佐野虎ノ門クリニック

佐野虎ノ門クリニック

佐野靖之 院長

頼れるドクター

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日本有数のビジネスエリアである虎ノ門の静かな並木道に面した「佐野虎ノ門クリニック」。広壮なビル1階にあるクリニックの扉を開けると、明るくゆったりとした空間に日本画や鳥の写真が並び、女性スタッフが朗らかに迎えてくれる。日本呼吸器学会、日本アレルギー学会で会長を務め、アレルギー性疾患全般の名医として有名な佐野靖之院長ご自身も、気さくで温かなお人柄。喘息治療を研究するためにアメリカへ渡り、多くの発表を行ってきた経験を持つ。「まだまだ人生はこれから」と柔和なまなざしで語る佐野院長に、アメリカでの研究生活から今後の展望に至るまで、さまざまな質問を投げかけてみた。

(取材日2012年12月20日)

苦しむ喘息患者の役に立つために、研究と臨床に没頭

―どのようにして医師をめざされたのですか?

私は高知県出身で、田舎で毎日ちゃんばらごっこをして遊ぶような子どもでした。陸上・テニス・ハンドボール・剣道などのスポーツをして、机に向かって勉強するよりも体を動かす方が好きな子どもでしたね。特に両親も医師ではありませんでしたし、明確な理由があって医師をめざしたというわけではないんです。通っていた高校の一期生だったため、教師が大学受験に熱心だったからなんです(笑)。その期待に応えるべく、東京大学の医学部へ入学したんですが、ちょうどその頃は大学紛争が約1年半もありました。勉強の遅れを取り戻すために、突貫的に授業が行われ知識を詰め込みましたので、大変な時期もありました。人との繋がりが非常に良い学部でしたので、勉強や研究だけでなく、ゴルフや麻雀をしたりと学生生活を満喫させてもらいました。

―アレルギー呼吸器科を専門にされた理由について教えてください。

私の研修医時代は、喘息治療において効果的な薬はなく、重症化している人がとても多かったんです。今は、副作用もなく症状が緩和される吸入ステロイドがありますが、かつては経口ステロイドしかありませんでした。ステロイドを経口で長く摂取していると、骨が脆くなって骨折することがありました。現在、喘息による死亡者は年間2000人程度ですが、その当時は年間約8000人前後にのぼりました。研修医として色々な科をまわって、この状況を目の当たりにし、なんとか喘息患者さんを助けられないものかと考えるようになったのが、この道に進んだきっかけです。ちょうど同じ頃、アレルギー体質の強さを数字で見るIgE抗体というものが発見され、益々興味が深まりました。まだそのときは、アレルギー科というものは存在しませんでしたので、東京大学の物療内科に入局し、その後アメリカへ渡り、ネブラスカ州クレイトン大学のアレルギー病センターで喘息の研究に従事しました。

―アメリカでの研究生活はいかがでしたか?

アメリカでに滞在した3年間、学会での口頭発表を13回経験しました。事前にネイティブの人にイントネーションをチェックしてもらい、万全の準備をして講演していましたが、アメリカの学会は詳しく質問をする人が非常に多い(笑)。天井に反響して、うまく聞き取れず焦ったことも少なからずありました。それでもなんとかなるものです。ゆっくりしゃべり直してもらって、切り抜けていましたね。学会はあらゆる地域で開催されていたので、アメリカ大陸はほぼ制覇しました。滞在期間が西海岸2週間、東海岸2週間なんてこともありましたから、家族と一緒に車で行き、学会ついでに観光もしていましたね。私はもともと患者さんを診るのが好きでしたので、臨床を離れることに少々不安はあったものの、アメリカでの悠々とした生活は日本ではあり得ませんから、今となっては貴重な経験をしたと思っています。



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