです。」と話すのは、院長の島本良子先生。皮膚科・形成外科など幅広い分野で学び、地方勤務から救命救急までさまざまな現場での治療を経験したベテラン医師だ。クリニックでは手術のほかに、ニキビ治療に力を入れている。なかでも、PDT(光線力学的療法)が特徴的で、この治療法を頼りに全国から来院する患者も多いとか。数々の経験とともに変化してきた職業観や患者に向かう姿勢など、迷いながらも現在のご自身にたどり着いた貴重なお話を包み隠さず語っていただいた。

(取材日2013年2月13日)

多くの経験が「人の助けになりたい」という医師本来の使命に気づかせてくれた

―まず、先生が医師をめざしたきっかけについて伺えますか?


私は宮城県の山間で生まれ育ちました。家業は農作機の修理と販売をしていて、母も祖母も働いていており、「女性も職を持って働く」姿が自然に映っていました。「技は身を助ける」と周囲から言われていたので、小学生の頃の夢は絵描きになることなど多様でした。受験を意識する年になると、人一倍勉強し資格をとりたいと思い、まさに「手に職のある」医師をめざすようになりました。結局医学部に合格するまでに6年という、数倍長い年月がかかったのですが。受験のため上京し、予備校では凄く勉強のできる人達に囲まれていましたが、受験戦争のさなかにあっても多くの友人ができ、あきらめずに勉強が続けられました。今も予備校時代の友人とは親交が続いています。親元を離れ東京での女子寮生活ですので、両親の経済的負担は相当なものだったと思います。ひと言も文句を言わず支えてくれて、本当に感謝しています。苦節6年(笑)、最後は奨学金や特待生の免除がある大学に合格できたので良かったと思います。今思い出すと、もしもあのままずっと受からなかったらと、ぞっとするのですが、若いという事はおそろしいまでに自分を信じ、突き進むエネルギーがあり、世間知らずなぶん、迷いや不安がないのだと思います。

―医学部を卒業してからはどのような道へ進まれたのですか?


「手に職を」という考えだったので、都内の大学病院で外科研修から始めました。当時外科フレッシュマンが30人以上いる中で女子は私ひとりという状況でした。困難を困難とも思わず突き進む性格ですが、様々な現実とのギャップに、この先何年かかっても将来が見えない気がし、1年ほど外科で学んだ後、女性でも長く仕事を続けられる皮膚科に転向しました。とはいえ皮膚科に移ってからも外科の救急だけは、医師の必要性の高い現場だったので夜間と休日はずっと続けていました。入局後は新人が私一人ということもあり、学会、地方会や研究会など、ほぼ毎月のように発表する機会を与えられ、論文も1年に2編掲載という充実した日々を送らせてもらいました。外来では難治性の皮膚疾患をはじめニキビ外来や化粧品のパッチテストなど実践を学び、アトピーや皮膚悪性腫瘍で入院中の患者さんも受け持ち化学療法なども行っていました。皮膚科では診断のために簡単な皮膚切除は行いますが、目立つ部位や大きなもの、また悪性腫瘍の再建手術となると形成外科に依頼するのが常でした。皮膚の病気の診断から治療や手術まで一貫したものを皮膚科の中で完結させたいと思うようになり、2年ほど皮膚科に在籍した後、手術手技を学ぶため、国内で最も形成外科の医師の多い大学に新たに入局しました。形成外科の手術は多岐にわたっており奥深い分野であり、まさに職人の技を磨く場でしたので、楽しくて仕方がないという毎日でした。その後は研鑽を積むために大学の関連病院へ派遣され、福島・山形といった東北地方から群馬・千葉・北九州・静岡までを年単位でローテートしていました。

―地方での経験はいかがでしたか?


地方ではやはり医師不足という問題があり、「皮膚科もできる形成外科医」として重宝がられました。一人で多くの患者さんの診療にあたらなければならない事が多く、的確な診断と治療というスピードが要求されました。各地で勤務しているうちに、非力な自分が必要とされ、その中で能力の限界に直面しながら、自分の内面にも変化が現れてきました。研修医の頃はスキルを身につけ手術がうまくなり良い結果が得られるという自分の達成感のために仕事をしているという意識だったのですが、生命にかかわるような手術や悪性腫瘍の末期の患者さんや、手術適応にはならない状態の患者さんとの触れ合いや、熱傷センターでたくさんの患者さんの治療にあたる中で、技術では賄う事のできない治療の限界を知るとともに、医師として、少しでも人の「生」のために役立ち、「人の生きる助けになりたい」と願う気持ちが自然とあふれてきました。地方で暮らす年月とともに、自分から余計なものが削ぎ落とされ、よりシンプルになっていきました。気がつけば17年以上、大学の医局に属して形成外科の道をひたむきに進んできたわけですが、やっと医師の原点を再認識した頃でした。ちょうどその頃、大学の関連病院の銀座の美容クリニックで院長をしていた同僚が辞めることになり、私に引き継いでほしいと大学から要請がありました。当時赴任していた静岡での4年間には、様々なレーザー治療をはじめ、手術では小児の先天奇形から成人の顔面骨の骨切り再建、顕微鏡を使った切断指の再建や移植など難しい領域の手術まで行っており、同時に後輩の学会発表や論文作成の指導など若い後輩達の育成にも力を注いでいましたが、また次の赴任地東京で、それまでとは異なる環境で、鍛錬を重ねていければと思い帰京しました。



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