池袋歯科大泉診療所

池袋歯科大泉診療所

須田 光昭院長

頼れるドクター

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大泉学園駅より徒歩1分。洗練された外観が目印の「池袋歯科大泉診療所」に一歩足を踏み入れると、自然光が差し込む明るい待合室、上品な色調でまとめられた内装が迎えてくれる。おままごとセットや絵本がきれいに並べられたキッズスペースは、子どもたちはもちろんのこと、両親も一緒にゆったり過ごせるように工夫されている。常に前向きな姿勢で最新の治療を研究し続ける須田光昭院長は、歯科技工士出身の経験や技術を生かし、入れ歯や技工物のトラブルにもすぐに対応してくれる。須田院長に歯科医師を志したきっかけや治療で心がけていること、プライベートな話や今後の展望まで、興味深い話をたっぷり聞いた。
(取材日2016年2月16日)

高い技術の歯科治療に触れ、技工士から歯科医師へ転身

―歯科医師を志したきっかけを教えてください。

今から35年ほど前、私は歯科技工士として池袋の本院で勤めておりました。その頃、市村賢二理事長が院長として腕を振るっていました。そんなある日、発注された奥歯のかぶせ物を作っていると、奥歯の割にとても小さなかぶせ物サイズで、なんでこの形なんだろうと気になったんです。すると、院長が1本の奥歯の根っこを半分取って半分は残すという治療を行ったために、このようなかぶせ物になったとわかり、心から「歯科医師はすごい」と思ったのがきっかけです。今では当たり前のようになっている治療も、まだほとんどの人が知らない35年以上前から、市村理事長は患者さんのことを考えて取り入れていたんですよ。当時から池袋歯科は、とても意識が高く、月に一度、土日にかけて歯科医師と技工士を集めて新しい治療について勉強をしていたので、より一層私も刺激を受けたんだと思います。日々治療を見ながら自分も歯科医師になれたらと思うようになりました。

―それからどのような道のりを歩まれたんですか?

それから改めて市村理事長に自分も歯科医師になれるかと相談したら、さりげなく歯科大学の問題集を購入し「こういう問題を解けるか?」と見せてくれたんです。初めは問題集を見て無理だと思いましたが、どんどん歯科医師になりたいという気持ちが強くなりました。私も20代なかばで技工士としてある程度経験を積んでいたので、貯めた資金を元に技工士として開業も視野に入れていた頃でした。歯科医師を目指すのならば今が最後のチャンスかなと思い、技工士を辞めて貯金を予備校の学費にあてて、約1年ほど予備校へ通いました。8歳も年下の学生たちと勉強したんですが、初めの1、2ヵ月は勉強から離れていた期間分、本当に大変な思いをしましたが3ヵ月くらいたったら、頭の回転も記憶力もどんどん良くなって、1年後に無事、明海大学歯学部へ入学。いろんな形で応援してくれた市村理事長、学費を何とかすると用意してくれた両親には、心から感謝しています。

―実際に歯科医師になられて、いかがでしたか?

技工士の頃は、模型でしか人の歯の事がわかりませんでしたが、今は患者さんのどこが痛むのか、どんな症状なのか、直接お話しを聞けて治療できるようになったことがうれしいですね。技工士だった頃は口の中での一部の「つめる、かぶせる」に携わっていましたが、歯はもちろんのこと舌や歯茎のことまで、総合的に口腔の健康を管理できることにやりがいを感じるんです。もちろん最初に技工士になったからこそ、できること、わかることも多いので、自分でこの道を選んで本当に良かったと思います。

記事更新日:2016/03/30


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