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高橋裕昭 院長の独自取材記事

高橋眼科医院

(川崎市中原区/武蔵中原駅)

最終更新日:2021/10/12

高橋裕昭院長 高橋眼科医院  main

開院して今年で20周年を迎えた「高橋眼科医院」。受付にはオペ着姿の高橋裕昭院長をモデルにした、かわいらしい人形が置かれている。なんでも以前、勤めていた東急病院の看護師が開業祝いに手作りしてくれたのだとか。人形の優しい表情を見ているとスタッフにいかに慕われていたかが伝わってくる。実際、高橋院長は穏やかな口調で丁寧に話す方で、不思議と安心感を与えてくれる。その人柄を慕い、30年以上診察を受けている患者もいるそうだ。「肉親を診るように患者さんと接し、常に全力を尽くしています」と語る高橋院長に治療するうえでのポリシーや今後の展望についてインタビューした。

(取材日2011年8月24日)

小児科医時代に全身を診る目を養う

医師を目指されたきっかけをお教えください。

高橋裕昭院長 高橋眼科医院 1

普通のサラリーマンの家で育ち、親戚にも医師などいない環境でしたが、子どもの頃からなりたいと思っていたんです。たまたま、入院する機会があり、その時にお医者さんに大変良くしていただて憧れるようになりました。また、5歳くらいの時に読んだ野口英世の伝記にも感銘を受けましたね。それからずっと病気で困っている人を治すことで人の役に立ちたいと思い続け、この道に進みました。

東京慈恵会医科大学時代の思い出を教えてください。

大学時代はテニス部に入って汗を流していました。東京都で優勝した選手もいるくらい、うちのテニス部はとても強かったんですよ。部員も多くて、50人くらいいました。もちろん僕はレギュラーではなかったんですが(笑)。それでも練習はハードでしたね。週に数回は神宮外苑テニスクラブで朝6時半から8時くらいまで練習して、それから新橋にある大学に通う生活をしていました。練習はつらかったんですが、部活をやり通したお陰で心身ともに鍛えられましたね。医療はチームプレーですから、そこで学んだことは今の仕事にも大いに生きていると思います。

高橋院長は小児科医も経験されたそうですね。

高橋裕昭院長 高橋眼科医院 2

眼科医になるにしても、全身を診る目を養わなければならないと考えていました。眼科医は目だけで診断してしまいがちですが、目に症状が出ても実は全身に不調が隠れていることは多々あります。ですから、患者さんの体で何が起こっているのかをきちんと把握できるようになりたかったのです。そこで小児科医として2年間、研修を受けました。その時に全身の診断、そして人の気持ちのケアの大切を学びました。ただ、先に眼科医になった同級生からは2年遅れをとったのも事実です。眼科医になってからは彼らに早く追いつきたい、負けたくない一心で頑張りましたね。また、小児科出身の眼科医ということで、国立小児病院(現:成育医療センター)で勉強させていただく機会も得ました。駆け出しのうちに甘えられない環境に置いてもらえたのは、実力を付けられた良い経験でしたね。

肉親を診るような気持ちで患者の治療に全力を尽くす

開業までの経緯を教えてください。

高橋裕昭院長 高橋眼科医院 3

勤務医時代は難しい手術も経験しましたし、その点ではとてもやりがいがありました。その反面、大きな組織の勤務医である以上、定期的に配置換えがあります。勤務先の病院が変わると、それまで診ていた患者さんのその後のケアができないことに不満を感じていました。そこで1ヵ所に腰を据えて、患者さんを長いスパンで診て差し上げたいと考えるようになり、開業を決意しました。ここで開業したのは、中原地区には住民が多いにもかかわらず、周辺に眼科がほとんどなかったからです。母の実家がこの近辺で土地勘もあり、東急病院での勤務を通じてこの近辺の医療事情をわかっていたことも決め手でしたね。

患者さんと接するうえで、大切にしていることを教えてください。

肉親を診るような気持ちで患者さんに接し、自分のできることはすべてして差し上げています。お子さんであれば、「自分の子どもだったら、どうしてあげるだろう」、ご高齢の方であれば、「自分の父親、母親だったら、こうするほうが良いだろうな」と考えて診察していますね。さらに高度な治療を必要とする場合はどの病院に紹介すれば良いのかも、しっかりと考えさせていただきます。そのために、眼科医のネットワークを活用して病院ごとの技術力や治療実績をしっかりとリサーチしていますよ。

印象に残っている患者さんは?

それぞれの患者さんが心に残っていますが、強いてあげるとすれば、30年ほど診察させていただいている患者さんです。その方はぶどう膜炎の治療でいらっしゃったんですが、一生懸命治療して差し上げたら私のことを気に入ってくださいました。以後30年間、ぶどう膜炎によって発症した緑内障のコントロールをずっと任せてくださっています。普通、患者さんは担当医が変わっても同じ病院に通い続けるものですが、その方は私の行く先々の病院に通ってくださっているんです。そこまで信頼してくださっている患者さんがいることはありがたいと思いますね。

治療するうえでのポリシーは?

高橋裕昭院長 高橋眼科医院 4

一つ目は、治療中の生活にできるだけ制限を設けず、普段の生活に戻してあげることです。薬もなるべく少なくして、白内障、緑内障の手術後の運動や入浴の制限をなるべく早く解除して差し上げたいですね。二つ目は治療の見通しをきちんとお話させていただくことです。患者さんはどのような治療が必要で、どのくらい治療期間がかかるのかがわかるだけで気持ちが楽になると思うんです。そうしたきちんとした見通しをお話するためには、正確な検査を行う必要があります。個人クリニックではまだ珍しいOCT(光干渉断層計)をいち早く導入したのもそのためです。OCTによって、緑内障や糖尿病網膜症といった失明につながる病気の正しい診断や治療の見通しが立てやすくなりました。治療の見通しについて説明させていただいた後、患者さんに「とても良くわかりました」と言っていただけると満足感がありますね。

今まで積み重ねてきたものを大切にしつつ、新しいものを取り入れる

高橋院長は以前、川崎糖尿病懇話会にも参加されていたそうですね。

高橋裕昭院長 高橋眼科医院 5

川崎糖尿病懇話会では幹事を10年ほど務めさせていただきました。先ほど、患者さんの生活をできるだけ制限したくないと申しましたが、こと糖尿病については別です。糖尿病の患者さんには食事制限などについては繰り返しアドバイスしますし、細かいところまで質問させていただくこともありますね。また、糖尿病網膜症について詳しく説明したリーフレットも作成し、それをお渡ししています。それだけ糖尿病について力を入れるのは、糖尿病網膜症が自覚症状のないまま進行するこわい病気だからです。症状がないからと治療放置したために、不幸にも失明してしまう方も少なくありません。それを防ぐために、患者さんご自身に糖尿病の恐ろしさをご理解していただくのが大切だと考えています。

先生の健康づくりや趣味について教えてください。

実は2年前からダイエットをはじめて15キロ減らしたんですよ。ダイエットはあまり無理なことをしたわけではなく、過剰に食べないようにして運動をしただけです。2年前のスラックスが全部ぶかぶかで、履くものがなくなったのには困りましたが(笑)。健康づくりのために運動は主にテニスをしています。以前はドクターの大会のダブルス部門で優勝したこともあったんですよ。ここ何年かは大会から遠ざかっていますが楽しんでやっています。診療後にナイターテニスをすることもありますね。あとは、釣りも好きで休日にはよく海に出かけます。先日は金沢八景で太刀魚を19匹も釣り、自分でさばいて家族にふるまいました。

今後の目標について教えてください。

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開業した頃、この近辺には眼科はありませんでしたが、今は3〜4倍に増えています。患者さんには選択の余地が増えたことは良いことだと思います。そうした環境のなかでも、何かあった時に高橋眼科にまた行ってみようと思っていただけるクリニックでありたいですね。そのためには、今までやってきたことの積み重ねだと思うので、何か特別なことをしようとは思っていません。ただし、患者さんを適切に診察するためには新しいこともしっかりと吟味した上で積極的に取り入れていきます。OCTについても2年くらいじっくり調べてから導入しました。そのほかの点についても、パーフェクトだとは思っていないので、スタッフや患者さんに指摘してもらいながら、改善していきたいですね。

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