新橋田中内科

田中公啓 院長

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新橋駅の目の前、新橋名物・汽車の真横に位置する、歴史あるニュー新橋ビル。その3階にある「新橋田中内科」は、田中公啓院長が先代の中村院長より引き継ぎ、2015年5月に現在地に移転したばかりの医院だ。穏やかで優しい印象の田中院長は、最高峰の東大卒という経歴でありながら、偉ぶるところがなく、医師として「良心的に」「正直に」ということを一番に心がける誠実な医師だ。産業医を経て、スポーツ医の資格を取るなど、生活習慣病の予防やできる限り薬に頼らない治療についても注力している。そんな、真心の医療人である院長に、同院を引き継いだ経緯や医師をめざしたきっかけ。診療にあたり心がけていること。また、ここ数年急増する、心筋梗塞や狭心症の危険性など、穏やかな中に垣間見える、院長の信念についてじっくりと伺った。
(取材日2015年6月19日)

良心の医師である父の背中を見て、医療の道へ

―まず、この医院を引き継がれた経緯を聞かせてください。

以前、産業医をやっていたのですが、その関係で前院長の中村先生と知り合いました。その後、中村先生とはしばらく離れていたのですが、その間に、この医院の後任者を探していらっしゃったらしく、中村先生も私も循環器科の専門医だったこともありお声をかけていただきました。急なお話だったので「私が引き継がなかったらどうなりますか?」と伺ったのですが、「そうしたら閉めるだけだ」とおっしゃったので、この地域に循環器科がなくなると地域の方が困るだろうと思い、引き受けることにしました。

―医師をめざされたきっかけ、循環器科を専門に選ばれた理由は何でしょう?

医師の家系に生まれましたので、幼い頃から医師になろうと思っていました。循環器科を専門に選んだのは、元々、父が品川区で産婦人科をやっていたのですが、ドーナツ圏化が進み、今後、都心では産婦人科の需要が少なくなることが子どもの頃から何となくわかっていました。ですので、産婦人科と兄が肝臓内科をやっていたので、違う分野をと考えて循環器科を選びました。父は、患者さんの利益を考えるあまり、医院の利益が薄くなってしまう医師でしたので、大学は兄弟全員国公立に入り、私は、東大医学部を卒業しました。現在は、港区のスポーツ医もやっているのですが、循環器の専門医をやっていたので、その延長線上でと考えて始めたものです。

―どのような少年時代でしたか?

子どもの頃から、スキーをやっていました。父の医院の患者さんが、北信州の野沢で民宿をやっていて、医院が忙しいこともありよくそちらに預けられていました。そうすると、やることといえばスキーくらいしかありませんので、冬は合宿状態でしたね。夏は、父が地域の小学校の校医をやっていたので、しょっちゅうそこのプールに行って泳いでいました。ですので、スキーと水泳は得意だったのですが、大人になり仕事を始めてからは腰を痛めてしまい、最近は、スキーはやっていませんね。でも、元々スポーツが好きなので、週に一回はプールに行って体力作りをしています。

―先生のご趣味について聞かせてください。

子どもの頃、父がHOゲージという16ミリの鉄道模型を買ってくれて以来、鉄道模型が好きですね。Nゲージという8ミリのものよりも大きくてとても高額なのですが、銀座の天賞堂さんでたくさん扱っていて、近いのでよく見に行きます。レールを組み立てて広げると8畳ほどの場所が必要なので、今は、しまっていますが、同じ趣味の先生や患者さんとも、そういった話しで盛り上がることがあります。

記事更新日:2016/01/24

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