ふどうまえ泌尿器科皮フ科

本間次郎 院長

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都心に近い便利な立地ながら、駅前から商店街が賑わい、どこか下町のような雰囲気が漂う品川区不動前。駅から徒歩1分の距離に本間次郎院長がふどうまえ泌尿器科皮フ科を開業したのは2006年のことだ。今では院長が診察を終えて帰路につく頃には、商店街の店主達から「先生、お疲れさま!」と声が飛ぶなど、町の人たちからの信頼も厚く、この地域に溶け込んでいる。通院する必要があるにも関わらず、多忙のため来院することができないという患者に配慮し、一週間に一度、夜間診療の日を設けるなど、患者本位の医療体制を整備。そうした誠実な姿勢で患者からの信頼も厚く、男性患者はもちろん、頻尿や失禁に悩む女性患者が相談に訪れるケースも多い。大きな総合病院に勤務していた際、「もっと、患者さんと総合病院のつなぎとなるような、『町医者』の役割が重要だ」と感じた本間医師。その使命をまっとうすべく、日々、真摯な姿勢で治療に当たる現在の状況をうかがった。
(取材日2013年8月27日)

炭鉱病院で奮闘する医師を描いた小説に感銘を受け、この道に

―医師をめざしたきっかけを教えてください。

実は、大学入試の直前まで医師を目指したいという気持ちはまったくなかったんですよ。もともと、子供の頃からメカや機械が大好きで、幼い頃には時計やカメラ、ラジカセなどを分解してはまた組み立てるという遊びを繰り返していました。ですから自然と、「大学は理工学部に進み、工学系を勉強したい」という気持ちがありました。しかしあるとき、ふと思ったんです、「趣味は趣味として取っておいたほうが、純粋に楽しめるのではないか」と。そんなとき、渡辺淳一さんの「廃礦にて」を読みました。これは、炭鉱病院に務める青年医師の奮闘ぶりを描いた短編小説なのですが、この本にとても感銘を受けたんです。そこで方向を転換し、琉球大学の医学部へ進みました。

―ご出身はどちらですか。

東京都練馬区です。「廃礦にて」の舞台が北海道ですので、本来なら北海道の大学で医学を学ぶのが正しいのかもしれませんが(笑)、もともと海が大好きだということもあって正反対の沖縄へ向かうことに決めました。大学へ入るために初めて那覇空港へ降り立ったときのことは、今でも忘れることができません。真っ青な空と南国特有の湿った風とか、街いっぱいに流れる穏やかな空気とか…。当時はまだ、沖縄が日本へ復帰してから15年ほどしか経っていませんでしたから、街には左ハンドルの国産車も走っていましたし、街なかの飲食店では円だけでなくドルが使われているところもありましたからまさにカルチャーショックの連続。今、振り返ってみれば、沖縄で学んだ6年間に、私の人生の礎が築かれたのでは、と思います。

―大学卒業後の経歴を教えてください。

大学ではボートセイリング部に所属していたのですが、その2年先輩が帝京大学医学部の泌尿器科へ来ないか、と誘ってくださったんです。私が大学5年に在学中、泌尿器科学会でもご高名だった教授が沖縄で初の腎臓移植の手術を行い、医学的にも社会的にも大きな意義をなしたことがありました。医学を学ぶ身として、そのの時代に立ち会えた事は私にとってとても印象深い出来事でした。同じ泌尿器科で学びを深めることができるなら、という思いもあって、先輩のお誘いを受けることにしました。もう一つ泌尿器科を専門にしようと思ったのは、外科的な側面と内科的な側面を持つ、とても興味深い学問であるということが大きな理由です。たとえば、腎臓がんのように外科的な処置を必要とする疾病もありますし、尿路感染症や血液透析のように内科的な治療が求められる疾患もあります。そういう意味で、カバーする範囲が非常に多岐に渡る、やりがいのある科目であるのではないか、と思っています。



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