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清水寛子 院長の独自取材記事

清水小児科医院

(世田谷区/駒沢大学駅)

最終更新日:2021/10/12

清水寛子院長 清水小児科医院 main

今年で開院44年目という「清水小児科医院」。開院当初から一人で診療から受付、薬の処方を行ってきた院長の清水寛子先生は、診察時も白衣を着ないという。それは子どもたちに怖い思いをさせないため。そんな清水先生の思いは、医院の随所に反映されている。天井が高く、カーペットが敷かれた明るい待合室や動物の描かれた壁紙、小さな子ども用トイレ、赤ちゃんがハイハイをして一人で診察室に入って来られるすき間など、子どもの視線に立ったインテリアが印象的だ。先生は、子どもたちが苦しい思いをしないよう病気の予防に努めることを第一義に、注射や投薬も必要最低限で済むようにと日々努力を惜しまない。現在は校医や園医も務め東京医療センターの勤務医でもある娘さんの助けも借りて、開院当初の患者さんたちの二世代目・三世代目を診療している。

(取材日2010年2月25日)

開院当初から、患者さんは二世代目・三世代目へ

開院されて44年だそうですね。

清水寛子院長 清水小児科医院1

【清水院長】昭和37年に開業したんです。それまでは日赤病院にいたのですが、この近くに開業し、娘が生まれてこの場所に移りました。当時はこの辺に病院はほとんどなかったんです。当時はお子さんがたくさんいましたけど、今はお子さんがとても少なくなりましたね。

【千鶴先生】母はここで長く診療しているので、患者さんは二世代、三世代目の方もいらっしゃいます。一度この地を離れても、お子さんができて戻って来られる方も。「僕も昔、このシロップ飲んでたんだよね」なんて懐かしがられる親御さんもいらっしゃいますよ。

50年前は女医さんも少なかったと思いますが、小児科を目指されたのはなぜですか?

【清水院長】医者ではない父の影響があって、医者を目指したんです。「この子は医者にしよう」と思っていたみたいです。父の時代には戦争がありましたから、女の人でもひとりで生活できるように、と思ったのかもしれません。医者として働かなくても、資格として持っていて欲しかったんだと思います。小児科を志したのは、子どもが好きだから。自分の子どもができるまで続けようと思っていたのですが、この辺りには小児科があまりありませんでしたから、通って来られるお母さんたちに「私が代わりにおむつ洗ってあげるから」「ミルク飲ませてあげるから」続けて欲しいと言っていただいたんです。

【千鶴先生】この地域の方にも助けていただきましたが、母も私を育てながら仕事を続けるのは大変だったと思います。うちは診療時間が短いのですが、お昼休みの間に母は家事をして、私と過ごす時間を作っていましたね。診療時間になるとまた母は医者の顔になっていたのが印象に残っています。

先生の健康法を教えてください。

清水寛子院長 清水小児科医院2

【清水院長】おいしいものを食べることですね!私は好き嫌いがなく、何でも食べます。今思うと、戦時中で食料の少ないなか、母が工夫して色々作ってくれたお陰かなと思います。趣味も食べることです(笑)。娘の家族と月に一度おいしいものを食べに行くことが今の楽しみですね。

ちゃんと薬を飲めたかどうか心配で、電話してしまうことも。

患者さんの年齢層・主訴を教えてください。

清水寛子院長 清水小児科医院3

【清水院長】生後すぐのお子さんから、高校生の患者さんまでいらっしゃいますよ。高校生の子は小さい子の間に混じって、ちょっと照れながら待っている様子がかわいいんです。皆さん大体が風邪や発熱、腹痛などのよくある症状、それに予防注射や健診などで来院されますね。

【千鶴先生】小学校高学年以上になると、お母さんやお子さんがひとりで子育てや日常の悩み相談に来られることもあります。診療する時間よりも相談を受けている時間のほうが多いかも知れません(笑)。母と話をすることによって、すっきりしてお帰りになる方も多いみたいですね。どこそこのお菓子がおいしい、などと世間話をするだけでも「先生と話せて良かった」と言っていただくこともあります。

どんな医院づくりを心がけていらっしゃいますか?

【千鶴先生】一番心がけているのは、子どもが怖がらずに来てくれるように、という事です。母も白衣を着ていないので、あまり医者らしく見えないですよね(笑)。待合室には子ども達に読んでもらいたい絵本を置いてお母さんたちにも見てもらえるようにしています。診療の終わったお母さんが、「借りて帰ってもいい?」と気に入ってくださることも。季節によって本も少し変えているんですよ。一度受診したお子さんがうちの前を通りかかると「ここで遊んで行く」と言うそうです。病院だと思っていない子も多いかもしれませんね。

【清水院長】39度の熱がある子を、また薬局に連れていくのも可哀想ですから、ここで薬も処方しています。必要最低限の薬しか出しませんが、出した薬はちゃんと飲んでくださいね、と言っています。

【千鶴先生】薬はただ処方するのではなく、飲んでもらわないと意味がないですから、「この薬はこうやって飲ませてあげて」と飲み方もお伝えしています。ちゃんと飲まなかった時は親御さんに「どうして飲ませなかったの」と厳しく接する事もあります。お子さんによっては、シロップ、粉、錠剤と好みが違うので、そこもお子さんに合った薬をお出し出来るのも、院内処方の良さだと思いますね。

【清水先生】それでもやはりちゃんと飲んでくれたか心配で、患者さんのお宅に電話してしまうこともあります。粉薬ならヨーグルトでサンドするようにすれば口に当たらずに飲めますよ、などと具体的なアドバイスもします。後で、やっぱり飲みづらかったとか、飲まなかったと言われてしまうことがないように心がけています。

先生の頭の中に、患者さんのデータが入っているんですね。

清水寛子院長 清水小児科医院4

【千鶴先生】母は一度診た患者さんの名前を覚えていますので、患者さんにも“よく覚えていますね”と驚かれます。何も見なくても、母が名前と顔、エピソードもしっかりと頭に入っているのには感心します。

「うちの子が大きくなるまで頑張って!」と言われ続けて。

印象深い患者さんとのエピソードがあればお聞かせください。

清水寛子院長 清水小児科医院5

【清水院長】やはり、開院して第一号の患者さんとそのお母さんは今でも覚えていますね。「こうして患者さんが来てくださった」という思いが忘れられません。その時のお母さんは現在も近くにお住まいの方で、今ではお孫さんもいらっしゃいます。昔は夜間に「診てほしい」という救急の電話もありましたので、そういった出来事も忘れられないです。嬉しいエピソードとしては、検診時にお座りのしかたなどをお母さんに教えてあげて、次に来た時に「お座りができるようになりました!」と喜んでくれたことなど、小さなお子さんの成長を一緒に見られるのが何よりも嬉しいですね。

患者さんに「まだまだ頑張ってください!」と言われませんか?

【清水院長】親御さんたちに「うちの子が大きくなるまで頑張って!」と言われ続けてます(笑)

【千鶴先生】母には、女性の平均寿命まで医者を続けて、と言っています。母にとって仕事はなくてはならないものだと思うし、仕事をしていない母を私も見たことがないので、母から仕事を奪いたくない気持ちもあります。母の時代は検査が今ほど発達していなかったこともあり、臨床の目をしっかりと持っています。今の医療は検査に頼りがちで触診しないこともあったりするので、多くの臨床経験を持つ母は貴重な存在です。患者さんとの距離を近くすることや患者さんへの思いやりなどと共に、臨床の目という根本があるので、検査や薬の情報は勤務医である私が力になれれば、と思っています。

【清水院長】お互いがちょうど良いバランスですね。

小さなお子さんを持つ親御さんたちへ、メッセージをお願いします。

清水寛子院長 清水小児科医院6

【千鶴先生】ひとりひとりの成長曲線は必ずあって、それぞれ個性的です。その子なりの成長があるので、まわりの子と比べすぎないようにしてほしいですね。関わり過ぎを避けて、逆に放ったらかしにもしないで欲しいと思います。親御さんがしっかりと話しかけてあげることが大切です。母がよく言いますが、子どもの前で夫婦喧嘩をしないように、と。いくら小さくても子どもはしっかりと聞いていますから。

【清水院長】核家族化が進んだことで、昔に比べて若いお母さんに子どもに関する情報が少ない。子どもが泣かないので寝かしっぱなしにされてしまう子がいます。子どもはお母さんが教えてあげないとわからないですから、寝返りやつかまり立ちなども少しずつ教えてあげて。もし、分からないことがあれば、些細なことでも聞いて欲しいですね。

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