京浜病院

熊谷頼佳 院長

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「患者さんとご家族に笑顔を取り戻していただくために、独自の認知症ケアを行っています」と力強く語る「京浜病院」の熊谷頼佳院長。小児科医で医療行政にも関わった祖父、エンジニアから外科医に転身した父の後を継いだ三代目。専門は脳神経外科で、東京大学病院などで臨床研究に携わっていたが、父を手伝う形で病院経営に参画し、1992年から院長を務める。医療制度の変遷に伴い、介護療養型病院に転換し、独自の認知症診療とケアを展開。今や各方面から注目される存在でもある。認知症や地域医療に関わる著書も多く、2014年7月からは蒲田医師会会長を担う。「京浜病院・新京浜病院を拠点に、羽田地域を介護サービスの一大集積地にしたい」という壮大な展望も持つ。「とにかく人が好きなんです」という親しみやすい人柄と、エネルギッシュな語り口も印象的。多くの患者や家族に慕われ、各地から患者が集まることが納得できる頼もしいドクターだ。
(取材日2014年8月7日)

認知症や地域医療を牽引する存在として、各方面から注目されるドクター

―まず、こちらの病院の成り立ちを教えてください。

東京大学病院の小児科医であった祖父が本郷で開業したのが始まりです。その後、祖父は子どもを空気のよい海岸近くで育てたいとここに移転したのです。今では信じられないでしょう(笑)。父は、慶應大学医学部に入学しましたが、エンジニアの夢を捨てられず、東大の工学部に入り直し技術者になりました。しかし祖父が脳出血で他界したので、30歳を過ぎてから慈恵医大に入って医師になりました。医局や研修医を経験しないまま当院で診療を行うことになったので、東大などの第一線のドクターに来診してもらい、家庭教師のように指導を受けたそうです。当初は消化器系の外科医で、次第に整形外科の手術も手がけるようになりました。もともとエンジニアですから、力学的な計算ができ手術が上手く、新しい術式を発表したりしていましたね。また、工学的な経験が生かせる医療として、人工透析にもいち早く取り組んできました。

―そうした中で、先生も医師を志されたのですね。

そうですね。中学から慶應で自然に医学部に進みました。テレビ番組の“ベンケーシー”に憧れていたので、大学卒業後、東大の脳神経外科に入局しました。切磋琢磨し大いに議論する医局の雰囲気が私には心地よかったですね。その後関連病院などで幸せな研究生活を送っていましたが、1984年に、父が隣の病院を買い取り、新京浜病院として経営することになったので勤務医をやめて手伝うことになり、今日に至ります。祖父、父、私と性格も専門分野も違うのですが、人が好きというところは共通しています。祖父は子どもを救いたい、父は人の役に立ちたい、私はお年寄りが好き、笑わせたいと考えて医療に従事してきたわけですね。また私は、政治や法律にも詳しかった祖父、エンジニアだった父の血も受け継いでいて、脈々と血がつながっているのだと思っています。

―病院にはどんな変遷がありましたか。

当時の京浜病院は、外科、内科、整形外科、脳神経外科などの救急病院でした。大学病院時代、脳外科手術を受けた重症患者さんを受け入れる施設がなく苦労していましたので、今度は当院で術後の寝たきりや認知障害のある重症患者さんを引き受けることにしました。その後、医療費削減時代になり、高齢者や長期入院は診療点数が下がり、病院経営面で非常に厳しい状態になったので、その頃始まった介護療養型医療施設に転換しました。当院は、脳神経外科として他では診れない重症の患者さんを診ることができ、認知症や意識障害、栄養障害などのノウハウもありますので、“京浜病院だから診れる”という特徴をアピールして、大学病院や急性期の救急病院から患者さんを引き受けています。



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