とごし公園内科クリニック

冨田英利 院長

173323 df 1 main 1423121281

2014年12月に開業したばかりの「とごし公園内科クリニック」。真新しいクリニックは白を基調とした内装で、バランス良く配置されたイエローグリーンやピンクのパステルカラーの椅子、木目のドアや床からもフレッシュな心地良さが感じられる。院長の冨田英利先生はこの地で生まれ育った生粋の“地元っ子”。大学時代はスキーに熱中し、中古レコード店を回ってロックを中心に1000枚ものレコードを集めたほど。音楽好きな冨田院長は、抜群のユーモアセンスの持ち主でもあり、話をしていると自然に明るい気持ちになってくる。「これまでに培った経験を生かして地域医療に貢献し、自分の理想の医療をめざしたい」と熱く語る冨田院長に、医師になるきっかけからプライベートまでたっぷり話を聞いた。
(取材日2015年1月20日)

人生の方向を変えた大ケガ、そして医師の道へ

―東京理科大学をご卒業後に、山梨医科大学(現・山梨大学医学部)へ進まれたのですね。

理科大で競技スキーの同好会に入っていたのですが、練習中に全身6ヵ所を骨折する大ケガをしてしまいました。林に突っ込んでから2週間ほど記憶がなく、気がついたら病院で、「あれ、もうこんな日なの?」という状態でした。目覚めてからは本当に痛くて、折っていない所も、とにかく体中が痛かったです。松葉杖が半年、リハビリが1年、結局1年間休学してしまいました。このときにお世話になった医師や看護師に感銘を受けて、自分も医師になりたいと思うようになったのです。当初、両親は猛反対しましたが、最終的に根負けし、「理科大を卒業してから」という条件でOKを出してくれまして、皆が就職活動をしているときに私は受験勉強をしていましたね(笑)。

―大学に通いながら医学部に入学するための勉強は大変でしたか?

受験勉強のときは24歳くらいで大人になっていたせいか、それほど苦にならずに勉強できました。人生の中で一番勉強した年だとは思いますが、「医師になりたい」という情熱がありましたから。大ケガの苦しみを経験して、病気やケガの人のことを他人事に思えなくなったことが、医師をめざした一番の理由ですね。

―医師になられてからのエピソードはありますか?

31歳で医師になったのですが、研修医の頃に肺結核にかかってしばらく働けない状態になりました。結核自体は、手術と投薬治療ですぐに治ったのですが、後遺症のような倦怠感と食欲低下で体力がなく、3年ほど経ってもパートのような形態で勤務していました。最悪の体調で過ごしたこの時期に自分の中で「理想の医療像」が形づくられた様な気がします。

記事更新日:2016/01/24


Access
Access
Access
Access
Access
Access
Access
Access
Access
Access
Access
使い分けよう!「総合病院」と「クリニック」
Promotion landing
クチコミ&アンケート回答で毎月5名様に1,000円分のQuoカードプレゼント!!
外出先でもドクターズ・ファイル
Qr doctor

ドクターズ・ファイルの情報をスマートフォン・携帯からチェック!スマートフォン版では、GPS位置情報を利用した最寄りの病院探しができます。

書籍「頼れるドクター」のご案内

ドクターズ・ファイル特別編集ムック「頼れるドクター」を一覧で紹介します。 →全ラインアップを見る

Seta after
Minato after
S after
関連コンテンツ
採用情報『ドクターズ・ファイル』では編集部スタッフを募集しております。 詳細