あざみ野おさかべクリニック

あざみ野おさかべクリニック

刑部 義美院長

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横浜市青葉区、あざみ野駅から徒歩1分に位置する「あざみ野おさかべクリニック」は2002年開業。院長の刑部義美(おさかべ・よしみ)先生は、どんなことでも親身になって相談できそうな、やわらかな物腰のドクターだ。専門は呼吸器内科。大学病院の救命救急センターで17年間救命救急に携わり、喘息の発作で命を落とす患者を多数見てきた。「喘息の患者さんにとって最後の砦といえる救命救急センターですが、水際で死を食い止めるには限界があります。非常に無念な思いでした」と刑部院長。開業を決意したのは、一次医療機関として治療の入り口に立ち、発作で搬送される患者数を減らすためだという。そんな刑部院長に、医療にかける熱い思いを聞いた。
(取材日2018年6月26日)

医師は天職。救命救急の過酷な状況でもつらさは皆無

―呼吸器内科を専門にされていますが、その理由をお聞かせください。

医師の多い家系に生まれたため、医師という職業を選んだのは自然な流れでした。私の故郷は山梨の田舎町だったので、若い頃は「広い世界で活躍したい」と血気盛んだったものです。私が医学部を卒業した頃、内科では消化器と循環器が花形とされ、新人なら一度は憧れる科でしたが、当時の私は人気の医局で激しく競争するより、じっくり勉強に没頭したいと考えるようになっていました。そこで入局を希望する者が少ない、呼吸器内科を選んだのです。さらに、その不人気を逆手にとって、当時の教授に研修したい病院の指定をしたり、興味ある分野を勉強する機会を要求したりしました。今思えば生意気な新人医師でしたが、その要望を聞き入れてくださった教授のおかげで今があるのだと、感謝しています。

―入局した呼吸器内科で、印象に残った出来事などはございますか。

新人が少なかったこともあり、指導の目が行き届いていたので、さまざまなチャンスをいただきました。今でこそ研修医の労働環境の見直しが叫ばれていますが、当時は丸2日間寝ないなど当然で、休みもなし。体力的には厳しかったのですが、その分、自分の力になるという実感がありましたし、次々と新しいことが吸収でき、楽しくて仕方ありませんでした。大学病院に勤務していた頃は、その大半を救命救急センターで過ごしました。救命救急といえば外科医というイメージがあるかもしれませんが、呼吸器系の病気で搬送される患者さんもいますし、緊急処置においては、より的確な呼吸コントロールが求められますので、呼吸器内科医の力も不可欠です。医師になって40年たちますが、どんなに過酷な状況でも、嫌だとかつらいと思ったことは一度もありません。ですから、医師は私の天職なのだと感じています。

―開業しようと思われたのは、なぜでしょう。

救命救急センターに配属された当初は2〜3年で異動だろうと思っていましたが、気がつけば17年を数えていました。その間に、喘息の発作で命を落とす患者さんを数多く見てきたことがきっかけです。「喘息は正しいコントロールさえできていれば、恐ろしい病気ではないはずなのに……」と、何度、無念を感じたことか。救命救急センターは喘息の患者さんにとって最後の砦ともいえるのですが、その前で食い止めれば、救命救急センターに発作で搬送されてくる患者さんの数も減ります。そうなれば、亡くなる患者さんも減らすことができる。「最後の砦ではなく、入り口にいればいいのだ」と思い立ち、開業に至ったのです。



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