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関本 剛 院長の独自取材記事

関本クリニック

(神戸市灘区/六甲駅)

最終更新日:2019/08/28

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阪急神戸本線六甲駅から南へ徒歩5分ほどの、静かな住宅街にある「関本クリニック」。2001年に現理事長である関本雅子先生が開院し、2018年5月に息子の関本剛先生が新たに院長に就任した。つらい症状に苦しむがん患者がホスピスに入院せずに、自宅でケアが受けられるよう、訪問診療による在宅の緩和ケアを行っている。ホスピスの医師とはどのようなものなのかを始め、患者の苦痛を取り除くだけでなく、患者の残された生活、そしてその家族の心のケアをも引き受けるというホスピスケアについて、関本先生に詳しく聞いてみた。
(取材日2019年1月9日)

患者の体調管理はもちろん、家族の精神的ケアも担う

ホスピスについて、またホスピスを専門とする医師の役割について教えてください。

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「ホスピス」というのは、生命を脅かす疾患に直面している患者さんと、そのご家族の苦痛を和らげることで、最後の時までその人らしく生きて頂くことができるように援助するケアのことです。日本には1990年代頃に緩和ケアとして入ってきました。日本ではがん患者さんのケアが主であり、抗がん剤の副作用を含む、がんに伴う苦痛を取り除くことを目的とします。また、それだけではなく、患者さんの抱える不安、例えばこの先の生活についてや社会的な問題といった苦痛も取り除くお手伝いをします。さらには患者さんを支えるご家族の不安も一緒になりケアすることを目的とするのがホスピスケアであり、ホスピスの医師である私の役割であると思っています。

関本クリニックの特徴を教えてください。

2001年に現理事長である母が当院を開設しました。母も私も、もともとは六甲病院の緩和ケア病棟で勤務していたため、ホスピスというのが終の住処として良い場所であるとわかっていました。しかし、中には病棟に居心地の悪さを感じる患者さんもいらっしゃいます。「本当は自宅で過ごしたかった」とおっしゃる患者さん、そしてご家族。そんな方々の望みを叶えたいという思いから当院はオープンしました。自宅でお看取りまで生活していただくことのお手伝いを、医師、看護師、リハビリテーションのスタッフで全面的に支えていくことを理念にしています。

患者さんだけでなくご家族のケアも行っているということですが、具体的にはどのようなことですか?

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実際に関わらせていただく前に、患者さんとご家族の方と1時間面談の時間を設け、お互いをよく知る機会にしています。また、当院には医師や看護師のほかに、ボランティアのスタッフがおり、クリニックの向かいの家でサロンを開催し、遺族会を行っています。看取られた後、ご家族のなかには、「亡くなった方に十分なことをしてあげられたのだろうか」など、後悔が残る方や、喪失感に襲われる方がいらっしゃいます。そんなご遺族の方の精神的なケアをお手伝いするのがボランティアスタッフで、このボランティアスタッフもまた、ご家族を亡くされたご遺族の方たちなんです。また、ご存命の患者さんに対するものでは、聞き取りボランティアというものがあり、患者さんご本人の人生を振り返りお話していただき、それを10〜20ページの簡単な本にして、患者さんやご家族にお渡しすることも行っています。

抗がん剤についての豊富な知識が信頼を生む

先生がホスピスの医師をめざしたきっかけは何だったのでしょう?

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うちは父が歯科医師、母が医師だったので、子どもの頃から医療に携わることを自然と考えていました。緩和ケアをめざすきっかけとなったのは高校生の頃。母が勤めていた六甲病院に緩和ケアの病棟が新設されました。オープンした当時は、誰でも見学に訪れることができ、私も行ってみたのです。その時に目にした患者さんの姿に非常に驚きました。私はその10数年前に祖父を亡くしているのですが、終末期の祖父は集中治療室で人工呼吸器や点滴に繋がれむくんだ状態で、「これが人生の最後の姿なのか」と子ども心にショックを受けたものです。しかし緩和ケア病棟で見た患者さんは笑顔で談笑されていました。その方はたまたま体調が良かっただけかもしれませんが、その頃すでに医学部をめざしていた私は、緩和ケアというカタチで患者さんと関れたらいいなと思うようになったのです。

関西医科大学附属病院では、消化器肝臓内科に勤務されていましたね。

私が医学生の時代にはまだ緩和ケア科というものはなく、緩和ケアに携わるには何か別の専門を経てからでした。母は麻酔科を経て緩和ケアの道に入ったのですが、その母が内科や外科を勧めたのです。当時から胃がんや大腸がんなど消化器系のがんは非常に多く、終末期の患者を多く診ているのが消化器内科だったため、専門を消化器内科に決めました。そこから11年間、関西医科大学附属病院の消化器肝臓内科で勤務し、抗がん剤の知識などを身につけてきました。内科や外科でがんと闘ってこられた患者さんはさまざまな話を医師から聞き詳しくなっています。そんな方々に信頼していただけるのは、やはり消化器内科で培ったがん治療の知識があるからこそだと思っています。

今までで特に印象に残っている患者さんとのエピソードを教えてください。

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まだ勤務医として消化器内科で勤務していた時、当院を手伝うことが度々ありました。当時50歳代の男性で重症な患者さんがいらっしゃったのですが、その方はどうしても抗がん剤治療をやめようとはしませんでした。抗がん剤は治療に必要な時もある代わりに、“やめ時”というのもあります。困った母が、この時期、抗がん剤治療を専門としていた私に、彼を説得するよう頼んだのです。その患者さんの自宅を訪問した私は、一瞬で彼が抗がん剤をやめない理由を悟りました。ぐったりともたれかかって座る彼に、幼い娘さん二人がくっついているのです。このように診察室で患者さん一人と対峙しているだけでは理解できないことも、訪問診療というスタイルでは患者さんのバックグラウンドまでもが感じ取れることがあるのです。

病院とホスピスと患者をつなぐコーディネーターとして

2018年に院長に就任されましたが、新しく取り入れたことなどありますか?

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現理事長の時代は、緩和ケアの第一世代。幸い理事長も私も同じ六甲病院の緩和ケア内科で働いていたので、診療方針といった点では大きく異なることもなくやっています。しかしこの何年かで大きく変わったのが、ITやコンピューターの活用。電子カルテなどを取り入れることで、スタッフの時間的負担が軽減されるようになりました。患者さんへの対応を変えることはなく、スタッフに余裕ができれば、みんなが幸せになれると考えています。スタッフに余裕があれば、今まで以上に笑顔も出ますし、患者さんの安心感にもつながると思いますから。

終末期の患者さんと向き合う日々のなか、先生はどのようにリラックスしていますか?

休日は、趣味でトロンボーンやギターなどの楽器を演奏しています。音楽は高校卒業までやっていました。医学部時代はサッカー部に入っていたため、今でもサッカー観戦やフットサルを楽しんでます。私の時代の医学部の学生は、必ず体育会系のクラブに入らなくてはいけなかったんです。医師の世界はタテとヨコのつながりが大切であるため、体育会系のクラブで一緒に頑張ることが将来のプラスになると。実際、医師となった今、同じクラブの先輩後輩とはもちろん、大会で知り合った他のサッカー部の人たちともつながりがあるのは、財産となっています。

ホスピスや在宅診療を探している読者に、メッセージをお願いします。

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休診日は六甲病院で内視鏡の仕事をしていますので、その際には当院から紹介した患者さんのお見舞いや、病室の空き状況をチェックしています。その他、神戸中央市民病院の緩和ケア内科にも非常勤医師として勤務しているので、病院のご紹介もスムーズに行えます。今は昔とは異なり、ホスピスと決めたらずっとホスピスで過ごさなければいけないわけでなく、調子が良いと感じれば自宅療養に変更したり、また反対に、在宅が不安になれば入院に変えることも可能です。当院は外来も行っていますので、まずは相談にいらしてください。緩和ケアのスタートは、がんと診断された直後からが良いと言われています。お一人で悩まず、頼っていただければうれしいです。 

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