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牧 貴子 院長の独自取材記事

まきこどもクリニック

(名古屋市瑞穂区/瑞穂区役所駅)

最終更新日:2019/08/28

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地下鉄桜通線、瑞穂区役所駅3番出口から、並木の美しい瑞穂通りを真っ直ぐに2分ほど歩くと「まきこどもクリニック」はある。院内は優しいクリーム色の色調で統一され、ほっと包み込んでくれるような優しい雰囲気だ。待合室の一角にはキッズスペースもあり、かわいらしいおもちゃが並べられている。同院の院長である牧貴子医師は、子育てをしながら、名城病院など中核病院に勤務し、小児循環器を中心に数々の治療を行った大ベテラン。時に優しく、時に厳しく診療を行う牧先生に、開業のきっかけから勤務医時代のエピソードまで、ありのままを語ってもらった。
(取材日2016年4月21日)

“子どもの未来”に関わる仕事を

明るくて素敵なクリニックですね。

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暗いのは嫌だったので、たくさん光が入ってくるようにと建築士さんにお願いしたんです。クリニックの入口や窓ガラスは外から中が見えにくいようにすりガラスになっているところが多いのですが、当院ではあえて透明の2重ガラスにしました。その方が解放感も出ますし、窓から外が見えた方が待っている間子どもが退屈しないでしょうから。ささやかですがキッズスペースも作りました。子どもたちが真っ先に向かってくれるので、作って良かったなと思います。

こちらに開院されたきっかけを教えて下さい。

長年勤務医をしてきて、医師として充分な経験を積み重ねたという実感があったからですね。実は40代の時に一度、開業を考えたこともあるのですが、その時はまだやりきれていない、やり足りないことがあると思い、見合わせたんです。大病院ならば一人の患者に対しても数人の医師で診るので、もし自分に見落としがあったとしても他の人が指摘をしてくれます。けれど、一人だとそれがないので怖いという思いもありました。自信を持って完璧に近いと言える診療が出来るよう研鑽を積まなくてはと。そしてさらに研鑽を積んだ定年の少し前から、他の病院などからも声をかけていただきましたが、家族からの要望もあり実家の隣に当院を開業しました。私を育ててくれた地域の為に、ここで育つ子どもたちへの医療を提供していきたいという思いがありましたので。

小児科医としての道を選ばれたきっかけはなんだったのでしょうか?

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学生時代、病棟実習で小児科を経験したことがきっかけですね。初めは内科をと思っていましたが、小児科を経験したら子どもたちの持つパワーに驚かされました。ダメだと思った子がすごい回復力を見せてくれたりするんです。そんな中に光と希望を感じ、医師として“子どもの未来”に関わっていく仕事がしたいと思ったんです。なので、研修に入る際にも、まず小児科というものを念頭に置いて行く先を選びました。今の時代ではありえませんが、研修医の時分、緊急事態が起こった為に外来に新米の私が一人で残るなどという、顔面が蒼白になるような一日もありました。しかし、そういった経験をしたおかげで、順応力やタフさが鍛えられたのだと思います。

救えなかった命の中に学んだこと。そして光

病院での勤務医時代についてお話を聞かせて下さい。

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やはり病院では特殊な病気を持った患者さんがみえるので、非常に沢山の臨床経験を積む事ができました。特に先天的に心疾患を患う多くの子に接しました。一般的な病気は治っていくことがほとんどですが、重篤な疾患を抱えているためにどうしても亡くなっていく子どもも少なくはなく、その度に本当にこれで良かったのかと、自責の念に駆られました。私がその時に出来る、やれる範囲のことは出し尽くしたと思うのですが、後悔したことも多々あります。

中でも印象深い患者さんはいますか?

そうですね。原発性肺高血圧症と心房中隔欠損症を抱えていた女の子でしょうか。小学校6年生の時に、3度目の心不全を起こして亡くなってしまったのですが、2度目の発作を起こして入院した際、私はその子のお母さまに「もう一回発作が起こったら次は持ちません」とお話していたんです。「もしも次が起きたら、あえて何もせずにそっとしておいてあげた方が良いのでは」とも。そう話した途端、お母さまはショックのあまり、卒倒されました。そして翌年の7月頃、また発作は起きてしまいました。やはりもう尽くせる手もなかったので、私はそのことを告げて「抱っこをしていてあげて下さい」と言ったんです。お母さまは素晴らしく立派な態度で、取り乱す事もなくしっかりとその子の小さな体を最期まで抱きしめていました。彼女はベッドの上ではなくお母さまの腕の中で息を引き取っていったんです。

それは、胸に迫るエピソードですね。

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続きがありましてね。7回忌の時、お父さまに「あの時は移植が実用段階ではなかったが、今なら救えたかもしれない」というようなことをお話ししたんです。私の中にまだ悔いがあったのかもしれません。するとお父さまは「あの子は、人生80年を12年に凝縮してしっかりと生きた。だから僕はそれを望まない」ときっぱりと仰いましたね。また、その際に1冊の本をいただいたんです。それは、女の子の手記を学校の担任の先生がまとめたものでした。担任の先生というのもとても篤実な方で、肩車をして体育に参加させるなど6年間ずっと懸命に支え、文章を書くことも教えていたのだそうです。私も診察の度、その書き綴った日記を読ませてもらっていたので、込み上げてくるものがありました。ひたむきに生きた彼女の軌跡はしっかりと残っていると。本人だけじゃなく、ご家族や周りの方からも本当にさまざまな事をたくさん教えてもらった出来事です。

プロフェッショナル同士のチームワークを大切に

診療の際、心がけている事はどんな事でしょうか?

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一人ひとりに丁寧にきっちりと対応することですね。それに、入って来た時の顔色や元気、機嫌などをしっかりと観察することです。子どもは大人と違い自分の病状を細かく説明できたりはしませんが、嘘やごまかしもありませんからよく観察すれば自ずと病状が分かってきます。また、私のポリシーの一つとして「それぞれの分野では、その道のプロに任せる」というのがあります。幸いにも、看護師なら色々な所で婦長を経験した人、事務員なら派遣会社などで人材の育成・指導をしていた人など、素晴らしいスタッフ達に巡り会えましたので、小さなクリニックでもプロ同士のチームワークを持って仕事が出来ています。

小児科医としてやりがいを感じる時、また開業して良かったと感じるのはどんな時ですか?

小さい頃に診ていた子がしっかりと成長して大人になり、何かの折に連絡をくれた時などは、本当に小児科医冥利に尽きると思いますね。また、お子さんを診ていたけど、ご主人の転勤などで余所の土地へ行ってしまったお母さんが、遠くからでも相談にみえたりすると、医師として誇りを感じます。開業して良かった点は、毎日色々な出会いもあり、自分が生き生きとできていることでしょうか。やはり小さい子からエネルギーや刺激をもらっているのでしょうね。親御さんに時に厳しい指摘をすることもありましたが、覚悟して子どもを育ててほしいとの思いがあったからです。私も色々な修羅場を経験してきましたからね。希望的観測ですが、その思いが伝わっていたらうれしいなと思います。

今後取り組んでいきたいことなどはありますか?

そうですね。今までの経験を生かしつつ、情報を発信していけるような何かを作れればいいなと思います。例えば、最近の紙オムツって凄く進化していますよね? 布オムツの場合、赤ちゃんは濡れれば当然不快でそれを訴えるわけですが、今の紙オムツは何時間でも快適が続きます。不快に感じてそれを訴えることで、発達していく機能も人間にはあるはずですから、そういった便利すぎるものが、乳児や幼児の脳などにどういった影響を与えるのかなどを、調査して研究してみたいなと思っています。

最後に、お母さま方に対し何かメッセージがあればいただけますか?

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クリニックにみえるお母さま方にもよく言っていることなのですが、後々まで判断に絡んでくることなので、少しでも様子がおかしいと思ったら目を離さないでしっかり見ていて経過を教えて欲しいですね。例えば、単に熱が出たというのではなく、いつ頃から何度熱が出たのか、食事は何時にどれぐらい食べたのかなど、ほんの少しでいいので具体的な情報をもらえるだけで、分かることがたくさんありますから。それと、お子さんが病気の時は出来るだけ手を握ったり、抱きしめてあげて欲しいです。お母さんと触れ合っているだけで、子どもはとても安心しますから。

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