森が丘医院

森が丘医院

佐藤 裕子院長

頼れるドクター

20831

磯子区と港南区の区境の閑静な住宅街。訪問診療の草分けとして27年間地域に根ざしている「森が丘医院」の佐藤裕子院長は、現代的な社会問題とされるような状況に、かなり早くから直面し続けてきた。だからこそ、患者や家族のちょっとした一言に対しての理解の度合いが深く、苦労に共感してくれる受け答えが優しい。高齢者の医療・介護で悩む家族にとってホッとする診療や声がけをしてくれることだろう。15年、20数年と当院で仕事を続けるスタッフたちの話を聞いても「裕子先生についていきたくてここにいるんだ」という強い意志がありありと見てとれる。スタッフのムードが良い。患者への愛情を感じる。地域医療の理想の一つを体現していると言えるかもしれない佐藤院長の経験や診療への考えを聞かせてもらった。
(取材日2016年12月13日)

祖父を一人で看取った経験から、訪問診療に携わる

―医師になるきっかけは何でしたか?

私が中学1年生の時に祖父が倒れて以来、多忙だった母親に代わり、介護を続けてきました。私は医学部進学の前には理学部数学科を卒業しましたが、学生時代には何をするときでも祖父の介護がずっと念頭にあったのです。祖父は脳出血を重ねるうちに脳血管性認知症になり、何か言えば手が出るという状態にまでなり、家族がぼろぼろになってしまいました。仕事で忙しかった母に代わって私を育ててくれた祖父を大事にしてあげたい。でも、こんなつらい状況はいつ終わるのか。中学、高校、大学時代はずっと、出口のないトンネルにいるようでした。大好きな祖父のことをそんな風に思ってしまった自己嫌悪で涙が止まらなくもなり……。介護が一段落したら医学部ヘ進み、高齢者への訪問診療をしたいと思ったのは、そんな経緯からなんです。

―最初から訪問診療をしようと思われた背景には、それほどまでに強い動機があったのですね。

このまま思い詰めたら、自分の未来が見えない。この経験を生かす方法はないのか。そこで何とかして自分の心をつなぎ留めたのが、生きていく希望を見つけるために、医師になって同じような状態で困っている人たちの助けになりたい、ということだったのです。学業や介護の傍らで、家庭教師をしながら医学部進学のための資金を貯め、受験勉強も続ける。そんな中、私が大学4年生の時に祖父は亡くなりました。その時は、1週間ほど虚脱感で何もできませんでしたね。自分の青春は祖父の死と共に終わったのだと思いました。その後、数学科を卒業した後に進学した浜松医科大学では、初めから訪問診療をやると周囲に宣言していましたね。学生時代から「介護に悩んでいる人を助けたい」と思っており、30代前半にこの院を開業するに至りました。

―この地域に開院した理由は何でしょうか?

開業する場を探していたら、ご縁があったんです。直前までこの地域に根ざしていた診療所が閉院したこともあり、自治会長さんなどからも、ぜひと言っていただけました。診療所をお辞めになった先生と自治会長から、地名である「森が丘」を引き継がせていただいたこともありがたかったですね。自治会長のことは後に看取らせてもいただくのですが、そんな風にして森が丘の住民の皆さんのための外来診療と訪問診療を始めました。27年間、いろんな経験をくぐり抜けて、患者さまと一緒に成長させていただきましたね。時代の流れではありますが、最期までご家族がそばにいる中でお別れできない状況が増えていることには少し残念に思いますね。子どもはもちろん、孫も、おじいちゃまやおばあちゃまと時間を共にし、「今まで本当にありがとうね」と死への旅立ちをご家族皆さんで見送ることで、命のかけがえのなさを学ぶはずですから……。

記事更新日:2017/02/06

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