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猪 忠彦 院長の独自取材記事

いの耳鼻咽喉科

(目黒区/都立大学駅)

最終更新日:2021/10/12

猪忠彦院長 いの耳鼻咽喉科 main

都立大学駅から徒歩2分の「いの耳鼻咽喉科」。1994年の開業以来、地元の人に親しまれている地域密着型のクリニックだ。院長の猪忠彦先生は、町のベテラン先生という言葉がぴったり。親しみやすい人柄で、丁寧かつ的確に患者の要望に応えながら、診療を行っている。ビルの一室に構える同院は、大きな看板を掲げているわけではないが、小さな子どもから高齢者まで幅広い年齢層の患者が集まってくる。「患者さんの求めに的確に応じること、地域医療に力を尽くすことを大切にしたい」と日々の診療に励む猪院長に、耳鼻咽喉科の診療内容や医師をめざしたきっかけ、ドイツ留学の話などたっぷり語ってもらった。

(再取材日2018年8月3日)

さまざまな症状を診察できる耳鼻咽喉科

開業から24年、ずっと診療を続けてきたこの町に変化を感じることはありますか?

猪忠彦院長 いの耳鼻咽喉科1

1994年に生まれ育ったこの町に開業しましたが、基本的に変わっていないと思います。このエリアの特徴はチャキチャキでもなければ、バリバリでもない。程よく控えめなところがありながら親切で仲良し。来られる患者さんも、基本的には地元のご家族ですね。特に小さいお子さんと高齢者の方が多く、来院する患者さんの層もほとんど変わっていません。この辺りは新しいマンションなどもできていますが、そんなに大規模なものはありません。古くからある家も多くありますので、その中で世代交代は進んでいると思います。

どのような症状で来院する患者さんが多いですか?

子どもは鼻の症状や中耳炎、扁桃腺の炎症、溶連菌などの感染症が多いですね。高齢の方は喉の痛み、咳やたん、耳鳴りなどですね。鼻が悪くネブライザーでの吸引が必要な人やめまい、喉に違和感があって咽喉頭異常感症を心配して来院される人もいます。中年で肥満傾向にある人に多いのが睡眠時無呼吸症候群です。いびきがひどい、呼吸が止まっているなどと家族から指摘されたり、十分な睡眠時間をとっているのに日中に眠くなるなどの理由で来院されます。当院では検査器を貸し出して簡易検査を行います。その結果により精密検査が必要な場合は、東急病院、昭和大学病院、東京共済病院、東邦大学医療センター大橋病院などに紹介します。

喉が痛くて風邪かなと思ったときに、耳鼻咽喉科を受診してもいいのでしょうか?

猪忠彦院長 いの耳鼻咽喉科2

風邪の症状は、耳鼻咽喉科の得意分野の一つです。内科では喉の突き当たり部分を診ますが、耳鼻咽喉科では、鼻につながる部分(上咽頭)から喉のさらに奥(下咽頭)まで全体を診ます。これによって症状の広がりなどもわかり、喉の奥で重大なことが起こっている場合に気づくことができます。逆に、咳が3、4週間も続くような症状は内科で診てもらうほうが適しています。ですから、私たち側にも正しい判断と連携が大事になります。喉が痛くて内科で診てもらって薬ももらったけれど、ずっと調子が悪いというような場合は耳鼻咽喉科の受診をお勧めします。内科のほかの選択肢の一つとしていただければ、治る近道になる可能性があります。

「父のようになりたい」と医師の道へ

医師をめざしたきっかけなどありましたらお聞かせください。

猪忠彦院長 いの耳鼻咽喉科3

父が医師でした。もう亡くなりましたが、私は今もって父のことを尊敬しています。国立東京第二病院に勤務していた父はとても忙しく、2日に1回くらいしか家に帰ってこなかった時期もあったように覚えています。私は双子なのですが、父の姿を見て2人とも「医者になろう」と思っていましたね。父はいろいろなことにおいて「すごい」と思える存在でした。運動でも活躍し、母校の新潟大学でバスケットボールをしていて日米学生対抗戦にも出場していました。勉強では大学を主席で卒業。その後は、海軍の軍医学校に入って教官を務め、戦後は海軍病院だった国立東京第二病院に勤務しました。そこで医長を務め、いろいろな大学からインターンを受け入れ、医師を育てる立場にいました。各方面で活躍し、周囲の人たちから頼りにされている父の姿を見て育ち、父ほどにはなれないけれど、医師になりたいと自然に思うようになりました。

勤務医時代に特に熱心に取り組んだ分野などありますか?

慶應義塾大学医学部を卒業して4、5年は徹底して手術に取り組みました。入局後に勤務した宇都宮の国立栃木病院(現・国立病院機構栃木医療センター)では、外来と手術の毎日を約3年ほど送りました。そんなふうに臨床に必死に励んだのち、いったん慶應義塾大学病院に戻ってからは、聴覚系、特に子どもの難聴に取り組みました。今は一般的になりましたが、聴力を脳波で測る方法を取り入れていました。昔ながらの大きなコンピュータにつないでどんどん加算して値を出すという作業を昭和40年代後半にやっていました。しばらくは臨床に加え、聴覚系の研究も行っていましたが、1980年に国立東京第二病院(現・国立病院機構東京医療センター)に戻ってからは臨床一筋ですね。

ドイツに2年間留学されたのですね。

学生時代はドイツ語が大好きで、医学部のドイツ語研究会に入って基礎医学の文献をドイツ語で読んだり、文化祭でドイツ語劇をしていました。卒業後もドイツ語の学校に行ったりして勉強していましたので、機会があればドイツに行きたいと思っているところに留学の話があり、フライブルクに2年間留学しました。ドイツ留学時代は、朝7時に集合して仕事開始、昼休みを13時頃から3時間ほどとり、16時頃にまた仕事に戻るというパターンで、手術、外来、勉強を当番制で行い、夜は20時まで働いていました。その当時のことですが、手術の技術は日本のほうが進んでいると感じましたね。ドイツでは通常、全身麻酔で行っていた扁桃腺の手術を、私が担当した際に局所麻酔で行うと、看護婦「血が一滴もでない。東洋の魔術だ」と驚いていました。

日本人とドイツ人の気質の違いなどを感じることはありましたか?

猪忠彦院長 いの耳鼻咽喉科4

ドイツ人はせかせかしていないですね。日本人は症例が10個ほど集まるとすぐに発表したくなりますが、ドイツ人は計画をしっかり立て、それこそ1000個くらい症例を集めなければ物を言わないというくらいじっくりやります。そしていったん決めた方針をきっちり守る。例えば、鼻と耳の手術で治療方針を決めたら、それを徹底して行い、すぐに結果をどうこうしない。検査の結果と手術の結果を比較して、ドイツ人はじっくり構えているなと感じました。

医師として地域医療にも力を尽くしたい

診療の際に大切にしていることはありますか?

猪忠彦院長 いの耳鼻咽喉科5

まず、患者さんの来院目的をちゃんと捉えることを大切にしています。患者さんが望んでいることに応える。例えば、耳の調子が悪いと来院しているのに、喉も鼻も全部診て、「ここもおかしい、あそこもおかしい」と病気を探さない。もちろん関連があるときは診ますが、まったく関係ないのにいろいろ調べてあげて病気探しをしないということです。患者さんの一番の要望に的確に応えて余分なことはしません。

地域医療にも尽力されているのですね。

クリニックの医療だけでなく、学校保健、産業保健、救急医療などの地域医療に最大限協力したいと思っています。東京都の耳鼻咽喉科の休日診療は、それぞれ事情があって休日の当番医ができないという医師が多くなっています。私は、社会の中での医師の務めといいますか、ただ“やるべきだ”という想いがあって、開業時から当番医をしていますが、年齢的にいつまでもできるわけではありませんので、次のことを考えていかなければいけません。

最後に、今後の展望と読者へのメッセージをお願いいたします。

猪忠彦院長 いの耳鼻咽喉科6

これまでと変わらず、目の前の患者さんをきちんと診ていきたいと思っています。ただ、私も年を取りましたので自分の体にも気をつけなければいけません。休日のゴルフで心身をリフレッシュしながら、日々の診療を一生懸命にやっていきたいですね。読者の方へのメッセージとしては、子育てを頑張っている世代の方々は介護をしている人も多いですから、頑張り過ぎて自分が病気になってしまう人もいます。日々の疲れやストレスから、めまい、耳が聞こえにくい、喉が詰まるなど、鼻咽喉科領域の症状が出ることが結構ありますので、ご自分の健康に留意してほしいと思います。几帳面で一生懸命やる人ほどストレスがかかりますから、例えば、喉の調子が悪いときは耳鼻咽喉科に行く、ストレスの軽減を図るなどのアプローチを考えてほしいですね。

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