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西原 弘道 理事長の独自取材記事

西原クリニック

(尼崎市/立花駅)

最終更新日:2019/12/27

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JR立花駅から車で8分ほどの場所にある「西原クリニック」を訪問した。理事長の西原弘道先生は、長く消化器外科診療に携わってきた経験豊富な医師。「婦人科以外何でも診ますし、患者さんが理解するまで、丁寧でわかりやすい説明を心がけています。患者さんには知る権利がありますから」と優しい笑顔で語る。外科的な大きな病気の場合、短い診察時間内では患者が理解しきれないまま帰宅することも多いというが、西原先生はそういうことのないように時間をかけ、言葉を尽くす。「外科は経験学問」という豊富な経験に裏打ちされた西原先生の言葉は、どれも熱く説得力に満ちている。そんな西原先生に、診療方針や実践する医療についてさまざまな角度から聞いた。
(取材日2019年11月25日)

どんな病気も相談される医師でありたい

入院患者と外来患者のどちらにも対応されています。先生の1日のスケジュールを教えていただけますか?

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毎朝、7時過ぎにはクリニックに入ります。まずカルテをチェックしてから入院患者さんのもとへ回診に行き、9時から午前の診察を開始します。午後の診察は17時半からですので、それまでに検査を行ったり、手術をする日もあります。私の専門は消化器外科で、今も小手術は当院の手術室で行っております。胃カメラや大腸カメラを用いた腫瘍摘出術も可能です。当院はCTや超音波、マンモグラフィなどの検査機器をそろえておりますので、気になる症状があれば来院当日に検査が行え、早期に診断をつけることができます。症状を抱えたまま、数日先の検査を不安な気持ちで待つ必要がないので、患者さんにとってもメリットが大きいと思っています。

先生がモットーとされているのはどんなことですか?

婦人科以外は何でも診る、というのが私のモットーです。頭が痛い、おなかが痛い、もしくは体が重い……など、基本的にどんな症状の方に来ていただいても結構です。私は自分のことを昔ながらのお医者さんだと思っています。最近は専門性が進み、腰が痛いなら「整形外科へ」、便に血が混じるなら「肛門科へ」と患者さんを振り分ける時代になっていると思いますが、私は患者さんに「目のことでも耳のことでも、何でも相談して」と言っていますね。地域のかかりつけ医として当然のことだと思うからです。どんな症状もまず診せていただいて、これは本当に内科や耳鼻科の診察が必要だと判断すれば、手紙を書いて、専門の病院へ紹介します。何でも診るという私のモットーは、患者さんを抱え込む、ということとは違うのです。

患者さんも安心して受診できますね。ほかに心がけていることがあれば伺いたいです。

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患者さんにわかりやすい説明を心がけています。専門的な言葉ではなく、誰でも理解できるような言葉を使い、かみ砕いて説明します。病気についてきちんと理解していただかないといけませんし、患者さんには聞く権利がありますから。説明を聞いてもらうために、ご家族を呼ぶこともあります。そしてもう一つは、再診の方でも初診の方でも、患者さんが診察室に入ってくる時に必ず全身を見ることです。診察室の扉を開けて入ってくる時の雰囲気で、だいたいどんな病気を持っているかがわかるからです。これは本にも書いていないような、医師独特の勘ですね。「ああこの人はだいぶ貧血が進んでいて、体のどこかにがんが隠れている可能性があるなあ」という感じです。検査を追加したらがんが見つかった、ということも一度や二度ではありません。

検査、診断を迅速に行い患者の不安の払拭に注力

医師を職業に選んだきっかけは何でしょう?

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幼稚園の頃から「将来、医師になる」とアルバムに書いていたそうなのですが(笑)、本気で医師になると決めたのは、弟の手術に立ち会ってからです。やんちゃが過ぎて、両手を複雑骨折して、1ヵ月もの長期入院に……。夜は誰かが病室に付き添ってやらないといけなかったのですが、父は事業を始めたばかり、母は下の妹を出産したばかりで手が離せず、私が学校の合間を縫って病室に寝泊まりすることになりました。それがとても楽しい毎日だったのです。私はまだ小学4年生でしたから、看護師さんや病院の先生方がとてもかわいがってくださり「探検だ」と言っては、患者が入れないような場所に連れて行ってもらえました。病院という現場で働く人がとてもかっこよく、輝いて見えましたね。はじめは弟の手を心配して泣いてばかりだった母も笑えるようになり、「医師というのは素晴らしい仕事だ」と、将来の進路を決めました。

そして兵庫医科大学へ進まれたのですね。

はい、卒業後は迷うことなく第一外科に入局しました。一般外科、麻酔科、集中治療室での研修にも積極的に取り組み、配属先は救急の多い病院を希望しました。1998年に大隈病院の外科医長となり、2002年には外科部長に。そこからの3年間は、ほぼ毎日、手術に精を出しました。私は、外科は「経験学問」だと思っています。本を読んで完璧に覚え込んでも、手術中に起きるトラブルに対処できるわけではありません。外科医師はトラブルが起きた時に、どうリカバリーするかが大事です。経験があればリカバリー対応もスムーズでしょうし、あらゆる場面を想定して準備をすることが大切なんです。

開院をめざすようになったきっかけについて教えてください。

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医師になった頃から、ゆくゆくはこぢんまりとした医院を開業して地域に貢献する医師になりたい、と考えていたのですが……大隈病院に私を引っ張ってくれた先生が退職されたことで、決心がつきました。原点に戻って、自分が一番したかったことをしないといけないと思い出したのです。開業場所としてはここが空いていたのも、運命のように感じました。「大規模病院のすぐ近くに有床のクリニックを開院しても苦労するだけ。患者が来るわけない」と周囲に反対されましたが、私は大規模病院と同じ診療をするつもりはなかったので、何の問題もありませんでした。大規模病院では、診断がつくまでにどうしても時間がかかります。当院は気軽に立ち寄れる町のクリニック。来院当日に検査が行え、診断も素早く行うように心がけています。そういう点でも、患者さんにニーズがあると確信していたんです。

自分にできる医療を全身全霊で行い地域に貢献したい

印象に残る患者さんとのエピソードを伺いたいです。

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ある日、当院の近隣にある拘置所から、診察依頼が来ました。70代の男性でしたが、警察官の方が連れて来た時にはすでに肺がんの末期で、余命もあと1ヵ月ぐらい。すぐにでも入院が必要な状態でした。直近に公判を控えていて、判決が出ればたぶん刑務所に入ることになるだろうとのことで、年齢も年齢だけにかわいそうに思い、勾留執行を停止して入院を提案したところ、「じゃあ、そうさせてもらえますか?」ということになりました。聞けば、何十年も会っていない娘さんが和歌山にいるとのこと。連絡するとすぐにやって来られて「1日でも2日でも、和歌山へ連れて帰りたい」とおっしゃいました。でもそれは許されることではなかったので、病室を1部屋用意して、最後の1週間を一緒に過ごしてもらいました。私はどういう事情の方でも、最期は誰かが看取ってあげないといけないと思っています。そういう私の信念が、お役に立てたようでうれしい経験でした。

大勢のスタッフさんが勤務されていますね。どのようにコミュニケーションを取られているのでしょう?

私はスタッフを絶対に怒りません。怒るよりも褒めて育てようというのが私のスタンスです。反対に、私に報告するのは「良いことはいらないから、駄目だったことを報告して」と言っています。お互いに何でも言い合える環境づくりが大事ですね。おかげさまで、当院で働くスタッフは長く勤めてくれる人が多いです。アルバイトで入ったスタッフも熱心に勉強して、立派な医療従事者に成長してくれる人が多くてうれしいですね。

最後に、読者へのメッセージをお願いします。

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私はこの町で、医師として自分の身の丈にあった医療を行い、地域に還元したいと思っています。専門外の病気の患者さんには、専門の医師を必ず探してご紹介します。この2つのことをこれからも全身全霊でしていくつもりです。ぜひ皆さんも、良いかかりつけ医を見つけてください。良いかかりつけ医は、あなたのすぐ近くにきっといるはずです。

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